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2007年6月29日 (金)

中国鉄道大紀行 その51 終点、西安!

中国鉄道大紀行 その51 終点、西安!
6月7日は西峡(さいきょう)から西安(さいあん)まで一気に移動します。長かった春の旅も今日で終わりです。

朝8:30、出発30分ほど前に関口さん、西峡の駅にやってきました。飾り気のない駅前は閑散としてます。平日の朝なんですけどね。通勤の混雑とは無縁のようです。売店で飲み物を買うと小さな子供が椅子を出してくれて、色々お話してくれました。

9:05、ホームにゆっくりと春の旅最後の列車が入ってきました。昨日乗ってきた夜行より一本早い列車です。南陽あたりからきたのでしょうか。ダブルデッガー(二階建て)の見晴らしのいい車両でした。

テーブルに路線図を広げた関口さん、今日の旅程を赤いマジックで塗っていきます。この作業も今日で終わりです。うねうねと伸びる1万7000kmの赤い線‥

 「無事、ここまできたのねえ~」

 「よう乗った! よう乗ったなあ~~!」

偽らざる心境でしょう。日本の最長ルートは1万2000km、それも途中はバテバテで、歯が痛んで歯医者に駆け込んだり、駅前のスーパー銭湯で体力回復したりしてようやくたどり着いてましたが、今回はそれより5000km長くてしかも慣れない異国、よくご無事でと見ている方もいいたくなりました。

列車が標高を上げていくと、黄土高原の風景が広がってきました。もともと降水量の少ない地域ですが、最近の乾燥化で作物のできも悪いのでしょうか、緑の少ない黄土色の風景です。所々涸れた川が谷を刻んでいました。そのなかに段々家が増えてくると街が近いことが分かります。

 「まもなく終点の西安です」

 「荷物を整理して下車の準備をして下さい」

列車のアナウンスが流れると、関口さんも絵日記を閉じて、下車のしたくを始めました。ゆっくり列車がホームに滑り込んでいきます。14:47。列車が停止して扉が開くと、関口さんは少し跳ねるようにして、かろやかにホームに降り立ちました。春の旅、ゴールです。本当にお疲れ様でした!!

西安は昔の長安で、隋や唐の都だった所です。平安京や平城京もここをまねて作られました。遣唐使が大勢、訪問した街でもあります。

 「2007年、一般人長安に渡る」

関口さんも感慨深そうです。駅前からぐるーーっと伸びて街をとりまく13kmの城壁を、遣唐使たちも関口さんと同じように口をあんぐりさせて眺めたかもしれません。一方、その向かいに聳えるショッピングモールは、伝統と新しさの入り交じる中国を訪ねた、春の旅を象徴するようです。チベット高原から、西域の草原、四川省の奇岩、沢山の蝶々、広西の椰子の木、初めての海にはしゃぐ子供たち、客家の円楼、漢詩や鉄画の技、安徽の田園に、上海の音楽家たち‥

 「長かったなあー‥」

 「だけど、終わった気がしないんだよね」

 「まだ、つぎの旅があるからではなく‥」

あまりに沢山の体験に、まだ体も頭もクールダウンしてないのでしょう。私も北海道を2週間回ったときは、しばらく体がガタゴト揺れてる気がしたものですが、10週間の旅だとそんなどころではないのでしょうね。

今回の旅では私も初めて聞くような街々の姿を、沢山堪能させてもらいました。観光名所巡りや、特定のテーマを持ったNHKスペシャルともまた違った中国の姿といいましょうか、ランダムサンプリングの旅ならではの等身大の中国の姿を見せてもらったと思います。もちろんテレビ番組にするための取捨選択は沢山あったろうとは思いますが、その辺はいつの日か実際に行って、違いを実地にみてみたいものですね。そういう普通では得られない視点も沢山得られたような気がします。

関口さんとスタッフの皆さん、本当にありがとうございました。ゆっくり休んで、秋の旅ではまた新しい街々の姿を見せて下さい!

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本葉

本葉
双葉が十分開ききって、本葉が顔をのぞかせてきました。

種をまいて11日目です。今の所順調ですね。夏本番までにどこまで大きくなってくれますか。

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2007年6月28日 (木)

とりあえず最尤法は断念

2時間ほど時間があったので、正面から積分する方法を考えてみましたが、やっぱ面倒ですね。モンテカルロ法でいかないとしょうがないですが、それだと3次元6変数が限度かな。

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BS2で西安編放送

今日の15:0017:00に西安編生中継の再放送をやるみたいですね。

ハイビジョンでみれなかったかたは、こちらでどうぞ♪

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2007年6月25日 (月)

中国鉄道大紀行 その50 陰陽

中国鉄道大紀行 その50 陰陽
6月6日はコウ川(コウはサンズイ偏に黄)から、まっすぐ西安(さいあん、シーアン)に向けて出発し、山間の駅、西峡(さいきょう)で途中下車します。東の洛陽から函谷関を越えるルートが、西安(昔の長安)に入るメインルートとして有名ですが、今回は南東の南陽から山越えするルートを採ります。

コウ川からは夜行列車に乗りました。コウ川は東西と南北に線路が交わる交通の要衝で、深夜1時をすぎても20分に1本、列車が発着します。駅の売店もまだ開いていて、ペットボトルの飲み物やらカップ麺やらを売ってました。カップ麺を買うとサービスでお湯を入れてくれて、フォークで蓋を止めてくれます。関口さんもカップ麺を買って、朝まで開いている有料待合室で腹拵えしてました。

午前2:10、コウ川発。皆さん大体おやすみになっていて、座席のシートカバーにくるまって、横になってる人もちらほら。日本では見掛けない光景ですが、こんな長いシートカバーは日本ではかかってないですし、夜行列車自体少なくなりましたからねえ。

若き日の曹操が苦戦した南陽を夢の中で通過して、夜が明けるころには、車窓には麦畑が広がっていました。内陸に入るに連れて降水量が減り、水田地帯から麦作・トウモロコシ地帯に移り変わっていくのがよく分かります。
皆さん、そろそろ朝の支度で髪を梳かす人、顔を洗う人、朝からなぞなぞに興じる親子もいます。

 「昼も夜も立ったまま眠らないおじいさん」
 「いくら押しても倒れない。なーんだ」

答えは「起き上がり小法師」だそうですが、これも日本ではついぞ見掛けなくなりましたね。中国の家庭にはあるのでしょうか? それに、おじいさんの姿? 確かになぞがなぞを呼びます。

9:32西峡着。そのまま乗っていれば午後には西安に着くのですが、ここで最後の途中下車をします。周囲にいくつもの景勝地があり、その中でも美しく豊かな水で知られる石門湖を訪ねました。

ネットで見る限りでは、ツアーコースにもなっている観光地ですが、実際にはほとんど水がなくて、乾いたダム湖の底が広がっていました。今年は干ばつで例年の3分の1しか雨が降ってないそうです。

 「数ヵ月雨が降らなくて、作物もできないんだよ」

土地の人も心配そうでした。北京の近辺でも水不足は深刻化してますし、もともと雨の少ない地方は気候変動の影響を受けやすいのでしょう。

関口さんが楽しみにしていた、武夷山以来の滝、龍潭溝(りゅうたんこう)もチョロチョロとしか水が流れていませんでした。残念です。やむなく、道教のお寺のある高い高い石段を登ることにしました。ふと振り返ると地上に道教の陰陽図が。それを見て関口さんがつぶやきます。

 「中国の旅は、あると思うと、ないと散々言われて。」

 「ないと思った所で、素敵なドラマが沢山あって。」

 「陰陽」

この言葉に、今回の旅の思いが凝縮されているように感じますね。「ゼロからの出発」といういい方も関口さんはしていますが、あると思えばなく、ないと思えばある、先入観がまるで無力なゼロからの旅。それが春の旅だったのでしょう。新鮮なゼロからの気持ちで物事を眺められるというのは、実に贅沢な体験ですね。

石段を登りきると、かつて老子が60年修行したという、老君堂がありました。老子の像が今も座禅を組んでいます。お堂の奥には天然の鍾乳洞が伸びていて、思いがけない美しさでした。

 「おお、素敵!」
 「岩がこんなに綺麗とは

ここでも陰陽体験がまた一つ増えたようです。

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2007年6月24日 (日)

中国鉄道大紀行 その49 桃園の味

中国鉄道大紀行 その49 桃園の味
合肥(ごうひ)から九江(きゅうこう)まで南下したあと、6月5日は麻城(まじょう)をへてコウ川(こうせん、コウはサンズイ偏に黄)まで真っ直ぐに北上します。

8:39九江発。北京方面に向かう列車に乗り込みます。車内はほぼ満席で、関口さんのお隣りには親子らしい女性二人連れが座っていました。
コウ川の先にある安徽省の阜陽(ふうよう)に住むお嫁さんの所に行くのだそうです。

