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2007年10月30日 (火)

中国鉄道大紀行 その70 甘いスープ

中国鉄道大紀行 その70 甘いスープ
9月27日は、新立屯(しんりっとん)から錦州(きんしゅう)、三十家(さんじゅうか)、下坂城(しもはんじょう)と、北京に向けて列車を乗り継いでいきます。

4:22、新立屯発。ずいぶん朝早い出立ですが、錦州からの便が一日一本しかなくて、この時間に出ないと間に合いません。まだ外はまっくらです。

夜が白々明けてきて、6:23錦州着。人口308万人、石油の産する工業都市で、広い駅構内も貨物がメインなのでしょう、人が少なくてガラーンとした感じがします。ここで、三十家行きに乗換えです。

7:33、錦州発。一日一本しかない旅客列車に乗りこみました。おそらく、貨物列車はもっと沢山通ってるんでしょうね。昔あった清水港線も、貨物がメインで旅客は一日一本なことで有名でした。

一日一本の車内は混んでいるのかと思いきや、空いています。空いてるから一本なのでしょう。でも、沿線での人の乗り降りは沢山あります。列車の通過後、線路を大勢の人が横切ってましたし、ホームのないような場所で列車を止めて、お客さんを降ろしたりもしてました。皆さん、大きな荷物を担いで買い出しが何かだったのでしょうか。貴重な生活の足であることが伺われます。

茶色く実ったトウモロコシ畑を過ぎ、緑の木々をくぐってゆるゆると列車は進みます。三十家までは8時間余り。車内でお喋りしてるシーンもなかったので、長かったでしょうねえ。沢山本が読めそうではあります。

15:15、三十家着。お疲れ様です。もとは30しか家がなかったということですが、今でも人口4万人の小さな街です。駅前にも背丈より高いトウモロコシの畑が広がっていました。

 「トウモロコシ穫ってる~」
 「ニーハオー」

関口さんが声をかけると、とれたての実を見せてくれました。おっきなトウモロコシです。子供が葉っぱをむしったりしてお手伝いしてました。

畑の持ち主の家を訪ねると、庭に鶏が一杯ケコケコしています。10kgもある大きなカボチャがなっていたり、ナツメの実がたわわにみのっていたり、ちょっとしたパラダイスです。

 「食べ物一杯だー!」
 「おい、ナツメをとってやれ」

早速、家の人が木に登って4cmほどのナツメの実を手のひら一杯にとってくれました。これを井戸水で洗ってくれます。新鮮で美味しそうです。

実の所、ナツメって食べたことはないのですが、リンゴかナシのような味がして「1日3個食べると年とらない」と言われるほど、滋養があるのだとか。特に手入れしなくても、勝手に実るらしいので、植えてるおうちも多いのでしょう。

さらにご主人、トウモロコシのスープもご馳走してくれました。塩味かと思いきや、なんと砂糖入りです。

 「甘っ!」

やっぱり甘いようです。

 「こっちではこんな風に飲むんですね」
 「でも美味しいよ。甘いのは甘いので」

練乳たこ焼きにつぐ、意外な甘いものシリーズ第二弾でした。そろそろ、列車の時間です。これもご主人が教えてくれました。

 「駅前で大豊作の所に来たのもビックリだけど、なんでこのおじさんこんな親切なんだろう」
 「そっちの方がビックリ!」

17:24、三十家発。世界遺産、避暑山荘のある下坂城に向かいます。今週の旅はこれで終わり。お疲れ様でした~!

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2007年10月29日 (月)

中国鉄道大紀行 その69 モンゴルの歌声

中国鉄道大紀行 その69 モンゴルの歌声
9月26日は夜行でついた赤峰(せきほう)駅をすぐ出発し、化石の街・葉柏寿(ようはくじゅ)を経て、北京への折り返し地点・新立屯(しんりっとん)に至ります。

8:36、赤峰発。人口455万人、内モンゴル自治区南東部の主要都市です。千年余り前、契丹(きったん)族の耶律阿保機(やりつあほき)が遼(りょう)を建国した土地だそうで、そう聞くと世界史履修者には親近感がわきます。その後、遼が滅ぶとモンゴル族が進出し、今でも人口の6分の1はモンゴル族なのだとか。

珍しく空いた列車は広々した内モンゴル平原を東に向かいます。茶色く実ったトウモロコシ畑を、犂を引いた牛が耕してました。彼方には山脈が薄青く霞んでいます。

関口さんが絵日記を書いていると、隣りから鼻歌が聞こえてきました。モンゴル族の青年がハミングしています。「上手ですね」と声をかけると、モンゴルの歌を聞かせてくれることになりました。

 「どういう歌がいいですか?」
 「メロディの美しい奴」

関口さんがリクエストすると、「美しい草原は我が家」という曲をチョイスしてくれました。

 ♪美しい草原は我が家
 ♪風薫り草青く天地肥ゆる
 ♪蝶が舞い鳥たちが鳴く
 ♪碧水は銀色に輝き
 ♪駿馬は白い雲
 ♪牛と羊は真珠を散りばめたよう‥

本当に美しい歌詞ですね。伸びやかなよく通る声は草原の彼方まで響いていきそうです。とても列車の中とは思えません。

 ♪あ〜羊飼いの娘が歌い
 ♪その声は天まで届く〜〜!

