中国鉄道大紀行 その52 文曲星に願いを

ビデオを見返していたら、9月3日の分が見つかりましたので、順番が前後しますが紹介しましょう。
9月3日、秋の旅が再開して2日目です。西安の北方張橋(ちょうきょう)から南東に向かって韓城(かんじょう)で途中下車、さらに東の候馬(こうば)に向かいます。
8:33張橋発。黄土高原の真っただなかです。黄土が雨で削られて、あちこちにギザギザの深い谷が刻まれていました。「水土流出」という言葉が実感されます。きり通しを抜け、谷を渡り列車はまっすぐに走ります。この辺の小麦の収穫はすでに終わったようで、アワの植え付けをまつ畑が平らに耕されていました。
11:15韓城着。「史記」を書いた司馬遷が生まれた街でお墓もここにあります。ただし、今回は司馬遷のお墓にはよりません。
おなかの空いた関口さん、駅前の屋台で涼皮(リャンピー)という蒸し麺を頂きました。手回し送風のコンロで暖めた、もちもちのあつあつでなかなか美味しそうです。でも辛くてしきりに水、水と連発してました。このあたりから麺の旅が続きます。
腹拵えのあと、この街のもう一つの見所、党家村に向かいます。10kmほど北上すると、元の時代に始まり清の時代の建物が沢山残る古い街並みが現れました。
「凄い道だな、これ」
「このままドラマの撮影とかできそうだな」
ぎっしり小さな石が敷き詰められた石畳が、くねくねと続きます。両側にはやはり石造りの家並みが続きます。
しばらく歩くと小学校がありました。古そうな門を潜ると割と広い校庭があって、その一角に六層の塔がそびえています。近くの売店の人にきくと、文曲星(学問の神様)が祭ってあるのだとか。
「昔は貧しくて学校に行けなかった」
「食べ物を買うお金もなく、年15元の授業料が払えなかったんだ」
結局、売店のおじさんは二十歳すぎて小学校に行ったのだそうです。
「孫は全員、大学に行かせるんだ」
そう言って、おじさんは笑ってました。いま64才とのことですが、まだまだ現役で働かれるのでしょう。
ここ党家村は、昔から教育熱心な土地で、240家の小さな村ながら清代には科挙の合格者を5人も出したそうです。文曲星の塔は、そのころ教育への願いと都での出世を祈って建てられたのでしょうね。今も村には12の小学校があって、子供たちが元気に授業を受けていました。
16:10韓城発。黄河を渡って18:07に候馬に着くと、時ならぬにわか雨です。関口さんも乗客の皆さんも、慌ててホームを駆けていきました。
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