 「みんな、親戚訪ねて行く感じなんだねえ」

満席の乗客の皆さん、それぞれに誰かを訪ねて旅行されているのでしょう。

 「何をしにいくのですか」
 「昨日の朝、男の子が生まれたので手伝いに行くんだよ」

これを聞いて、関口さんビックリ。

 「ひえ〜、生まれたばっかり!」
 「凄いタイミング。おめでとうございます!」

いきなり、おめでたい話で幸先のよいスタートになりました。

一人目が女の子で、昨日生まれたのは二人目だそうです。都会では二人目を産むと罰金を取る一人っ子政策がとられていますが、農村では一人目が女の子の場合などは、二人目もOKなようです。男の子を優先する意識の反映だったりもするようですが、子供が二人なら人口は増えないので、性別問わずに二人まで可にしていいような気はします。お母さんもとっても嬉しそうでしたし。

10:43麻城着。武漢から70kmほど北東にある田園都市です。人口は116万で地図で見た感じより大都市です。とはいえ高層ビルの並ぶ市街地を抜けると、桃や栗の果樹園が広がっていました。舗装してない車道の脇では牛が草をはんでます。

関口さんが牛を眺めていると、道端で桃を食べている人がいました。近くの農家の人です。関口さんが、自分も食べたいというと、

 「いいよ、自分でとりな」

とのこと。なかなか、鷹揚な人です。

木からもいでみると案外小振りで、かじるとサクサクしてて、普通の桃とは違います。

 「この桃、美味しいだろ」

という、農家の方によれば、桃とリンゴを交配させた新品種とのこと。確かに、どちらもバラ科ですから交配はできるのだろうとは思いますが、どんな味がするのでしょうね。ちょっと検索してみましたが日本では作ってないみたいです。

農家の方の自宅にまねかれて、普通の桃の方も頂きました。関口さんにはこちらの方が口に合ったようで

 「うまい! こりゃうまいや!」

と連発してました。32℃もある暑い日ですからねえ、甘くて汁気たっぷりの桃がやっぱり美味しそうです。

15:14麻城発。山を越えて京九線を北上していきます。鉄道地図をじっと見つめる関口さん。春の旅もあと2日となりました。遠くきた旅路に思いを馳せているのでしょうか。

コウ川の駅前で一服していると、近くの人が集まってきました。絵日記を見せて、旅のルートを説明します。その昔、マルコポーロがアジアへの旅を語ったときもこんな感じで人が集まってきたのかもしれません。凱里(がいり)の絵を見せると、そこなら遊びにいったことがあるという男性がいました。
 「美女を探しに行ったんだよな」
と男性の友人。

 「美女? いた?」
 「いや、全然ダメだった」

和気あいあいとした空気が流れます。旅の話は人を引きつける大きな力を持っていますね。

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次々発芽

次々発芽
朝顔の芽が次々に出てきました。100円ショップの種でもちゃんと発芽することが分かって良かったです。

もう少し出て来たら別のプランターに植え替える予定。

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2007年6月23日 (土)

中国鉄道大紀行 その48 下町探検!

中国鉄道大紀行 その48 下町探検!
6月4日は安慶西(あんけいにし)から九江(きゅうこう)まで、長江沿いに南下します。

出発前に関口さんは安慶の街を再び探検しました。相変わらず雑然とした、綺麗とはいいにくい下町を歩いていると、どこからか二胡の音が響いてきました。近くの子供にどこで弾いてるのか聞くと、アパートの一室を指差します。「ここなの?」という顔をしながら関口さんが訪ねると、年輩の男性が二胡を弾いてらっしゃいました。

机の上のラジカセに合わせて、演劇の伴奏曲を練習します。なかなかお上手です。
 「何年弾いてるんですか」
関口さんが聞くと
 「リャンネン(2年だよ)」
という返事。
 「リャンネーン!」
二胡は弾けるようになるまで普通1000日(3年弱)かかるそうですから大したものです。余程熱心に練習されたのでしょう。

自慢の二胡をきいてもらっておじさん、上機嫌です。
 「日本人だぞ。俺が二胡を弾いてたらきたんだ」
アパートの人にも紹介してくれました。ちょっとした大事件なのでしょう。

 「そう、僕は日本人。君は中国人かい」
様子を見にきた10才ぐらいの男の子に話しかけて
 「どこに住んでんの?」
と聞くと、こっちという素振りをして一目散に駆けていきました。
 「そんな、走らなくても‥」
といいながらも関口さんが追いかけると大きな建物が‥

 〈○○文体棋牌活動中〉

と看板がかかっています。

飲食店かと思った関口さんが「お茶もらえますか」といいながら、入っていくと、そこはゲームセンターのような所でした。1階に卓球台が置かれ、上の方はアパートになっています。〈棋牌〉とありますから、中国将棋や麻雀もできるのでしょう。20元なんて張り紙も(ちょっと高い?)。

 「間違えた。お茶飲む所じゃねえや」
 「レストランに見えました」
と関口さんが謝ると、さっきの子のお母さんが
 「どうぞ、どうぞ、ご飯も食べてって」
とお招きしてくれました。またまたお呼ばれです。

 "Nice to meet you!"
 "What's your name?"
いきなり男の子が話しかけてきました。
 「英語もできんの! My name is‥」
と関口さんが驚いていると、
 「こんにちは」 「今度は日本語かよ!」
面白い子です。

 「テレビで習ったのよねえ」
とお母さん。小学校3年から英語の授業がありますから、挨拶ができても不思議ではありませんが、それがさらっと出て来てさらに日本語の挨拶も‥となると、よっぽどそういうのが好きなのでしょう。

 「日本に電話はありますか?」
 「そらあるわな」
そんな問答をしたかと思うと、指で数を示して見せます。
 「2、3、4、0、‥‥」
関口さん???だったのですが、ようやく了解しました。
 「なんだ、電話番号教えてくれてたんだ!」
実に面白い子です。でも、子供ってそんな所ありますよね。

その後、お母さんとお姉さんを交えてランチタイム。 「こういう旅してて、意外に家庭料理を一緒に食べる機会ないんですよね」
テレビ見てると、しょっちゅうお呼ばれされてる印象があるのですが、関口さんの認識では「意外にない」となるようです。まあ、お呼ばれのシーンは必ず映りますから、沢山あるように感じるのでしょう。

食べる機会が少ないと聞いてお母さん
 「そしたら、息子に感謝しなきゃ」
息子さんも
 「僕のおかげだよ〜」
と、とことん楽しい家族でした。店で食べるのとまた違った美味しさがあって、関口さんも満足そうです。 「いやいや、面白かったなあ」

駅に戻り14:25、九江行きの列車に乗り込みました。駅で関口さん、案内の人に「またいらっしゃい」と言われていました。いつもの挨拶ですが、今日は感慨深そうです。

 「また今度か。。ある訳ないんだよなあ〜」
 「人生でまたここに来ることは、まずないでしょ。」
 「逆に言えば、なぜここに来ることになったのか、ともいえるし」

今回の家族との出会いも、普通なら有り得ないことです。

 「でも、人生分かんないからな。それがあるんだよな」

ひょっとするとまたここに来て、あの子たちに再会することもあるかもしれません。私も12年前に東京に遊びに来たときに、府中の大国魂神社付近を探検したことがあるのですが、そのときには、ここに来ることは多分一生ないだろうなと思いながら歩いていたものです。よもや2年後に府中で暮らすことをなろうとは、そのときは夢にも思いませんでした。

人生は何があるか分かりません。
 「あるかもな。やっぱりねーよ。いやいや‥」
またの機会に思いを残しながら、関口さん、安慶の街をあとにしました。

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2007年6月22日 (金)

「電車つなっております」

いま、埼京線で池袋から新宿に行く途中で止まっています。

さっきから「電車つなっていますので、遅れが出ています」と何回もいってて謎だったのですが、ようやく「電車が詰まっております」の意味だと分かりました。

アナウンスぐらいは分かりやすくお願いしたいですねえ。

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発芽

発芽
先日まいた朝顔が発芽しました。沢山まいたのですが今の所1つだけです。100円ショップの種ではこんなものかも。

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中国鉄道大紀行 その47 長江のほとりで

中国鉄道大紀行 その47 長江のほとりで
週末、三国志の古戦場、合肥(ごうひ)で生中継して6月3日は長江のほとりの街、安慶(あんけい)に向かいます。春の旅もあと1週間ですが、生中継で関口さんが言ってたように、1週間の旅って長いんですよね。私も北海道を1週間かけて回ったことがありますが、最初に何があったのか忘れるくらいいろんなことがあったものです。全体からみれば1週間は短く見えますが、まだまだ先は長いです。

合肥を出る前に関口さんは、中国琵琶を買いました。バイオリンや二胡もある大きな楽器店なのですが、弓を引くより、ギターのように指で弾く楽器の方がお好きなようです。そういえばドイツでもリュートを買ってましたし。ただお店の人は中国琵琶は弾けないみたいで、関口さん、自分で汗だくになって調律してました。沖縄音階に似た独特の音階です。本来は5本の指先に爪をつけて弾くもののようですが、関口さんは慣れたギターのピックを使って弾いていました。
 「買わせて頂きます」
大きな琵琶を担いで、ラスト1週間の旅がはじまりました。

