中国鉄道大紀行 その63 邯鄲の夢

9月18日は、新郷(しんきょう)から北に邯鄲(かんたん)を経て、太行(たいこう)山脈を横断、長治北(ちょうじきた)にいたります。
8:15、新郷発。
「今日は一日中列車だ~」
走行距離は割と短いのですが、鈍行列車で太行山脈を横断するため、乗車時間は10時間に及びます。昨日も500km程乗ってるのにお疲れ様ですね。
とりあえず食堂車で腹拵え。豚肉、卵焼きの乗ったちょっと豪華なタンメンです。食堂車のシーンが結構ありますが、車窓の景色を眺めながらの食事っていいですね。昔は日本でも新幹線に食堂車があったりしたものですが、今はカシオペアぐらいにしか残っていません。
車窓には、実りの秋を迎えたトウモロコシ畑が延々続いています。
「まだ暑いけど、景色だけは黄色になったねえ」
冷房のない残暑の旅にお疲れ気味の関口さん、感慨深げです。
9:41、邯鄲着。戦国時代に趙の都があった所で、漫画「墨守」にも邯鄲の街は頻繁に登場します。始皇帝が生まれた街、「奇貨置くべし」の舞台としても知られています。現在は人口894万人、鉄鋼業が盛んで、燃料の石炭の煤塵で、鼻の穴まで真っ黒になるのだとか。でも、今日の空は青く澄んでいます。
関口さんは、駅前で見所を聞いて「邯鄲の夢」ゆかりの道教寺院を訪ねました。ただ訪ねてはみたものの、邯鄲の夢ってどういう意味なのかよく分かりません。
「そもそも邯鄲の夢ってどういうことですか?」
「邯鄲の宿を訪ねた青年が仙人の枕で寝たら、試験に受かった夢をみた。美人と結婚して、50年の栄華に満ちた生涯を送った所で目が覚めた。寝る前に炊いたご飯がまだ炊き上がっていなかった」
で、青年は人生のはかなさを悟って修行の道に入ったというお話です。
こういうと単にいい夢をみた羨ましいお話で、修行の道に入る動機が良く分かりませんが、実際は光源氏並みの波乱万丈の夢だったようです。
件の青年・廬生(ろせい)は、夢の中で試験に合格して、官吏として栄進し、首都の長官になります。しかし時の宰相に疎まれて左遷‥。数年後、皇帝に呼び戻され宰相の座につき、皇帝の右腕として善政を敷きました。
しかし、反対派の讒言で謀反の罪を着せられて失脚。親族は死罪となり、自分は流罪となってしまいます。やがて、反対派が失脚すると廬生は再び宰相に返り咲きます。子供たちも次々に高官に登り、栄華を極めていきます。
晩年は病を得、皇帝に辞職を願うもの許されません。良医・良薬のあらんかぎりを尽くして治療されるものの歳には勝てず、ついに逝去‥
という所で目が覚めると、まだご飯が炊けていないという究極の夢落ちなのでした。これだと
「夢で栄辱も富貴も死生もすっかり経験して、先生は欲をふさいでくれました。ありがとうございました」
と言って廬生が出家するのは分かる気がします。
でもやっぱり、これだけの体験をして1時間たっていないというのは、精神と時の部屋みたいで、お得感はありますね。逆にボーッとしてると数十年たってもご飯も炊けないよ、というふうにも解釈できて、そうとると人生の儚さを強く感じさせる話にもなります。
関口さん、絵日記に大きく「夢」と書いて呟きました。
「あっというまの人生だねえ」
「本当に最近実感するよ」
「まだまだやりていことあるけどな」
「のんびりしてると、できなくなっちゃうよ」
12:26、邯鄲発。長々書いた割に3時間ほどの邯鄲滞在でした。ここから1日1本の鈍行列車でゆっくり太行山脈を越えていきます。200キロ余りの所要時間7時間ほど。只見線みたいなゆっくりぶりです。
ここで、20年この路線で働いている車掌さんに出会いました。そう聞くと20年って長いですね。儚いようで長い、長いようで儚い、胡蝶の夢みたいなものが人生かもしれませんね。
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