 「ほら〜やっぱりうまい人だった!」
 「いぇ〜パチパチパチ!」

お見事です。他の座席の人からも拍手がわきました。モンゴルの人の草原や馬や家畜に対する愛着や誇りを感じさせる歌声が素晴らしかったです。

11:09、葉柏寿着。ここは遼よりもさらに時代を逆上ること1億数千万年、ジュラ紀や白亜紀の化石で知られる街です。恐竜の化石やシソチョウより前の鳥類の化石もここで発見されています。

 《化石 大吉 名札》

と書かれた店を訪ねると、亀やトカゲや魚の化石が色々売られていました。中には、魚の化石を含んだ岩を「福」の形に切り出したものも‥。魚は縁起がいいアイテムらしいので、その辺が「名札 大吉 化石」なのでしょう。

春秋戦国時代の兜、なんてものも売られていて関口さん、例によってかぶってました。160万円の品らしいんですけどね。三国志の漫画に出てきそうな兜で、なかなか似合ってました。「案外軽い」そうですから、青銅製なのでしょう。

CDショップで「中国民歌盛衰」なんてCDを7元(110円)で買って15:00、葉柏寿発。モンゴルの歌を聞いて、音楽魂が目覚めたのでしょうか。これからの道中、新しい作品が生まれるかもしれませんね。

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中国鉄道大紀行 その68 長城遠望

中国鉄道大紀行 その68 長城遠望
9月25日は沙城(さじょう)から万里の長城にほど近い昌平(しょうへい)、懐柔北(かいじゅうきた)を経て赤峰(せきほう)に向かう夜行列車に乗ります。

雲崗の石窟を過ぎると馴染みのない地名が次々に出て来ますね。北京の近辺なんですけど、いかにこの辺を知らないかよく分かります。

沙城は人口20万ほどの小さな街で、Googleで検索すると葡萄网とか葡萄酒といった言葉がでてきました。葡萄の産地のようで、駅近くでも葡萄を満載したトラックを見掛けます。

 「うちの庭で葡萄が食べられますよ」

関口さん、トラックの持ち主に声をかけられてご馳走になりにいきました。

マスカットみたいな透明感のある緑の大粒の実がたわわにみのっています。馬乳子(マナエツ)という高級品種です。ウルムチとかカシュガルといった西域の特産品なのですが、大消費地・北京の需要を当て込んでこのあたりでも栽培されているのでしょう。

 「うま〜〜!」

もぎたてを頂いた関口さん、目を白黒させてました。美味しそうです。うちの中も案内してもらいましたが、大型のテレビとか豪華な結婚アルバムとかもあって、葡萄の威力が伺われました。

13:07、沙城発。北京市内の昌平に向かいます。北京近辺はさすがに鉄道網が発達していて、一筆書きにするとくねくねといったりきたりすることになります。北京に接近するのは、天津、豊台について3回目で北京市内に入るのも2回目。でも、北京駅につくのはもう一度遠回りして6日後になります。

昌平が近付くと列車の左手に万里の長城が見えてきました。尾根に沿って登り下りし、所々に櫓のあるお馴染みの風景です。鉄道から見える所もあるのですね。野を越え山を越え総延長6800kmに及ぶ巨大建造物です。

騎馬民族からの防御ラインですから、野を越えて作る必要性は分かりますが、山を越えて尾根沿いに張り巡らす必要性はいまいち分かりません。山越えで騎馬隊が攻めてくる可能性は少なそうですが‥。なんとなく惰性で作ったのかなあという気もしますが、その割には気合いが入った建造物ですね。

16:17、昌平で乗換えてまた北京から離れて行きます。学校帰りの中学生が国語の宿題をしてました。関口さんがのぞきこむと

 「これ読める?」

と聞かれてしまいました。まるで分かりません。仕方がないので日本語の挨拶を教えるとお礼に月餅(げっぺい)を分けてくれました。今日は中秋の名月です。「うーさぎ、うさぎ、何見て跳ねる」を中国語に訳してもらって中学生たちと一緒に歌いました。楽しい中秋の名月ですね。

19:12、懐柔北着。中学生たちともお別れです。「気をつけて!」っと手を振ってくれました。2時間足らずの出会いなんですけどね。ありがたいものです。21:27懐柔北発。今日は硬臥寝台でおやすみです。

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2007年10月26日 (金)

中国鉄道大紀行 その67 車、川を走る

中国鉄道大紀行 その67 車、川を走る
9月24日は原平(げんぺい)から大同(だいどう)の雲崗石窟を訪ね、沙城(さじょう)に至ります。

10:12、原平発。一つ伸びをして関口さん、客車に乗り込みました。ポプラ並木が青空に映えて綺麗です。これから向かう大同は、山西省第2の都市で、石炭の大産地として知られています。沿線にもちらほら炭田が姿を現しはじめました。所々に石炭がうずたかく積まれています。それ一方、禿山が増えてきました。

ちらっと道路が見えましたが、石炭を積んだトラックが延々と渋滞してます。

 「何kmの渋滞なんだー」
 「はてしねーなー!」

石油へのエネルギー転換が進んでいるとはいえ、中国のエネルギーが石炭に依存する率は7割を越えます。火力発電や製鉄から、各種工場のボイラーや家庭の暖房や炊事に至るまで石炭が広く使われています。遠くは酸性雨や温暖化の大きな原因になるとともに、近くでは石炭の輸送のために激しい渋滞を引き起こしているのでした。

 「うわ~、川入ってるよ、これ!」
 「回り道してんじゃないの?」

関口さんの指さす方を見ると、トラックが川の中をゴゴゴゴと走ってました。渋滞を避けて近道してるのですが、ちゃんと川から上がれるようになってるのでしょうか。「船、山を越える」というのはオスマントルコのコンスタンチノーブル攻めですが、「車、川を走る」光景なんてみようとは‥。運転手さんも大変ですね。事故など起こされませんように。

石炭を満載した貨物列車ともすれ違いました。長い長い‥。これも延々100両が連結されています。鉄道輸送も実は石炭の輸送が大半をしめて旅客の輸送を圧迫し、客車がいつも満員になっているのだとか。

14:16、大同着。人口230万人、石炭の採掘と並んで雲崗(うんこう)の石窟があることでも知られています。5世紀に中国北部を統一した北魏の4代皇帝・文成帝が、仏教の力を借りて多くの民族を治めるために建てのが、雲崗の石窟寺院です。東西1kmにわたる崖に40〜50の石窟が掘られています。

 「でかっ!!でかいね~!」

石窟の中には大仏さまが鎮座ましまして微笑んでいます。如来座像です。

 「うわっ!凄い!」
 「なんじゃこりゃぁ~!!」

第6窟には、無数の仏像が天井までビッシリ描かれていました。システィナ礼拝堂にミケランジェロが書いた天井画みたいで、迫力があって圧倒されます。「アダムの創造」は聖書の創世記の世界ですが、こちらは釈迦の生誕から入滅までを絵で表わしたものだそうです。絵巻物か、今ならアニメーションといった所でしょうか。

雲崗の石窟は大同の市内から20kmほど離れているのですが、ここにも石炭採掘の影響が現れていました。仏像の中には石炭の粉で黒ずんで、指でなでると指が黒くなってしまうようなのもあります。すっかり、粉塵が染み付いて取れなくなってしまったものも‥

 「これ造るときは、石炭使うなんて考えなかったろうしね」

とはいえ、これでは世界遺産が台無しになってしまいます。何とか対策が講じられないでしょうかね。

18:37、大同発。夕焼けがくれていくのを眺めつつ、内モンゴルからきた女性と話をしてるうちに、22:20沙城着。お疲れ様でした~!