14:08、「4月18日鉄道大増進」と書いた大きな和諧号の看板がかかる合肥駅を出発。広州に19時間かけて向かう列車で南下します。家族連れで出稼ぎいく人達が沢山、座席に横になっていました。このあたりは長江下流の低地帯で、池や湖が車窓を次々通りすぎていきます。水のある風景ってホッとしますし、見ていて飽きませんね。硬臥(B寝台)の方の車両では、小さな男の子が金魚とお話してました。のんびりした時間が流れていきます。

16:26、安慶西(あんけいにし)着。人口73万、800年前、宋の時代から長江の水運の拠点として栄えてきた街です。今は石油工業の街でもあるとか。長江で原油を運んできて製品を輸出するのでしょう。

雑然と商店が並ぶ旧市街を抜けてしばらく歩くと、長江が見えてきました。街の向こうに大きな川が流れていて、沢山の船が行き交っている。川まではあるとして、市街地のすぐ向こうを船が行き交う風景ってあんまり見ないですね。合成写真のような不思議な光景です。

石の門を潜ると、長江の河原です。さすがに大きな川ですね。向う岸が見えないということはないですが、十分雄大な気分にはなることができます。関口さんは風がさやさやする柳の木の下に腰を下ろすと、琵琶を弾きはじめました。
 「また、川で作曲することに〜」

石のベンチにパソコンを置き、琵琶を鳴らしては入力していきます。子供がやってきて草の上に腰を下ろして、関口さんのやることをじっと眺めていました。数百年変わらぬ長江のほとりで作曲なんて、贅沢な経験ですねえ。どんな曲が出来上がるのでしょう。

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2007年6月21日 (木)

中国鉄道大紀行 その46 鉄画の故郷

中国鉄道大紀行 その46 鉄画の故郷
5月31日は南京から蕪湖(ぶこ)をへて合肥(ごうひ)まで200kmほどの旅です。

9:35南京発。新幹線ではなく、普通のダブルデッガー(二階建て)車両に乗り込みます。江蘇省から再び安徽省に。車内はそこそこの混み方で、子供が「ヨー(ある)」とか「メイヨー(ない)」とか言いあって、賑やかに遊んでました。

沿線では田植えの真っ最中です。画面で見る限り手植えしてるようですが、あの広大な面積を手で植えてるんでしょうかね。機械を入れるとお金がかかって大変なので、手植えなのかもしれません。ご苦労様です。田植えのすんだばかりの田んぼは、日本の風景と良く似ています。きっと蛙がゲコゲコ鳴いていることでしょう。

11:26蕪湖着。人口71万、長江のほとりで名前の通り湖が点在する綺麗な街ですが、最近は経済開発区に指定されて工業化が進んでいます。

とりあえず昼食ということで、関口さんは安徽省の郷土料理店に入りました。四川省や広東省と違って安徽省の郷土料理といってもピンときませんが、なかなかユニークな料理が出て来ます。まずは、徽式豆腐という豆腐料理。発酵した豆腐を煮て、豆板醤のようなタレがかけてあります。

 「うま〜い」

関口さんのうまいが出ました。表情が美味しそうです。

お次は水素鶏。鶏を電気分解でもするかのような名前で、どんな料理なのかさっぱり分かりません。一切れ食べた関口さん、
 「ハムじゃん」
と一言。ハムのようにも見えますが、実際は麸(ふ)を固めて焼いたものらしいです。麸といえばグルテンが主成分ですからタンパク質には違いないですが、植物を材料としてハムの味がするとは中華料理恐るべしです。

その他にもクレープのような料理や、チーズのような料理、ソテーやハムや赤ワインのような料理と初めて見る料理が並んでました。
 「いろんな中華料理があるんだねえ〜」
料理の世界も奥が深そうです。

蕪湖は明代の終わりに「鉄画」が生まれて土地としても知られています。鉄画というと鉄道の絵みたいですが、もちろん明代には鉄道はなくて、文字通り「鉄で描いた絵」が鉄画です。満腹した関口さん、鉄画の工房を訪ねました。入口に「隋氏鉄画 IRON PICTURE」という大きな看板がかかっています。

中に入ると鉄画の作品の数々が展示されていました。動物、風景、書画‥。松と虎の姿が関口さんの目をひきます。松の曲りくねった枝から松葉の一本一本、虎の縞の一つ一つが鉄細工で作られています。

 「こういうのなんだ。こまっかい!!」

本当に細かい細工物なのですが、そこに鉄の持つ重厚さが加わり、力強い松や虎の姿が表現されていました。私も鉄画というものを初めてみましたが、他にいくらでも画材はあるのに、あえて鉄で絵を書こうなんて発想にそもそも驚きましたし、作品が素材のユニークさに甘えず、鉄の特性を生かしたものに仕上がっているのに感心してしまいました。さっきの料理もそうですが、中国の文化というのはやっぱり奥が深いですね。

工房の中では18人の職人さんが、鉄画を製作してました。抵抗溶接器という電気で加熱する装置で、鉄棒をはさんで真っ赤に熱します。それをカンカンとハンマーで叩き、ぐーっとぐーっとペンチでねじって下絵に合わせて加工していきます。絵を描くというより、町工場という感じですね。大変な作業です。一日にいくらも作れないと思いますが、18人の職人さんが暮らしていけるだけの生産量と販路とがあるのでしょう。

関口さんもさすがに鉄画に挑戦という訳にはいかず、自分で書いた文字を鉄画にしてもらうことにしました。選んだ文字は「零」。この旅をゼロからの発見の旅と感じだしているからだそうです。ジュージュー、トンテントンテン、ぐーっとぐーっと作業すること2時間余り。額に入った「零」の鉄画が出来上がりました。

 「ついにできた。身の引き締まる思いのする額だ!」

確かに鉄で書かれた文字は、とても存在感がありますね。

17:05蕪湖発。長江を渡り巣湖の脇を抜けて18:50合肥着。今週の旅はここで終わりです。

 「よし、あと1週間!!」

ゼロからの旅も9週間がすぎ、残るは1週間となりました。果たして1になるのか、10になるのか、今回の旅の終わりはもうすぐそこです。

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2007年6月20日 (水)

イメージ分布の推定法考察中

内閣支持(不支持)の理由についての時系列データがあるので、これから内閣イメージの変化が分かりはしないかと思って色々考えている所です。行く行くは、一般に何かに対するイメージ(一次理論)の変化を測定し、変化を記述するダイナミクスモデルを作りたい訳ですが、その基礎研究ということになります。

とりあえずは、ある時点の内閣支持(不支持)理由の分布から内閣イメージの分布を推定する方法を考えています。手持ちのデータでは理由の選択肢として、

 首相がよいから(悪いから)
 与党が良いから(悪いから)
 政策が良いから(悪いから)
 なんとなく良いから(悪いから)

の8つがあげられてますので

 首相イメージスコア x1
 与党イメージスコア x2
 政策イメージスコア x3
 その他のイメージスコア x4

の4変数を考えて、これらがどういう分布のときに観測された支持(不支持)理由の分布が再現されやすいかを調べることを考えています。

x1~x4についての4次元正規分布を考えて、各変数の平均と分散とを最尤推定(さいゆうすいてい)すればよかろうという所まで、昨日考えたのですが(共分散の推定までは識別問題があって多分無理)、できあいの最尤推定アルゴリズムは多分使えないし、自分で書くのも面倒なので、モンテカルロ推定で妥協しようかなと思っている今日この頃です。

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2007年6月19日 (火)

中国鉄道大紀行 その45 上海の音楽家

中国鉄道大紀行 その45 上海の音楽家
5月30日は、抗州から上海、南京と500km余りを移動します。東京〜大阪間に匹敵する距離ですが、「中国版新幹線」に乗るので楽チンです。

8:55抗州発。さすがに沿海部は外国人の旅行者が多くて、ヨーロッパ人や日本人の団体が沢山列を作って並んでました。沿線には「世界の工場」中国の工業地帯だけあって、大きな工場が建ち並んでいます。

10:38上海着。北京や広州より大きい人口1360万の中国最大の都市です。
 「来たね大都会、これ!」
 「日本のビルとは雰囲気違うねえ〜」
 「高層ビルにも異国情緒ありか〜」

黄浦江のほとりから、東方明珠塔を臨む展望台に立って関口さんも感慨深げです。上海自体は珍しくもないのでしょうけど、ラサから内陸をグルグル巡ってたどり着くのと、日本から直接行くのとでは、感じ方もだいぶ違うのでしょう。
 「まあ、いろんな中国もあるわなあ〜」

この上海で関口さんは二人の音楽家を訪ねました。作曲家の姜ホウさんと、二胡奏者の顧懐燕さんです。最近売り出し中の若手アーティストで、伝統的な音楽を現代的な感覚で表現して人気を集めているそうです。

道を聞きながら、アパートの一室を訪ねると、20代ぐらいの女性が二人出迎えてくれました。
 「あらま、若い人だねえ〜」

机の上には最新式のパソコンが置かれています。姜さんがパソコンで作曲した作品を、顧さんが二胡で弾くのです。デスクトップに現れる楽譜を食い入るように見つめながら、激しく二胡を奏でる顧さん。確かに現代的ですね。

 「俺の曲の作り方と、全く一緒ですわ」

関口さんも、共感する部分が大いにあったのでしょう。旅の間、頭の中をグルグル回っていたというフレーズをギターで弾いて、二人に聞いてもらいます。

細かいアルペジオに、ゆったりとした中国的な旋律‥。2フレーズほどの曲ですが、早速姜さんがパソコンで編曲して、顧さんが二胡で弾いてくれました。太古からの時の流れを思わせる、少し物憂げな調べが流れていきます。
 「いいメロディになりますわ〜」と関口さん、とても嬉しそうです。

私自身、芸術的な才能がまるでないので、こういうのを見ると素直に感動してしまいますね。自分の感じたことを、絵にしたり、詩に書いたり、演奏したり。形のなかったものが、どんどん姿を持った作品になり、回りの人に共感を伝えていく‥。芸術家の皆さんの素晴らしい技を、目の当たりにした旅でもありました。

「続きは?」という二人のリクエストで、関口さんが仕上げた曲を姜さんがパソコンで仕上げてくれることになりました。この旅では曲を作る余裕はないのかなと思ってましたが、終盤になって作曲モードに突入したようです。

 「上海、おもしれーなー」
 「素敵だねえ〜」

思わぬ出会いに思わぬ展開。これも旅の醍醐味でしょう。

17:35、実りの多かった上海を出発し、この4月から運転しているという「和諧号(わかいごう)」で南京に向かいます。最高時速250km。JR東日本が技術協力した中国の新幹線です。

関口さん、椅子をひっくり返して足を伸ばし楽チンそうです。
 「日本の親父だねえ〜」
いや、おっしゃる通りです。足を伸ばして乗る新幹線は誠に極楽で、私もよくやります。300km余りを2時間ほどで走り抜けて、19:38南京着。お疲れ様でした!

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2007年6月18日 (月)

中国鉄道大紀行 その44 融合の街

中国鉄道大紀行 その44 融合の街
最近、国会中継で「日めくり版」がしょっちゅうつぶれて、なかなか前に進みません。まだ、5月29日の旅です。この日は、謀らずして合った黄山(こうざん)から、東に進んで、沿海の大都市抗州(こうしゅう)に至りました。

7:39、黄山を出ると硬臥の関口さんを一人の女性が「何やってるの?」と言って、訪ねてきました。撮影班の人とかもいて興味を持ったのでしょうか。ホテルのフロント係りをしてるそうで、関口さんが「モデルさんかと思った」というと「メイヨー、メイヨー(まさか、まさか)」と言って否定してましたが、でも綺麗な方でした。「メイヨー(ありません)」ってそういうふうにも使うのですね。

11:22宜城(ぎじょう)でダブルデッガー(二階建て車両)に乗換えます。快速という奴でしょうか。これもなかなか混んでます。安徽省から浙江省に入ると、尖んがり屋根の先に尖った塔をつけた家が沢山見えてきました。伝統建築かと思ったら最近の流行なのだそうです。でもちょっと格好いいので、こういう流行りもいいかもしれません。

6時間半ほどかけて、14:07抗州(こうしゅう)着。お疲れ様です。南宋の都が置かれた、長江沿いの大都市で人口400万。今では海外の企業が沢山進出する国際都市になっています。街中には<Bar>とか<Grill>とか横文字の看板も沢山かかっていました。

その中に混じって、妙にダブダブの着物をきた女性が出入りしている店がありました。<福港日本料理>という店です。久々の日本料理に関口さん早速入ってみることにしました。

 「サンマだサンマ」
 「食べたいもの一杯ある〜」

しばらく迷ってましたが、結局シンプルに300円のざるそばを注文することに。

出てきたのは、ザルではなく普通のお皿に盛られたお蕎麦でした。「ザル」の意味が通じていないのか、ザル自体ないのか、あっても手に入れにくいのか分かりませんが、ウズラの卵と薬味を添えられた「ざるそば」自体はなかなか美味しそうです。

 「懐かしい~。これはいけるぞ!」
 「うまい~! 泣いちゃうよ、俺~‥」

ほんとにね。8週間異国を旅すれば、日本の食べ物が恋しくなるのでしょうね。ご苦労様です。もう一息頑張って下さい。
このお店も、衣装や器はやや変ですが、中味はしっかりしたもののようで良かったです。

抗州の観光名所、西湖(さいこ)に行ってみると、近所の人たちが胡弓をバックに歌ったり踊ったり劇を演じたりしてました。琵琶湖八景に似た西湖十景で知られる観光地ですが、地元の人達にとっても憩いの場なのでしょう。火曜の午後にもかかわらず、大勢の人が芸を競いあって楽しんでいました。

街中に戻ると、シックな画廊がありました。水墨画の技法を交えた油絵が展示されています。画家の方がいらしたので、関口さんが桂林の絵日記を見せると、「絵をみると、東洋人が書いたと分かる」とおっしゃってました。東洋人が山水を見るときは、人間もそのなかに入っていくのだそうです。

 「このことを物我相融(山水と人間が混じりあうこと)というんだよ」

自己を絶対視しない、東洋的な考え方といえるでしょう。日本人からみると自己主張が強く見える中国の人も、自己を相手に融合させる自己意識を持っている所が面白くも感じられます。横文字や、妙な衣装の日本料理店や、胡弓の調べが融合した抗州の街自体、自分が外界の中に入りこんでいく、融合の心の産物なのかもしれませんね。

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2007年6月17日 (日)

大国魂神社

大国魂神社
府中の大国魂神社(おおくにたまじんじゃ)です。今日は日差しが眩しいのですが、木陰に入ると風が涼しくて、抜群にいい気持ちです。

お宮参りの赤ちゃんも、ちらほら来てました。こんな日だと赤ちゃんもご機嫌でしょう。

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2007年6月16日 (土)

そんな気はした‥

そんな気はした‥
PDFファイルになっている内閣支持率データを、エクセルファイルに変換しようと思って「変換!PDF」というソフトを買ってきました。

この手のソフトは誤変換や文字化けして使い物にならないことが多くて、あまりあてにはしてなかったのですが、新しい製品だしひょっとしたらと、多少は期待しつつ買ったのですが‥

確かにエクセルへの変換は出来るのですが、よく見ると変換された数値は3割〜4割が間違った数値になってました。これでは使い物になりません。箱を開けて何の説明書も入ってなかった時点で、悪い予感はしてたのですが、予想通りの展開でした。やっぱり、おとなしく手でエクセルに打ち直した方がよさそうですね。

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2007年6月15日 (金)

「まっくら森」注文

『まっくら森のうた』の原作絵本?を見つけたので、アマゾンで注文してみました。一体どんなお話なのでしょうねえ。

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2007年6月14日 (木)

中国鉄道大紀行 その43 謀らずして合う

中国鉄道大紀行 その43 謀らずして合う
5月28日は江西省から安徽省まで300kmほど移動します。夜行列車を乗り継ぐ強行スケジュールです。どうも先週は武夷山で生中継するために、足踏みしてたみたいですね。

午前1:58、前夜蘇州に戻るおじいさんを見送った横峰(おうほう)を出発します。ここの滞在は5時間ほどで、滞在というよりは単に乗換え駅だったようです。噂のアモイからやってきた列車は日曜の行楽帰りの人達で混んでました。1時間ほど乗って貴渓(きけい)で乗換えです。1時間では寝ることもできず、きついですね。

3:05貴渓発。今度は(多分)上海行きの硬臥(B寝台)です。途中、焼き物で有名な景徳鎮を通過しますが、関口さんは夢のなか‥。夜が明けるころには安徽省に入り、白壁の民家が目立つようになってきました。雨の多い地方なので、湿気よけに漆喰が使われているのでしょう。

9:02、黄山(こうざん)着。人口42万、世界遺産にも登録された黄山の玄関口として、2000年前から栄えている街です。世界遺産の黄山は奇松、怪岩、雲海、温泉の「四絶」で知られ、「天下の名勝、黄山に集まる」とまでうたわれていますが、今回はそこには行きません。その代わり関口さんは街で、それに匹敵するような体験をすることになりました。

黄山の街に屯渓老街(とんけいろうがい)という、明代の街並みを残した通りがあります。白壁に黒い瓦の風情ある民家が並んでいる所です。その中に、漢方薬の店がありました。旅館か両替商のように立派な店構えです。旅の疲れのたまっている関口さん、ここで漢方薬を処方してもらうことにしました。

女医さんに診察してもらったところ、「熱がたまりやすい体質なので、辛いものは減らした方がいいですよ」とのこと。「最近、辛くなくなってきたんですよ」と関口さん。体が段々慣れてくるのでしょうけど、食べ過ぎてはいけないようです。「免疫を高める薬」を処方してもらって、クコやヤマイモなど13種類の生薬を、5人分かと思うほど大量に頂いていました。煎じて飲むので生のときは、沢山になるようです。

さらに街を歩くと「姓名題詩」というお店が出ていました。
 「名前を書いて下さい。詩を作ってあげますよ」
店の人が呼び掛けます。面白そうなので関口さん、早速お願いすることにしました。

「関口知宏」と署名すると、店の人は10秒ほど考えて、「関」「口」「知」「宏」を行の先頭とする詩を書き始めました。

 関心冷暖世間情
 口吐蛛蛾話古今
 知難而進‥

 (世間の様々な人情に関心を持ち)
 (知恵に溢れた古今の話題を語る)
 (困難と知っていても前に進み)
 (作品を通して多くの人を楽しませる)

見事です。しかも凄い達筆!