 

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2007年10月25日 (木)

次回のリクエスト 「展覧会で逢った女の子」

次回10月26日のみんなのうたリクエストは、1980年6月初回放送の「展覧会で逢った女の子」です。私の頭の中では「新しめの曲」なのですが、27年も前の曲になるんですね。

シャガール、ピカソ、ルノアールの絵と、それを見て泣いたり笑ったり怒ったりする女の子たちと、その女の子たちを見ている主人公のお話です。歌だけでは、なぜピカソの絵を見て怒ったり、ルノアールの絵を見て笑ったりするのか分かりませんが、そこはそれ、アニメーションをみると分かる仕掛けになっています。シャガール風、ピカソ風、ルノアール風のアニメーションも芸が細かくて好きですね。

しっとりした出だしから一転コミカルになる曲は、「ルパン三世」の曲を手掛けられた大野さんの作曲。見どころも聞きどころも沢山ある曲です。

ちなみに、みんなのうた缶によると、「青いサーカス」、「座る女」、「イレーヌ・カーン」の絵はいずれも実在して、それぞれ「青いサーカス」、「マリー・テレーズ・ワルテルの肖像」、「イレーヌ・カーン・ダンヴェルス嬢の肖像」というタイトルなのだそうです。

放送は10月26日14:35~14:50頃に総合テレビの予定です。

『展覧会で逢った女の子』
うた 新井満
作詞 新井満
作曲 大野雄二
アニメーション 堀口忠彦
初放送月 1980/06

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2007年10月24日 (水)

中国鉄道大紀行 その66 お釈迦さんの手

中国鉄道大紀行 その66 お釈迦さんの手
週が変わって9月23日は、五台山(ごだいさん)から原平(げんぺい)まで100km足らず、2時間ほどのショートトリップです。

五台山は峨眉山や普陀山と並ぶ仏教の聖地です。標高3058mと聞くと急峻な岩山かと思いますが、実際はなだらかな高原状の山で険しさは感じません。「釈迦の手のひら」とも呼ばれ、五本の指に当たる五つのピークが、手のひらに当たる高原をとりまき、そこに寺院が点在しています。

出発が3時すぎなので、それ間に関口さんは五台山に登ってみました。秋晴れに澄んだ真っ青の空が広がっています。眼下には木の生えない茫漠たる大地。

 「広いね~~!わ~~!!」
 「五台山て、たっかい所にあんだねえ~」

遠くには太行山脈が延々と連なっているのが見えます。これはいい所ですね。関口さんも地面に腰掛けてしばし、風の音に耳を済ませていました。

寺院の形をした五台山の駅にもどってきて、駅前の小さな旅館でジャスミンティーを頂きます。結構繁盛してるようです。

 「2008年には、もっと増えるわ。そうオリンピック」

五台山まで高速を使えば北京から3時間ですから、確かに観光客は増えそうです。

 「オリンピックで五台山に人が増えるんだ。あちこちに波及効果があるもんだねえ」
 「僕なんか、こんにちは~♪ こんにちは~♪の時代、知らないしねえ」

関口さん、何を思ったか大阪万博のテーマソングを歌い始めました。まあ、64年の東京オリンピックはおろか、70年の大阪万博のときも生まれてらっしゃいませんからね。万博も遠くなりにけりです。

15:25、五台山発。巡礼帰りの人達が長い列を作っていました。中秋の名月で食べる月餅(げっぺい)を持っている人もいます。黄土高原のトウモロコシ畑の中を西に向かいます。時々谷が切れ込んだ地形は相変わらずですが、トウモロコシの実りは豊かなようです。この辺は割と雨が降るのかもしれません。

高校生の一団が乗ってて車内はかなり混んでました。下校途中かと思いきや、これから学校にいくのだそうです。全寮制の学校で週末家に帰って、週のはじめに学校に戻るそうです。

 「家と学校、どっちが楽しい?」

関口さんが尋ねると

 「学校の方が楽しい。友達がいるから」

とのことでした。学校が楽しいのは何よりですが、家がつまらないのだとすると気の毒です。ファッションとか、学校で不自由なことについてきくと

 「外で外食すること」
 「インターネットも」

という答えでした。外出できないのでインターネットカフェに行けないのだそうです。学校にはインターネットがないんでしょうかね。彼女らにとっては、ネットはネットカフェで見るものなのかもしれません。

高校たちに関口さん、月餅を分けてもらいました。お母さんの手作りだそうです。砂糖、ゴマ、ドライフルーツが入ってますが、甘さは控え目だったようです。

高校たちと別れて17:33、原平着。一週間、気をつけて行って来て下さい!

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2007年10月23日 (火)

中国鉄道大紀行 その65 たたみだ〜!

中国鉄道大紀行 その65 たたみだ〜!
9月20日は石家荘(せっかそう)から東に北京郊外の豊台(ほうだい)まで行き、また西にバックして五台山(ごだいさん)にいたります。

河北省の省都、石家荘は人口910万の大都市です。男性合唱曲「草野心平の詩から」のイメージが私なんかは強いのですが、茫々の~平野~下りて~という感じでは、もうないようです。

関口さんがお昼ご飯を食べにきたのは、当地で人気という庭園風レストラン。温室のなかに、木を植え池や滝の傍らに席を設けたしゃれたつくりです。

 「う~ん、なんじゃこりゃ」
 「室内森林?」

バイキング形式で有機野菜など200種の食材を選んで調理してもらうシステムでした。食材を選ぶシステムは広州にもありましたね。こういうのも楽しそうです。

12:46、石家荘発。北京市内に向かいますますが、北京駅までは行かないで寸前で引き返す不条理な行程です。広大な畑作地帯を東に向かいます。頭にスカーフを巻いた女性の二人連れがいました。青海から来たという回族の方です。