 「すっげーー!!」
 「なんつうか、驚いた。家宝にしよ!」

関口さん、大感激で口をあんぐり開けて驚いてましたが、私もビックリしました。昔、魏の曹植は十歩歩く間に見事な詩を作り、死刑を免れたと伝えられていますが、それを思いださせる技です。

関口さん、やおら絵日記を取り出して、客家円楼のページを見せながら、

 「たとえばこのページには、ここは文化遺産のように見えて、その中には世間の冷暖、いろんなものがあったということが書いてある」

と説明します。

 「すると、旅の感想と私が漢詩に書いた内容が、ピッタリ一致したということですね。」

姓名題詩の先生はニッコリ笑うと、扇子に

 不謀而合
 (謀らずして合う。相談しないのに考えが合うこと)

と書いてくれました。

いやいや、相手の心情まで読み取って、瞬時に漢詩を作りあげる技は見事としかいいようがありません。漢詩の面白さをリアルタイムで体験した関口さんは「これは、贅沢な体験だよ。いや、面白い面白い」と、いつもまでも扇子をあおいで満足そうでした。

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2007年6月13日 (水)

熱高気圧

熱高気圧
熱高気圧
上空5000mの天気図に高気圧が描かれることはあんまりなくて、曲線(等高度線や等温線)が北に張り出した「気圧の峰」として現れることが多いのですが、今日は珍しく「H」の文字が日本上空に描かれています。

日本付近にしばらく寒気が居座っていたあいだ、中国大陸の日射で暖まった熱い空気がようやく日本付近に移動してきた「熱高気圧」の姿です。ブロッキングが起きると極端な寒さや暑さが起きやすくなるんですよね。

地上天気図では九州の西に低気圧と前線がスタンバイしてて、明日からようやく梅雨入りしそうです。

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みんなのうたリクエスト 「みずうみ」

前回のみんなのうたリクエストは、1983年初回放送は「みずうみ」でした。先週のSONGSと合わせて、ちょっとした大貫妙子特集ですね。

放送の度に「グリーグ作曲、ソルヴェイグの歌より、みずうみ」って言ってましたから、ああソルヴェイグの歌なのかと漠然と思ってましたが、今調べて見ると組曲「ペール・ギュント」の中で、船で帰国途中に難破した主人公(ペールギュント)の夢のなかで聞こえてくる、遠い昔に故郷に置き去りにした恋人(ソルヴェイグ)の歌ううたなのですね。

実は「ペール・ギュント」がどういう話なのかも今知ったのですが、馬鹿馬鹿しくも、感動的なお話で、実際に舞台を見るとラストは泣いちゃうかもしれません。その「ペール・ギュント」のかなめとなる曲が「ソルヴェイグの歌」なのでした。「みずうみ」ファンで「ペール・ギュント」のストーリーを知らない方は、是非検索してみることをお勧めします。

 ♪みずうみの入り江に立てば
 ♪波がつぶやく
 ♪ここには少女の頃の
 ♪君はいないと‥

それは確かにいないでしょうねえ…。人が遠景でしか出てこない実写映像も寂しくて、印象的でした。

うた 大貫妙子
作詞 山川啓介
作曲 グリーグ
編曲 乾裕樹
実写
初放送月 1983/06

★考えてみれば初めて北海道に行ったときにやってた曲ですね。懐かしい‥

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2007年6月11日 (月)

中国鉄道大紀行 その42 黒い龍

中国鉄道大紀行 その42 黒い龍
武夷山(ぶいさん)での生中継をはさんで5月27日は、福建省をあとに江南省の横峰(おうほう)を目指します。といっても移動距離は100km足らずで、今日も割とゆったりです。

武夷山を出発する前に近くの村を尋ねました。あいにく小雨がぱらついてますが、山が霧に煙るさまは日本の山のようでもあります。所々、烏龍茶を栽培する茶畑が段々畑になっていました。この辺りは武夷岩茶の産地でもあるのです。

古い農家の合間に「南山若茶」の看板を掲げた、少し大きな農家がありました。烏龍茶の生産農家です。関口さんが訪ねると女の人が二人、お茶の選別作業をしてました。

 「形の悪い葉と茎を取り除いてるの」
 「商品になるのは黒くて長くてこんな形」

年長の二十歳ぐらいの女性が説明をしてくれます。

 「すると、こんなのはダメなのね」
 「そう、そんなのは肥料か食前茶にしかならないの」
 「黒い龍の形をした葉っぱじゃないと、烏龍茶じゃないのよ」

なるほど、確かに黒くて曲りくねった茶葉が龍の姿のようにも見えます。関口さんはヘーヘー状態で

 「そうなんだ。カラスじゃないのね!」
 「烏(カラス)は黒いっていう意味なの‥」

確かに、カラスは黒いですね。烏龍茶の語源は実際は諸説あって、烏も龍も貴い生き物で、それぐらい貴い飲み物だから、という説もあるようですが、お茶っ葉を選別するときに「黒い龍の形」をした葉っぱを選んだという説は、選別の現場を見せてもらうと凄く納得できました。

この女性は農家の跡取り娘だそうで、5才のころから烏龍茶の生産に携わっていたとのこと。こうみえても、その道15年のベテランです。お茶を蒸して発酵させる機械や、ザルに入れて手作業で揺する作業もやって見せてくれました。昔はみんな手作業で天日発酵させて大変だったそうです。今でも最高級品は手作業で仕上げます。

その最高級品「大紅袍」を関口さん、振る舞ってもらいました。娘さんが、慣れた手捌きで茶葉にお湯を注ぎ、揺すり、溢れさせ、小さな茶碗に注ぎます。

 「ジーンとくる。うまーい!」
 「プイヤー!プイヤー!(うまいうまい!)」

香りはほのかだけど、味はガツーンと来るそうです。そんな上等の烏龍茶飲んだことないので、実感が沸きませんが関口さん、満足そうです。跡取りの娘さんも本当に嬉しそうな表情でした。

皇帝に献上したという、本物の大紅袍は3本しか現存しなくて、年に1kgしか採れないらしいので、親木から挿し木した子供や孫の木から採れたものなのでしょう。美味しそうなので、中華街でも行って探してみようかしらん。

雨もあがり、17:21武夷山発。武夷山脈を越えて江南省に向かいます。硬臥(B寝台)の向かいに、蘇州の故郷に戻るというおじいさんが乗ってらっしゃいました。長年、福州から北京までの路線で勤務して退職。老人ホームに入るのだそうです。

 「そういう瞬間に良く会うんだよな、この旅‥」

と、関口さん。中国の鉄道は近距離の通勤客などはすくなく、もっぱら長距離の乗客が占めています。人生の節目に長い距離を旅している人も多いことでしょう。

 「60才には金を貸すな」
 「70才は家に入れるな」

昔の中国には、そんな言葉もあったそうです。今では故郷に戻って老人ホームが面倒を見てくれると、おじいさんは穏やかな表情で話してくれました。経済の発展には間違いなく、ありがたい側面があるのです。

19:23横峰(おうほう)着。多くの人の人生を乗せた黒い龍は、夜の中へ走りさっていきました。おじいさんのこれからの生活が、幸せなものでありますように。

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2007年6月10日 (日)

中国鉄道大紀行 その41 水の恵み

中国鉄道大紀行 その41 水の恵み
5月24日もゆったりと120kmほどの移動でした。福建省は割と小さい省なのですが、これで4日目の滞在になります。まあ、関口さんもお疲れみたいですから、ちょうどいいペースとも言えるでしょう。

8:23、曜変天目(ようへんてんもく)の街南平(なんへい)を出発。三日連続で乗った福州行き列車にお別れして、アモイから上海に向かう列車に乗り込みます。寝台車に空席がありますというアナウンスを聞いて、関口さんはそちらに向かいました。長距離の旅で横になれるのは非常にありがたいことです。旅が始まって8週間、途中仕事で東京にとんぼ返りもしてるようですが、そんなんじゃ疲れがたまるばかりでしょう。無理しないで欲しいですね。

福建省は烏龍茶の産地としても知られています。沿線には茶畑が広がっていました。烏龍茶だからと言って茶畑自体は緑茶と同じで、ちょっと静岡みたいな風景です。でも竹林の向こうを列車が走るシーンは中国的です。また、この辺はバナナの産地でもあって、大きなバナナの房をお土産に列車に乗り込み人もいて、この辺は全く静岡的ではありません。

やがて、左側にボコッと岩が突き出した妙な形の山が見えてきました。世界遺産で知られる武夷山(ぶいさん)です。11:38、武夷山着。駅前にたっくさん待ってるタクシーに(多分)乗り込んで、山に向かいます。

奇岩秀水で知られる中国でも有数の行楽地ですが、32℃を越す暑さもあり、関口さんは岩登りより水巡りをチョイスしました。40分ほどで九曲渓着。9回曲りくねるという渓流です。橋の上からわずかにグリーンがかった綺麗な水が、さやさや流れているのが見えました。