 「結婚したら頭にスカーフを巻くものなの」

だそうです。青や緑のフワッとしたスカーフがなかなかお洒落でした。車内には川口能活選手が好きで日本語を勉強してるという女性も。いろんな動機があるのですねえ。

17:38、豊台着。すでに北京の市街地で車がビュンビュン走ってます。所々に大都会がある国です。駅の近くの日本料理店で晩ご飯になりました。

結構大きな店で、着物の女性がくねくねと奥に案内してくれます。襖に花魁の絵が書かれてたりして、日本情緒?が演出されています。関口さんが案内されたのは、たたみの間でした。

 「ワォー、たたみだーー!」
 「良かったね、これ!!」

関口さん、たたみを見るなりうつぶせで倒れこんで、全身でたたみの感触を味わってました。よほど懐かしいのでしょうね。

着物をきた地元の女性がお酌をしてくれます。

 「しみじみのめば~しみじみと~♪」
 「気分は日本って感じ!」

ご機嫌です。日本料理店は上海以来でしょうか。あの時も、ざる蕎麦を白目を剥いてうめー!って召し上がってらっしゃいました。長期間の旅ですから、日本食がひときわ体に染みるのでしょう。お疲れ様です!

ひとしきり日本気分を味わって、20:56豊台発。夜行の軟臥(A寝台)で五台山に向かいます。乗り合わせたイギリス人のご家族に日本酒を振る舞ったり、関口さん、ずっとハイテンションでした。

午前3時、五台山着。外はまっくらです

 「星が綺麗だね~」

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2007年10月22日 (月)

中国鉄道大紀行 その64 ヤオトン訪問

中国鉄道大紀行 その64 ヤオトン訪問
9月19日は、長治北(ちょうじきた)から楡次(ゆじ)を経て石家荘(せっかそう)まで、黄土高原を北上します。

8:09、長治北(ちょうじきた)発。朝の気温は8℃でした。山の中だけあって冷え込んでますね。夏の気温から一気に下がって関口さん、寒そうです。

列車はかなり古いタイプの客車で、緑のシートが懐かしい感じを誘います。車内では編み物をする人がちらほらいました。冬物の衣類が主ですが、中には毛糸のスリッパを編む人も。これはなかなか暖かそうです。

関口さんが絵日記を書いてると、書画を専門にするという人が話しかけてきました。

 「画家ですか?」

そういう訳でもないのですが、やっぱり目を引くようですね。書画家の先生、古い字体の漢字で関口さんの名前を書いてくれることになりました。良く建物に書かれているような隷書(れいしょ)や、判子の字体に使われている篆書(てんしょ)です。

書いたのを見掛けることはあっても、書いてるところは滅多に見掛けません。なかなか面白い書き順です。関口の「関」だと、普通左上から門がまえを書いていきますが、右から書いたり、「關」の中から書き始めたり。要は形を整えやすいように書いてるのだと思いますが、見ていてちょっと新鮮でした。

6時間余り列車に揺られて14:28、楡次着。古い街並が残り、ドラマの撮影なんかも行なわれる街ですが、列車の中で、ここでヤオトンが見られるという情報をつかんだ関口さんは、そちらに向かいました。車で走ること30分ほどで、後溝村着。200人ほどがヤオトンで暮らす村です。

ヤオトンは、黄土の崖に横穴を掘った住居です。村に入るとあちこちの崖に穴が掘ってあるのが見えてきました。粘土でできた茶色の道沿いにも家が並んでいます。そのうち一軒の門を潜ると、中庭みたいになっていて、女の人達が木陰で麻雀をしてました。ちょっと意外な光景です。

ヤオトンの中に案内してもらった関口さん、思わず

 「リャンファイ!(涼しい!)」

洞窟なので、夏は涼しく冬は暖かいのです。その一方、中は白く壁が塗られ、ベッドや家具なども置かれていて、全然崖に掘った穴という感じがしません。普通の快適そうなうちです。ベッドは下にまきをくべる穴があって、冬場は暖房具としても使われるようです。

100年前の眼鏡というのもありました。大きな黒ぶち眼鏡で、今のデザインとは全然違いますが、今のご主人の祖父、父から受け継がれてきたそうです。

 「眼鏡かけると字が読めるんだ」

ご主人さんはそう言って笑ってました。時間がゆったり流れているようです。

表では、白い犬と黒い猫が仲良く寄り添っていました。二匹がお互いにペロペロ舐めあっているのをみた関口さん、

 「どうなの、その関係は、君たち?」
 「犬と猫なのに仲良くなってしまうほどまったりとしたこの空気」

ヤオトンの村では、色々予想外の光景が展開していました。

 「乾いた土見てると過酷なイメージがあったけど、何、このやすらいだ雰囲気」
 「ちょっと想像してませんでした~!」

17:32、楡次発。綺麗な夕闇のなかを東に向かいます。21:58石家荘着。今日も10時間余りの鈍行列車の旅、お疲れ様でした!

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2007年10月21日 (日)

仙石原散策路

仙石原散策路
仙石原散策路
仙石原の散策路はバス停から一直線に伸びていて、往復20分ほどのコースです。ぐるっと回れるようになってるといいのですが、行って帰ってくるだけ。まあ、道が増えると、その分ススキへのダメージも増えますから、しょうがないのかもしれません。

所々わき道もありますが、行き止まりみたいで、昨日の雨で滑りやすくなっていたのであんまり入りませんでした。

一度わき道に入って、望遠で撮ったときのも載っけたおきますね。

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セブンスターの切り株

セブンスターの切り株
セブンスターの切り株
とある切り株にセブンスターが箱ごと置いてあるのか、忘れてあるのか、落ちているのかとにかくあったので「セブンスターの切り株」と命名しました。

切り株からの景色では、美瑛にあるセブンスターの木と、そんなに見劣りしません。

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仙石原

仙石原
仙石原
仙石原のススキを見てきました。例年より少し遅めで、ちょうど見頃でしたね。

朝9時半新宿発のバスは満席で補助席まで一杯。さすがはハイシーズンとか思ったのですが、かなりの人が御殿場のアウトレットで降りて、そちらも人気のようです。

仙石原には11時半着で2時間程でつきます。日曜だけあって結構賑わってました。仙石高原のバス停からススキの原のなかをズドンと行って帰る散策路があって、人が行き交っています。

所々脇に入る道があって、ススキに埋もれてあるくことができました。ただし、いきなり深い溝があったりするので要注意。

前後左右広々したススキの原を写真に撮るのは結構難しくて、なかなか感じがでません。光の角度とか試行錯誤して撮ってみましたが、どうでしょうか?

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2007年10月20日 (土)

中国鉄道大紀行 その63 邯鄲の夢

中国鉄道大紀行 その63 邯鄲の夢
9月18日は、新郷(しんきょう)から北に邯鄲(かんたん)を経て、太行(たいこう)山脈を横断、長治北(ちょうじきた)にいたります。

8:15、新郷発。

 「今日は一日中列車だ~」

走行距離は割と短いのですが、鈍行列車で太行山脈を横断するため、乗車時間は10時間に及びます。昨日も500km程乗ってるのにお疲れ様ですね。

とりあえず食堂車で腹拵え。豚肉、卵焼きの乗ったちょっと豪華なタンメンです。食堂車のシーンが結構ありますが、車窓の景色を眺めながらの食事っていいですね。昔は日本でも新幹線に食堂車があったりしたものですが、今はカシオペアぐらいにしか残っていません。

車窓には、実りの秋を迎えたトウモロコシ畑が延々続いています。

 「まだ暑いけど、景色だけは黄色になったねえ」

冷房のない残暑の旅にお疲れ気味の関口さん、感慨深げです。

9:41、邯鄲着。戦国時代に趙の都があった所で、漫画「墨守」にも邯鄲の街は頻繁に登場します。始皇帝が生まれた街、「奇貨置くべし」の舞台としても知られています。現在は人口894万人、鉄鋼業が盛んで、燃料の石炭の煤塵で、鼻の穴まで真っ黒になるのだとか。でも、今日の空は青く澄んでいます。

関口さんは、駅前で見所を聞いて「邯鄲の夢」ゆかりの道教寺院を訪ねました。ただ訪ねてはみたものの、邯鄲の夢ってどういう意味なのかよく分かりません。

 「そもそも邯鄲の夢ってどういうことですか?」

 「邯鄲の宿を訪ねた青年が仙人の枕で寝たら、試験に受かった夢をみた。美人と結婚して、50年の栄華に満ちた生涯を送った所で目が覚めた。寝る前に炊いたご飯がまだ炊き上がっていなかった」

で、青年は人生のはかなさを悟って修行の道に入ったというお話です。

こういうと単にいい夢をみた羨ましいお話で、修行の道に入る動機が良く分かりませんが、実際は光源氏並みの波乱万丈の夢だったようです。

件の青年・廬生(ろせい)は、夢の中で試験に合格して、官吏として栄進し、首都の長官になります。しかし時の宰相に疎まれて左遷‥。数年後、皇帝に呼び戻され宰相の座につき、皇帝の右腕として善政を敷きました。

しかし、反対派の讒言で謀反の罪を着せられて失脚。親族は死罪となり、自分は流罪となってしまいます。やがて、反対派が失脚すると廬生は再び宰相に返り咲きます。子供たちも次々に高官に登り、栄華を極めていきます。

晩年は病を得、皇帝に辞職を願うもの許されません。良医・良薬のあらんかぎりを尽くして治療されるものの歳には勝てず、ついに逝去‥

という所で目が覚めると、まだご飯が炊けていないという究極の夢落ちなのでした。これだと

 「夢で栄辱も富貴も死生もすっかり経験して、先生は欲をふさいでくれました。ありがとうございました」

と言って廬生が出家するのは分かる気がします。

でもやっぱり、これだけの体験をして1時間たっていないというのは、精神と時の部屋みたいで、お得感はありますね。逆にボーッとしてると数十年たってもご飯も炊けないよ、というふうにも解釈できて、そうとると人生の儚さを強く感じさせる話にもなります。

関口さん、絵日記に大きく「夢」と書いて呟きました。

 「あっというまの人生だねえ」
 「本当に最近実感するよ」

 「まだまだやりていことあるけどな」
 「のんびりしてると、できなくなっちゃうよ」

12:26、邯鄲発。長々書いた割に3時間ほどの邯鄲滞在でした。ここから1日1本の鈍行列車でゆっくり太行山脈を越えていきます。200キロ余りの所要時間7時間ほど。只見線みたいなゆっくりぶりです。

ここで、20年この路線で働いている車掌さんに出会いました。そう聞くと20年って長いですね。儚いようで長い、長いようで儚い、胡蝶の夢みたいなものが人生かもしれませんね。

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2007年10月18日 (木)

次回のリクエスト 「ふうせん」

次回、10月19日のみんなのうたリクエストは1999年2月初回放送の「ふうせん」の予定です。作詞作曲うたの小島麻由美さんがアニメーションの製作までやったということで有名な作品です。

ご自分で1800枚に及ぶセル画を書かれたとか。ミュージシャンによるアニメの自作は今のところ空前絶後です。放送は明日14:35~14:50ごろの予定です。

「ふうせん」
うた 小島麻由美
作詞 小島麻由美
作曲 小島麻由美
編曲 小島麻由美/清水一登
アニメーション 小島麻由美
初放送月 1999/02

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中国鉄道大紀行 その62 民明書房の世界

中国鉄道大紀行 その62 民明書房の世界
9月17日は任丘(にんきゅう)から一気に400kmを南下し、武術の街・荷沢(かたく)から新郷(しんきょう)に至ります。

10:21任丘発。昨夜遅くついた関口さん、ボサボサの頭でカップ麺の朝食です。一面の綿畑の中を列車は南下していきます。ちょうど収穫の時期で、三輪トラックが白い綿の実を満載して走っていました。

先週、6時間かけて泰山から天津まで北上したよりも長い距離を今度は南下していきます。地図をみるとうんざりしそうな行程ですが、車窓はその分たっぷり眺められます。車内では子供が李白の詩をモチーフにした絵本を見てました。