 「いいねえ〜 これが一番!」
 「ほんとに綺麗だねえ!」

水が好きな関口さん、嬉しそうです。

川沿いに登って行くと大きな滝が見えてきました。幅40mに渡って幾筋もの水が流れ下っています。落差は180m。雄大です。青龍大瀑布という滝かだそうです。

滝の下まで降りた関口さん、しぶきを浴びながら、足をまくり水の中に入りました。顔を洗い、さらには頭から水をかぶります。もうビショビショです。

 「たまんないね、これ〜!」
 「マイナスイオンー!!」

気温が30℃越してますからね、気持ちいいでしょう。今日もNHKスペシャルでやりますが、水の不足してる国ですから、綺麗な水に存分に親しむ機会も少ないのだと思われます。多分、とても贅沢なひとときなのでしょう。

滝の下流では、ラフティングで川下りを楽しむ人の姿も見掛けられました。黄河の羊皮筏のことをちらっと思い出しましたが、こちらの水のほうがずっと綺麗で滔々と流れてます。流れに足を膝までつけながら関口さん

 「自宅に戻って疲れが取れる感じより、まだ中国にいるのに今、疲れが取れてる感が強い!」
 「経験しないとこの驚きは分かんないだろうなあ〜」

と真顔で語ってらっしゃいました。長旅ほんとにお疲れ様です。春編はあと2週間。西安まで、もう少し頑張って下さい!


★ 日めくり版はまだ武夷山ですが、リアル関口さんは今日(6月10日)、春編ゴールの西安に到着します。今日の12時〜14時に生中継するようなので、何とか工夫してみたいと思います。いやいやお疲れ様でした。

日めくり版レポートは、このあと合肥から西安につくまで書こうと思いますので、もう少しお付き合い頂けると幸いです。

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遠い梅雨

遠い梅雨
遠い梅雨
高層天気図では、しばらく前から日本上空に寒冷低気圧が居座っています。そのため昨日一昨日とヒョウが降った所もあるようですが、この寒気に押されて梅雨前線の方はなかなか北上してきません。

梅雨の鬱陶しさは嬉しくないですが、雨が降らないのも困りますねえ。この夏はラニーニャが発生して暑いらしいので、相当の水不足を覚悟しないといけないかも…

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2007年6月 9日 (土)

中国鉄道大紀行 その40 南宋の茶碗

中国鉄道大紀行 その40 南宋の茶碗
5月23日も福建省を旅します。移動距離は約60km。中国シリーズ最短かも知れません。

10:17三明(さんめい)発。前日しょう平から、前々日龍川から乗ってきたのと同じ列車です。一度途中下車すると、なかなか次が来ないんでしょうかね。まあ、関口さんもお疲れでしょうから終盤はゆっくり進んでいるのかもしれません。

16両編成の長い列車が沙渓(さけい)のほとりをゆっくり走って行きます。ダムでもあるのか、広い川幅で川もゆったり流れていきます。

 「日本の方ですか」
関口さん、向かいの女性にいきなり日本語で話かけられました。かなりビックリしています。
 「東京に住んでました」
と隣りの男性。えっ、あなたも!と関口さんさらにビックリしてました。東京の西日暮里で18年間弁当屋をしてたそうです。道理で日本語がお上手ですが、こんな所で「西日暮里」なんてローカルな地名を聞くと、一気に福建省が身近に感じられます。

2時間半ほど、梅干しを食べたり日本食談義をしたあと、12:50南平(なんぺい)着。京王線に南平(みなみだいら)なんて駅があるので、なんとなく親しみがもてます。ここは南宋の頃、陶器の生産が盛んだった街として知られています。ここの陶磁器研究所を訪ねました。

 「はじめまして。よろしくお願いします」
研究所の入口で関口さん、またまた日本語で挨拶をされました。所長さんの娘さんで、大学で日本語を専攻してるとのこと。それにしても「ワンちゃんが吠えてすみません」とか「パパのお手伝いで日本語を勉強しました」とか、実に自然で流暢な日本語で驚きです。余程、勉強してるんでしょうね。

ここでは南宋時代の茶碗の再現を目指して研究をしてるそうです。「パパ」こと所長さんに作品を見せて頂きました。どっしりと重い茶碗は深い光沢をたたえ、内側には青く輝く美しい斑点が‥。斑点の回りは青銀色の光を放ち、星雲のなかに星が煌めくようです。
 「見事な‥」
関口さんも声を失って見入っていました。

「曜変天目」という種類の陶器で、「曜変」は「窯変」つまり窯のなかの偶然の作用で「曜」すなわち星の光のように釉薬(うわぐすり)が変じたことを意味します。「天目」は黒い塗り薬のことで、夜空にボーッと星が輝くような神秘性を持つ一品です。条件を整えて最善を尽くした上で、偶然できるのを待つしかないため非常に貴重で、南宋時代の作品は留学僧が日本に持ち帰った3点しか現存しないそうです。

いずれも日本の国宝に指定されていて、日本に行かないと見ることができません。それで娘さんは、お父さんのお手伝いするために日本語を勉強しているのでした。親孝行な娘さんですね。関口さんも大感激してました。

3点のうち、徳川家康が所蔵していたという一品は、世田谷の静慶堂文庫に所蔵されていて、去年の秋に一般にも公開されていたようです。めったに公開されないので、今年も見られるかどうか分かりませんが、公開されるようなら見に行きたいです。

所長さんにお願いして、関口さんも一つ作らせてもらいました。茶碗の内側と外側をゆっーくり釉薬を浸していきます。さらに内側に筆を使って斑点模様を入れていきます。星雲の下絵ができました。

後日、出来上がった焼き物には氷の結晶のような鋭い模様が浮かび上がっていました。同じように作っても、できる模様が全然違うのですね。本当に不思議な陶器です。

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内閣支持率の推移(2004〜2007)

内閣支持率の推移(2004〜2007)
内閣支持率の推移(2004〜2007)
2004年4月〜2007年2月までの、性年齢別内閣支持率のデータを入力して、グラフにして見ました。なかなか複雑な動きで傾向性は読取りにくいですねえ。

大雑把には「人生いろいろ」の参議院選挙の頃落ち込んだ支持率がじわじわど回復して、郵政解散でピークに達し、しばらくして元に戻ったあと安倍内閣の発足で再びピークに達して急落、という動きを示してます。

性年齢別では小泉内閣は男性の方が支持が高く、20代と70代が40、50代の層よりも強く支持しているのに対し、安倍内閣では女性の支持の方が高く、60代70代の支持が高いけれど若い層にはさっぱりであることが読み取れます。

いろいろな要因があって支持率が変動が起きるのですが、それぞれの要因のインパクトが性年齢別にどのように違うのか、調べてみようと思って入力してみました。でも、ざっとみて思ったより乱高下していて、どうすれば分かりやすく分析できるのか、よく分からないですねえ。もう少し作戦を考えてみることにします。

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中国鉄道大紀行 その39 再開発の街

中国鉄道大紀行 その39 再開発の街
5月22日は、しょう平(しょうはサンズイ偏に章)から三明まで、福建省の山の中を北上します。距離にして100km足らず。列車の都合か、週末の生中継ポイントが近いためか、妙に短い移動です。

朝7:19、しょう平発。前の日に龍川から乗ってきて降りた、同じ列車に乗り込みました。夜行列車なので、座席の皆さんも、ほとんど寝てらっしゃいます。プラスチックの箱を椅子がわりにして寝てる人もいてお疲れ様です。

沿線は円楼ではないのですが、土で壁を作った土楼とおぼしき建物が並んでいます。新緑の山を縫って走っていくて、大きな川を渡りました。沙渓(さけい)という川です。地図では小さく見えますが、車窓の風景は雄大です。

3時間ほどゆっくり走って10:12三明(さんめい)着。人口270万、先ほどの沙渓のほとりに開けた鉄鋼と石炭の街です。沙渓の水運で栄えてきたのでしょう。ただ、最近再開発が進んで重工業の街というより、高層ビルの建ち並ぶ近代的な街に変わりつつあります。

関口さん、街中にインターネットカフェを見つけました。「三友居茶樓」という看板がかかっています。<三人の友の居る高層喫茶店>(樓はやぐら)という意味なのでしょうか。中には60台のパソコンが並んでいます。入っていくと何人かいた若者が、うさんくさそうに振り返ってました。関口さんというより、カメラに反応してたのかもしれません。

関口さんがパスワードの入力に手間取っていると、隣りの席にいた女性が教えてくれました。手慣れた手つきです。1時間50円ほどで、ネットやゲームができるようです。日本にもありそうなネットゲームのポスターが張ってありましたから、そういうゲームで遊ぶ常連さんもいるのでしょう。昨日の円楼とはまた違った世界です。

外に出ると、子供が大勢登校中でした。午後2時ごろです。聞くと、家に昼ご飯を食べに帰って、また午後の授業があるとのこと。うちが近いのが、学校に昼ご飯を食べる場所がないのか分かりませんが、家に帰ったまま出て来ない子供とかはいないんでしょうかね。