 林前見月光  (林の前に月光を見る)
 疑是地上霜  (疑うらくはこれ地上の霜かと)
 挙頭望山月  (頭を挙げて山月を望み)
 低頭思故郷  (頭を低くして故郷を思う)

美しい詩ですが、子供には難しそうですね。

黄濁した水が流れる黄河を渡って、15:36荷沢着。人口876万人の大都市です。書画、戯曲、羊の産地だそうですが、孫子の生まれ故郷で武術の街としても有名で、全国から子供たちが武術を習いに集まってくるそうです。

街中には60もの武術学校があって、日々鍛練に励んでいます。その中の一つ「荷澤双河文武学校」を訪ねました。午前中の勉強(文)の時間がすんで、午後の習練(武)の最中です。

広いグランドの一角で散打(中国式ボクシング)の練習をしてました。グローブをつけてる所はボクシングスタイルですが、足が飛んできたりしてキックボクシング風でもあります。先生がいうには

 「普通のボクシングは拳だけど、散打は足、ひざ、投げもあるんだ」

なんと、投げてもいいそうです。亀田選手は散打の方が向いてるかもしれませんね。

この学校では、7才から18才までの160人が寮生活を送っています。小さな子供たちも体術の基礎練習をしていました。

 「こんな頃からやってると、うまくなるんだねえ」

上級生たちは見事な身のこなしで、飛び上がり、転がり、伏せ、回転し‥
ここを卒業して映画のスタントマンやガードマン、あるいは雑技団に就職する人が多いとか。

 「きびきびして格好いい!」
 「はじめて見るよ、こういう学校」

素手の他にヌンチャクや鞭を使う流派も練習してました。関口さん、鞭を使う試技を見学させてもらいましたが‥

3~4mほどの鞭がビュンビュンうなりをあげて飛んできます。羊飼いの鞭にヒントを得た牧羊鞭という技です。鞭が地面を叩くと、バン!バン!という音がしはじめました。さらに空中で巧みにくねらせると、またバン!バン!

 「何そのでかい音!?」
 「爆竹でも入ってるの?」

もちろん爆竹なんて入ってなくて、麻でできた穂が先についてるだけです。関口さん、鞭を借りて自分でも振ってみました。

 ペシッ、ペシッ

気の抜けた音がするだけです。

 「全然なんねーじゃん!」

鳴らないばかりか、地面で跳ねた鞭が関口さんに当たって痛そうです。見物してた子供たちがクスクス笑いをかみ殺してました。

もう一度お兄さんが目にも止まらぬ速さで鞭を振ると

 バン!バン!

と大きな音が鳴り響きます。

 「本当に爆竹なし?」
 「メイヨー(入ってないよ)」

関口さん、納得してないようでしたが、見事な技を見せてもらいました。民明書房の書物に出てきそうな世界が実在するのですねえ。

18:57、荷沢発。冷房のない硬臥(B寝台)で新郷に向かいます。ちょっと暑いので軟臥(A寝台)に涼みに行った関口さん、そこで知り合った家族にピーナッツを振る舞われて、お礼に「お馬の親子」を歌ってました。歌に合わせて踊る子供が可愛かったです。両親が共働きで幼稚園の先生に習ったのだとか。武術を習う子も、お遊戯を習う子も、両親から離れて偉いですね!

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2007年10月17日 (水)

つつじヶ丘の夕暮れ

つつじヶ丘の夕暮れ
日が落ちるのが早くなりましたねえ。新宿から帰る途中、ふと外をみると綺麗な夕焼けでした。

最近はいつの間にか暗くなることが多いので、久しぶりに夕焼けをみた気がします。

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2007年10月16日 (火)

中国鉄道大紀行 その61 天津の夜

中国鉄道大紀行 その61 天津の夜
9月16日は天津(てんしん)で実況をしたあと、夜に西方の任丘(にんきゅう)に向かいます。

出発が遅いので晩ご飯は天津ででした。天津というと天津飯とか天津甘栗といった食べ物が思い浮かびますが、いずれも天津の食べ物ではないそうです。

天津飯は天津から輸入した米にカニ玉を乗っけた日本の食べ物、天津甘栗は天津から輸入した河北省や山東省の栗でつくった甘栗のことで、どちらも国際貿易港としての天津にちなんで名付けられた食品です。貿易港としての歴史は1858年のアロー号事件にさかのぼり、その時結ばれた天津条約の結果、北京の外港として開港することになったのでした。

そんな訳で天津には英仏を始めとする列強の租界が置かれ、中国でも独特の雰囲気を醸しだしています。関口さんが晩ご飯を食べに向かったのは、イギリス租界の一角でした。

 「いつもの景色と違うねえ~」
 「凄い建物だ!」

洋風の建築が見事にライトアップされ、きらびやかな電飾が瞬いています。確かにいつもの中国の風景ではありません。その中に一際立派なホワイトハウスみたいなレストランがありました。〈成桂西餐〉の文字がかかっています。今日はここで豪華に夕食です。

1937年に建てられたイギリスの商館で、有名なスターが住んでいたこともあるとか。誰か調べようと思って検索してみましたが、中国語のページばかりで歯が立ちませんでした。改革開放後はレストランとなり、多くの人で賑わっています。

3階の大きな部屋に案内された関口さん、一番伝統的な料理を注文したところ

 「ステーキがお勧めです」

とのこと。いいですねえ~。ローソクも灯されて一人ではもったいない雰囲気です。通訳の方やスタッフの皆さんは食べないのでしょうか?

 「黒コショウのソースです」

ということで200g5000円のサーロインステーキが出てきました。1、2階はほぼ満席でしたから、この価格帯のレストランに来れる人も相当いるようです。

 「いただきまーす!」

関口さん、肉を切って口に運びました。柔らかくてとてもジューシーに見えます。

 「あーーーうまい!」
 「これはうまい!!」

またまた白目を剥いてしまいました。これは美味しそうです。

 「レトロモダンのステーキの味がちゃんとする」

なかなか贅沢な晩ご飯になりました。お疲れですから、こういうの食べて元気つけて欲しいです。

21:33天津発。改築中の仮駅舎から出発した列車は、出稼ぎの人と学生で満員でした。喧嘩でもしてるのか大きな声も聞こえます。また現実に帰ってきました。

近くの席の人が関口さんにナツメをお裾分けしてくれました。皮を剥いて食べようとすると

 「皮剥かないで、そのまま食べて」
 「血の巡りが良くなるよ」
 「小さなリンゴだ!」

場の雰囲気が和んでお喋りが始まりました。これもまた現実です。相席の女の子たちとお話するうちに、23:48任丘着。小さな駅で駅員さんが一人で改札してました。

 「まっくらだわ。寝よう」

また新しい一週間が始まりました。お気をつけていってきて下さい!