街中には、路上で似顔絵を書いたり、靴や服を修理したりする仕事をしてる人が結構沢山いらっしゃいました。靴の代金は10円ですからネットカフェ12分の料金で修繕してもらえます。

 「50年続けてるよ。これしかできないからねえ」
 「この街も全然変わったよ。高層ビルなんてここ数年だし」

と口々におっしゃってました。そういう話を聞くと、数年まえの街がどんな街並みだったか、思い浮かぶような気もしますね。

街並はほんの数年ですっかり変わることもありますが、そこに住む人が急に変ったりはしません。目に見える街の姿だけではなく、そこに住む人の姿にも目を向けると、時の流れが見えてくるような気がします。

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2007年6月 8日 (金)

「懐かしのみんなのうた」放送時間

最近の「懐かしのみんなのうた」は(というのも変な表現ですが)

 日時:    日曜日 午前6:10~6:15
 チャンネル: BS2

で放送しています。放送内容はいまのところ去年紹介した曲が繰り返し流されてますが、違う曲に変わる可能性もあるので注意が必要です。

ちなみに 6月3日は
  「ゆりかごのうた」(ボニー・ジャックス)          
  「四人目の王さま」(坂本  九)

6月10日は
 「怪獣がやってくる」(弘田三枝子)             
 「お山の大将」(立川 清登) 

です。

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2007年6月 7日 (木)

中国鉄道大紀行 その38 客家の円楼

中国鉄道大紀行 その38 客家の円楼
5月21日はなぜかしら真夜中に広東省から福建省に移動します。関口さんも大変ですね。0:30に駅に到着して、1:05龍川(りゅうせん)発。夜行列車に乗り込みます。

すぐ寝台にもぐりこんで目を覚ますと、「東南山国」と言われる福建省の山の中を列車は走っていました。緑の渓谷が綺麗です。

7:10しょう平(しょうはサンズイ偏に章)着。人口27万人の中都市です。朝早くの到着ですが、近くの児童公園には人が集まって運動をしています。50代くらいの女性を中心に太極拳の朝練をしている所でした。ちょっと日本のラジオ体操みたいでもあります。関口さんも早速混じってましたがそこそこ様になってましたね。やってたのでしょうか。

普通の太極拳のあと、扇子を使った太極扇も練習してました。ゆーっくり腕を振ってバッ!!と扇を開く。なかなか格好いいです。この地域で人気だというのも分かる気がしました。

街の近郊の仙都(せんと)という所に円楼という伝統的な建物を見にいきます。近くだと聞いて行ったら2時間半かかったと、関口さんのブログに書いてありましたが、でもそれだけの値打ちのある建物ですね。

昔、華北地方から南下してきた客家(はっか)という人達の暮らす、ドームみたいな建物です。外から見ると、窓も何もなくて大きな倉庫みたいですが、小さな入口から中に入ると、中庭があってぐるりと住居が取り巻いています。この円楼の場合、36世帯126人が暮らして暮らしているのだとか。外から見ると倉庫、中に入ると村という面白い作りになっています。

昔、豚が虎に食われないように、自分たちの財産を守るためにこのような形にしたのだと、住民の方が話してました。客家の人達が移住してきた頃は、回りからの襲撃とかもあったのでしょう。

中庭の真ん中には井戸がありました。今でも水道はなくて、この井戸が命綱です。中庭から同心円状に1階だて2階だて‥と建物が建てられ、一番外側は4階だてになってます。案外高層建築ですね。4階から中庭の方を眺めると洗濯物が沢山干してあるのが見えて、のどかな風景でした。こういう所にずっといると、円楼の中が世界のすべてで、外の世界があることをつい忘れそうな気がします。

今回関口さんが訪ねた「二宜円楼」は世界遺産への登録申請もしているそうなので、遠からずオランダの風車みたいに、人が暮らす世界遺産の仲間入りするかもしれませんね。

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『メトロポリタン美術館』

今日というか、6日23時~の総合テレビ「SONGS」の中で、大貫妙子さん自ら『メトロポリタン美術館』(メトロポリタンミュージアム)を歌ってたようですね。

1984年4月の曲ですからもう23年になりますが、今でも人気があって、昨年末の「みんなのうた三昧」でも映像つきで放送されてたりしました。

大貫さん自身はその番組で
 「食べ物の歌を作りたい。ナポリタン食べたい。ナポリタン‥メトロポリタン‥メトロポリタン美術館!」
なんて経緯でこのタイトルになった、なんて話をしてらっしゃいました。

で、メトロポリタン美術館にちなんだ有名な児童書「クローディアの秘密」の中の、バイオリンのケースをトランク替わりにして、メトロポリタン美術館に探検に行くシーンを歌にされたようです。

天使の像がズズズイと迫ってきたり、ミイラと踊ったり、最後絵に閉じ込められてしまったりと「怖かった歌」の筆頭にあげる人が多い曲ですが、もとはナポリタンですので、怖い要素はありませんでした。でも、ナポリタンのままだったら、20年間も歌い継がれたりしなかったかもしれません。歌の運命は分からないものですね。

★今回のSONGSは6月11日の深夜(12日午前1:50~2:20)に再放送されるそうです。メトロポリタンファンの方、お見逃しなく!

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2007年6月 4日 (月)

中国鉄道大紀行 その37 軟臥の旅

中国鉄道大紀行 その37 軟臥の旅
週末をはさんで5月20日は吉安(きちあん)から龍川(りゅうせん)まで400km余りを南下します。リアル関口さんは、今週末に春編のゴール西安にたどり着くのですが、日めくり版の方はだいぶ水を開けられています。

12:12、吉安から京九線に乗り込みました。「京九」とは北京から香港のある九竜を結ぶという意味で、同じく中国を南北に結ぶ京広線のバイパスとして、90年代に作られた路線です。京浜東北線と埼京線のような関係でしょうか。規模は全然違いますけどね。

いずれにせよ、南北を結ぶ大動脈だけあって、日曜昼間から満員でした。自由席は立つスペースもないほどなので、関口さんは軟臥(A寝台)に避難することにしました。今回の旅行で軟臥が登場するのは初めてです。床にはカーペットが敷かれ、乗務員がにこやかにお出迎えしてくれます。

関口さんが飲み物を頼むと、詳しいメニューを持った乗務員が注文を取りにきます。そしてオーダーを携帯型端末に打ち込むと
 「別のものが運びます」
A寝台だけあって、なかなか近代化されたシステムです。

それから、実際に飲み物が運ばれてくるまで30分かかったのは玉に瑕ですが、自由席の混雑具合を考えると上出来なのかもしれません。ちなみに関口さんのオーダーは「コーヒー」でした。この旅で初めて飲んだそうですから、中国ではコーヒーは珍しいのかもしれません。日本の駅前だと至る所にドトールだの、スタバだの、エクセルシオールだのがあるのですが、その手のチェーン店はあんまりなさそうです。

ほぼ真っ直ぐ南下すること4時間余り、16:41に広東省の龍川につきました。広東省に足を踏み入れるの初めてです。風景はまただいぶ南国風になってきました。近所の侘城という街を訪ねます。漢の頃からある古い街です。

ローラースケートを履いた子供についていくと、お寺がありました。仏教の寺ではなく、孔子を祭る孔子廟です。最近再建されたとかで、宗教に対する規制も緩和されて来てるのでしょう。新しく鐘もつくられていて、論語の一節が彫られていました。プラスチック椅子がいくつか置かれていて、近所の人の憩いの場になっていましたが、なぜにピンク色なのでしょうね。

果物屋には南国らしく榴蓮(ドリアン)が売られていました。関口さんは初めて目にしたらしく、食べた感想は
 「間違って玉葱の中に何か月か置かれていた果物みたい」
まあ、確かにそんな味ではあります。一応果物の王様とも言われているのですけどね。

果物屋さんの向かいでは4、5才ぐらいの子供たちが麻雀をしてました。単なる積み木遊びではなく、サイコロを振って牌をとってましたから、ルールは知ってるようです。でも、関口さんが入ってやり始めると結局、大笑いしながら牌をひっくり返して遊んでましたから、やっぱり子供にとっては積み木なんでしょうかね。

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2007年6月 3日 (日)

中国鉄道大紀行 その36 「北国の春」

中国鉄道大紀行 その36 「北国の春」
5月17日は珠州(しゅしゅう)から東に向かって向塘(こうとう)で途中下車し、さらに南に向かって吉安(きちあん)まで昔、楚の国のあった江西省を旅します。

11:08珠州発。硬臥(B寝台)に乗り込みます。乗車距離は12000kmに達し日本の最長片道切符の旅を越えましたが、まだ今回の旅の3分の1です。関口さん、長旅の疲れのためか胃が痛そう‥。乗り合わせた軍医さんに見て頂いて、朝鮮人参としょうがを練り合わせた漢方薬を頂いてました。しょうがの風味が気に入ったようで
 「うま〜い」
 「こういうの大好き!」
少し元気になったようで何よりです。

長江の支流、韓江に注ぐ袁水に沿って列車は走ります。船頭さんがゆっくり櫓を漕いでいました。白い鳥が沢山歩いていたのはアヒルでしょうか。田園地帯が延々と続きます。

4時間余り走って15:38向塘着。人口15万の小都市で、ネットで調べてみても時刻表ぐらいしたヒットしません。街を歩くとすぐに畑になります。街外れに煉瓦の壁に囲まれて小学校が建っていました。

子供がピュンピュンいいながら走り回っています。休み時間なのでしょう。関口さんが訪ねると英語の授業が始まっていました。中国では小学3年から英語の授業が始まるそうです。

 He is my father.
 Who is she?
 She is my sister!