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2007年10月15日 (月)

中国鉄道大紀行 その60 泰山七千段

中国鉄道大紀行 その60 泰山7000段
9月13日はシ博から道教の聖地・泰山(たいざん)に登り、さらに天津(てんしん)に向かいます。

7:02、シ博発。各駅停車の鈍行列車は珍しくガラガラでした。朝早いせいでしょうか。

 「今に来るさ~」

関口さんの言うとおり、しばらくするとどんどん人が乗ってきていつも通り満員になりました。各駅停車は料金も安く、地元の人の生活の足になっているようです。お母さんに誕生日のお祝いを持っていく人、車内でギターの練習をする人‥

満員の車内でギターを弾く人ってあまり見ませんね、日本では。周りの人も特に苦情をいうでなく、聞いてたようです。弾き初めて2ヶ月だそうですが、結構上手でした。

ススキ混じりの畑作地域を列車はゆっくり走ります。180kmの道程を6時間ほどかけるそうですから時速30kmぐらい。本当に鈍行列車ですね。

12:45、泰山駅。4時間ほどの乗換え時間に、道教の聖地五岳で最も尊いとされる泰山に登ります。人間の寿命を記録した台帳があるとされたり、歴代皇帝が天下統一を天に報告する「封禅の儀式」が行なわれたりする山としても知られています。

標高は1545mで歩いて登ることもできますが、時間がないのでバスとロープウェイを乗り継ぐことになりました。

 「実は俺、乗るの怖いんだよね。ロープウェイ」
 「何度も乗ってるけど‥」

ロープウェイが怖いという人は時々いますが、旅番組のレポーターが怖いのはちょっと困りますねえ。

 「怖くなってきた‥」
 「こえ~~!怖い~!!」

泰山の山あいに、関口さんの叫び声がこだましました。

15分でロープウェイ終着、南天門着。天国の玄関で、入ったら仙人になるとも言われています。

 「涼しいぞ、ここ~」
 「景色も涼しい~」

少し元気になった関口さん、山頂近くの道教寺院を目指します。やがて、下から歩いて登ってくる石段に合流しました。遥か谷底まで石段が続いています。その数、なんと7000段!!

鉢巻きして手ぶらでよたよた登って来る人、リュックをしょって両手を石段につきながら登ってくる人、カメラで写真とりながら休み休み登ってくる人‥。金比羅山で1300段余りを1時間かけて登ったときも相当こたえましたが、その5倍の石段は想像を絶します。

 「ずっと登ってきたの?」

《泰山 全家平安》と書いた赤い鉢巻きした人にきいてみると

 「そう。腰が折れそうだよ」

そういうなり石段に座りこんでしましました。5時間半かかったそうです。確かにそれぐらいかかるでしょうね。

 「シンクー!(お疲れ様!)」

登山の目的を尋ねると、仕事が忙しくてようやく休みとれたのでリラックスしに来たとのこと。腰が折れそうなほど石段を登っててリラックスもないような気がしますが

 「体は疲れないけど、頭は疲れないからね」

普段は頭脳労働してらっしゃるのでしょう。いやいやお疲れ様です。存分に気分転換して下さい!

関口さんも石段を登ったり降りたりして寺院を目指しますが、結局時間切れで引き返すことに‥

 「うそ~!こんな所まで登ってきたのにさ~!」

これは別の意味でシンクー(お疲れ様)です。前半、鈍行できたのが響いてますね。

16:46、泰山発。硬臥寝台に寝転がって天津を目指します。冷房のない車内では上半身脱いで窓を開けて涼む人も。関口さんもグロッキー気味です。

 「さっきは涼しかったんだが‥」

天津まで6時間、350km余り。本当にシンクー!(お疲れ様!)

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2007年10月14日 (日)

イヌサフラン(コルチカム)

イヌサフラン(コルチカム)
イヌサフラン(コルチカム)
京王多摩川駅前のフローラルガーデン「アンジェ」に行ってきました。
5年前に行ったときは出来たばかりで、あちこち赤土が剥きだしで、周りの塀もすぐ見えて狭〜い感じがしたものですが、5年たってかなり木や草が茂ってきて、庭園らしくなってました。

目を引いたのがモクレンの下に沢山植えられていたイヌサフラン(コルチカム)。葉が伸びる前に花が開く種類で、地面が紫のカーペットに覆われたみたいになります。球根を植えずに机の上に置いておいても、時期がくれば花茎を延ばして花が咲くのも楽しいです。

フルートの演奏をやっていたり、サツマイモの収穫をしていたりイベントもあって面白かったです。サツマイモ一つもらってきたので、電子レンジで蒸していただきました。

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2007年10月12日 (金)

中国鉄道大紀行 その59 凧発祥の地

中国鉄道大紀行 その59 凧発祥の地
孔子の故郷、曲阜(きょくふ)を訪ねたあと9月10日は一転して強行軍で、日付が変わってすぐ夜行列車で出発し、ぐるっと山東省を一周します。

0:29、曲阜発。秋の旅では初めての車中泊です。軟臥(A寝台)でゆっくり寝ていくつもりでしたが…

 「寒~い!」
 「軟臥のはずだったけど、きたよこれ!」

冷房が効きすぎて寝るどころではないようです。やむなく食堂車でラーメンを食べて暖まって、ようやく眠りにつきました。お気の毒です。ちなみに食堂車は午前2:30まで営業してるそうで、従業員の皆さんもお疲れ様です。