先生について子供たちが元気に音読していきます。日本の中学1年に相当する内容です。

日本の場合、音読の授業をすると、恥ずかしがって読まなかったり、口パクして読んだふりをするだけだったりで、あんまり効果が上がらないものですが、小学3年ぐらいだとかえって面白がって大きな声で読んでくれるのかもしれません。

授業が終わると子供たちが一斉に、卓球台に向かって駆け出していきました。やはり卓球は大人気ですね。でも台はあってもネットはなくて、煉瓦を並べてネットの代わりにしてありました。

これまで何度か学校を訪問してますが、全般にどこも、校舎や設備が古くて貧弱で、設備投資が進んでいないことが伺われます。街中の設備や列車やロープウェイが、案外新しくて綺麗なのと対象的です。市場経済化しているセクションと公共投資に頼るセクションの違いでしょうか。子供たちはどこでも、元気で楽しそうなんですけどね。

18:10向塘発。今度は南下して吉安に向かいます。硬臥の車両では、突如歌合戦が始まりました。保険会社の社員旅行の一行だそうです。皆さん、なかなかいい声をしてらっしゃいます。日本では、電車のなかで歌をうたう光景などついぞ見掛けませんが(うちの合唱団は歌ってたことがありますが)、中国では珍しくない光景なんでしょうかね。

関口さんも一曲所望されて「日本のうた」を歌うことになりました。でも「日本のうた」を一曲と言われて、何を歌えばいいんでしょう? 関口さんが頭をひねっていると「北国の春!」というリクエストがありました。実はテレサ・テンが1970年代に紹介して以来、中国で「日本のうた」といえば「北国の春」を指すらしいのです。

関口さんも、それなら知ってるとばかりに

 ♪しらかば〜あお〜ぞ〜ら
 ♪みぃな〜あみ〜か〜ぜ

と歌い始めると皆さん、手拍子を叩きながら唱和し始めました。とても列車の光景とは思えませんが、皆さん凄く楽しそうです。高度成長期、地方から大挙都市に移動していった日本人の心情が、中国の人の心にも響いたのでしょうか。

 ♪あのふ〜るさとへ帰ろかな〜
 ♪か〜〜えろ〜ぉかなぁ〜〜‥!

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中国鉄道大紀行 その35 ぐるっと湖南省

中国鉄道大紀行 その35 ぐるっと湖南省
5月16日は長沙(ちょうさ)から珠州(しゅしゅう)まで、直線距離にすると50kmほどの旅です。ただし、この間にぐるっと400kmほど湖南省を巡ります。

11:20長沙発。まずは西に向かいます。列車は程よく混んでいて、向かいの乗客が関口さんに話しかけてきます。

 「どこからきたの?」
 「長沙」
 「長沙はどうだった?」
 「寝てただけ。分からない」

そうなんですよね。夜遅くついて、寝るだけで出発する街も沢山あります。もったいないといえばもったいないですが、そういう街もちゃんと見て回ると、所用日数は倍になってしまうでしょう。

列車は田植えの済んだ平野を走っていきます。古来《湖南熟すれば、天下足る》と謳われた穀倉地域です。西から南、東と進行方向を帰って行って14:35婁底着。演歌風の曲に合わせて水流が変化する「音楽噴水」がお出迎えしてくれました。最近中国では流行っているようです。

婁底は人口400万の工業都市で、アンチモンの生産で有名だとか。ネットで調べると、工場で爆発事故があったり、盗まれた品物の返還大会をやったりと何かと話題が豊富な街です。

関口さんは化学工場ではなく、切り絵細工の工房を訪ねました。「剪紙」というこの地域の伝統工芸で、折った紙をチョキチョキと、魚の姿を切り出しています。「魚」の発音は「余」(あり余る富の意)と同じで縁起がいいのだそうです。

例によって関口さんも挑戦します。先生に教えてもらって、割と上手な手つきでチョキチョキチョキ‥。広げると「喜喜」がつながった形ができあがりました。絵日記に張るには大きすぎましたけどね。

18:16婁底発。さらに東に向かいます。夕食は食堂車で「魚香肉糸」を頂きました。野菜と豚を炒めた物を、砂糖と酢で味付けして魚の味がするようにしたもので、関口さんの最近のお気に入りだそうです。

夜遅く珠州着。きょうも珠州は「寝るだけ」になりそうですね。お疲れ様〜。

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2007年6月 2日 (土)

ムラサキカタバミ

ムラサキカタバミ
ムラサキカタバミ
川べりには、ムラサキカタバミとかハナビシソウとか咲いていて、彩りを添えていました。晴れてますが、風がそよそよ吹いていて、気持ちいいです。

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田んぼ

田んぼ
田んぼ
うちの前の田んぼです。いかにも蛙がいそうな所です。昼間は捕食者に見つからないように、あんまり鳴いてないんですけどね。夜になるとここぞとばかり鳴き出します。

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ちょっと用事があって、さっき京都に戻りましたが、実家の近くは田植えの最中で蛙の鳴き声が響き渡っています。あちこちから、天地が震えるような勢いで聞こえて来るので、思わず足を止めて聞き入ってしまいました。

これから繁殖シーズンで、オスが声の大きさ(≒体力)を競いあっているのでしょう。ハンディキャップシグナルの競争は、かくも大きな声を進化させるのかと思うと、唖然とします。

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2007年6月 1日 (金)

中国鉄道大紀行 その34 市場経済の風

中国鉄道大紀行 その34 雨の漢口
中国鉄道大紀行 その34 雨の漢口
5月15日は随州(ずいしゅう)から漢口(かんこう)、長沙(ちょうさ)と長江を渡って一気に南下します。

9:40随州発。この日は久しぶりに雨でした。16日ぶりということですから、傘を差して玉林を歩き回って以来(その22 羽毛画の街 参照)になります。大体、内陸を旅してますから、雨も少ないのかもしれませんが、水が足りてるのかどうか気になりますね。

沿線は魚どころ、米どころで漢水のほとりに水田が広がっています。田植えがすんでる所もあれば、牛がしろかきしてる所もあります。久々の雨は農作業には救いでしょう。

11:50漢口着。昔、気象通報を聞きながら天気図を書いていた頃には「各地の天気」のなかで

 …漢口では、東北東の風、風力3、晴…

などと毎日耳にしていた馴染み深い地名です。

あるいは、さだまさしの「フレディもしくは三教街」の舞台となった土地でもあります。長江と漢水が合流する交通の要衝で、そのため歌の通り外国の租界(そかい)が置かれて、列強の拠点にもなっていました。

今は人口800万の大都市、武漢の玄関口として、沢山の人が行き交う土地になっています。

関口さんはここの有名の魚料理、武昌魚のあんかけを頂くことにしました。訪れたレストランはもとは陶磁器の国営工場だったものが、リストラされてできたものだとか。市場経済の風はどこでも厳しいのですが、でも、このレストランはとてもサービスがいいという訳ではありませんでした。

魚料理の他にお勧めの3品を頼んで、魚料理を先に持ってくるように頼みます。でも、最初にキクラゲの前菜、次に肉料理、30分ほど待ってレンコンの炒め物、さらに30分ほど待ってようやく魚料理と、武昌魚にありつくまでに1時間以上かかってしまいました。関口さん待ちくたびれて、肉とかレンコンとかつまむものですから、メインディッシュが来る前に「おなか一杯だよ〜」。

巨大なレストランなので、柔軟に注文に応じることができないのか、経費節減で手順がマニュアル化されていて、臨機の対応力が失われているのか。一人でレストランに来る人も少ないでしょうから、おしゃべりしながらの客だと1時間かかってもちょうどいいのかもしれませんが、市場経済の風がサービス向上に直結するわけではなさそうですね。ゼラチン質たっぷりの武昌魚が美味しそうだったのが救いです。

そのあと、川沿いの洋館地域を歩きます。時計台のある建物など、租界があった頃のモダンな雰囲気を伝えています。川べりのレストランからは、漢口と長江の合流地点が見えました。遠くに武漢長江大橋が雨に霞んでいます。

長さ1620m。1957年に長江にかけられた最初の大橋で、それまで長江に遮断されていた南北の陸路が初めて直接つながりました。川面には長江、漢水ともにひっきりなしに船が行き交っています。「九省につながる」といわれる交通の要衝であることが実感できる風景です。

17:10漢口発。長江を渡って南下していきます。線路の右手40kmほどの所を長江が並流していて、そこに赤壁の古戦場があるのですが、そこはまたしても素通りです。21:17長沙着。今日も一日お疲れ様でした!

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