うっすらと朝焼けの光が射してきて、5:43膠州(こうしゅう)着。関口さんは、乗務員さんに起こされて、髪がボサボサのまま乗換えのために降りていきました。

9:40、膠州発。一面のトウモロコシ畑の中を今度は西に向かいます。1時間ほど走って10:45にイ坊(イはサンズイ偏に維)につきました。年越しに飾る、木版の年画で有名な楊家埠村(ようかふむら)を訪ねます。年2000万枚を生産して、中国全土から近隣諸国まで輸出してるとか。べらぼうな数ですね。

関口さんが街中を歩くと、ずらりと凧の店が並んでいました。店頭で凧を作ってる女の人に、お祭りでもあるのかと尋ねると‥

 「ここは凧の発祥地なの。凧はここで生まれたの」

 「た、凧の発祥地!?」

とってつけたような会話ではありますが、「凧の発祥地」という言葉にはインパクトがあります。凧なんて世界中どこにでもあるもので、各地で独立に考案されたイメージがあって「発祥地」なんて考えたこともないのですが、調べてみるとどうも古代中国から東アジア、ヨーロッパ、アメリカと広がっていったもののようです。

紀元前300年とも400年とも言いますが、木版画に糸をつけて飛ばしたのが最初だとか。偵察とか軍事用の用途が主だったみたいですが、紀元前150年ごろに紙が発明されてからは紙凧で遊ぶなんて用途も始まったようです。

日本には平安時代ごろ渡来し、江戸時代には禁令がでるほど凧揚げがはやりました。ただ正月だけは幕府も認めたことから、凧揚げが正月の行事になったようです。

その中国の中でも、木版画の里・楊家埠村が凧の発祥地なのでしょう。関口さんが一軒のお店を訪ねると、見事な立体凧が沢山飾られていました。人の顔を模したものもあれば、ワシの形をして爪のついたものもあります。

 「これも凧ですか?」

関口さんが尋ねたのは龍の顔をした置物です。それもまさに凧で、店のおじさんが持ち上げると、翼がバッと広がってガオーと鳴きました。これが空にあがると、さながら龍王バハムートです。

カニ道楽のカニみたいに足が動く凧や、風車がついていてそれが回るとカエルの人形がもぞもぞ動く凧、小さなタイコがテンツク鳴る凧など、次々に変わった凧が出てきました。

 「こまか~、細かいね~!」

関口さん、ビックリですが、紹介する店のおじさんはとても得意げで、関西人の私には実に見覚えのある光景です。そう、これぞまさにパ~ラダイス!

日本の各地に手作り作品をこれでもかと展示されている発明家の方がいらっしゃいますが、中国にもいらっしゃるんですねえ、そういう人。是非ナイトスクープで取材にいって欲しいですが、予算がない番組だから難しいかな。

発明品の数々に感心した関口さんが「ライバルはいるのですか」と尋ねると

 「メイヨー」
 (中国全土に一人もいない)

とのことでした。自信満々な所も、まさにパラダイス。でも、実際に凧を揚げてもらうとうまく揚がらず、街灯に引っ掛かってしまいました。凧作りの名人は必ずしも凧揚げの名人ではなかったようですね。(チャチャチャン!)

16:20、イ坊発。西に向かうこと1時間でシ博着。この辺は難しい漢字の地名が多いです。これで今日の長旅が終わるとともに、春からの走行距離が2万キロを越えました。地球を半周する距離。面白くも過酷な旅ですが、残り1万6千キロのご無事を祈りたいと思います。

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2007年10月11日 (木)

中国鉄道大紀行 その58 孔子の故郷

中国鉄道大紀行 その58 孔子の故郷
9月9日、重陽の節句は徐州(じょしゅう)から北東のエン州を経て、孔子の故郷・曲阜(きょくふ)を訪ねます。

7:37、徐州発。今日の朝御飯は食堂車でお粥セットです。お粥というと貧弱そうですが、洋風のおかずが並んで、なかなか豪華そうでした。

山東省のトウモロコシ畑の中を列車は北上していきます。この辺はすでに水稲の地域ではないのですね。年季の入ったトラクターが、収穫のすんだ畑を耕していました。

9:49、エン州着。ここで乗換えです。駅のホームに横に長〜い石碑が立っていました。10mぐらいはあるでしょうか。大きな字が書かれています。

 《有朋自遥方不亦不楽也》

 (友あり遠方より来たる、また楽しからずや)

そうです、ここはすでに孔子の勢力圏内なのでした。関口さん、絵日記に碑の文字を写していきます。遠来の友を喜ぶ心は、遠来の関口さんをもてなす心に通じているのかもしれませんね。

10:18エン州発。山東省は孔子の他に孟子や「おのれ孔明!」と多くの日本人に親しまれている、諸葛孔明の出身地でもあります。

トウモロコシ畑を走ること約20分、10:40曲阜着。人口60万人、世界遺産孔子廟で知られた街です。

 「ガイド要りますか?」

孔子の73代目の子孫という女性が声をかけてきました。本当かどうかは分かりませんが、孔子はおよそ2500年前の人ですから、一代35年と考えると辻褄はあいますね。

この女性の案内で孔子廟を巡ることになりました。幾つもの門を潜って正殿に向かいます。一際大きな門が見えてきました。弘道門というそうです。ガイドさん言いて曰く

 「この門をくぐると、孔子の弟子になります」

 「え!弟子になれるの?」
 「くぐるよ、くぐるよ!くぐった~」
 「あ~弟子になっちまった~」

こうして関口さんは、孔子の弟子になりました。

孔子が杏(あんず)の木の下で教えた故事にちなんだ杏壇(きょうだん)などを眺めながら、正殿にたどり着くと、お師匠様の像とご対面です。

 「中途半端に笑ってらっしゃいますけど?」

いささか失礼な弟子ですが、確かにお師匠様は白い歯を見せてニッと笑ってらっしゃいます。記録によると孔子は「白目が大きく鼻が上を向き出っ歯」だったとか。聖人君主のイメージより、ずっと親しみやすい人だったようです。

孔子廟の正殿には参拝した皇帝が座る玉座というものがあります。儒教は歴代王朝が統治の柱としてきたものですからね。しかし現在では玉座もすっかり観光資源と化して、関口さんも皇帝の衣装をつけて玉座に座ることになりました。

 「こうなるんじゃないかと思ったんだよね」

黄色を基調として龍の姿があしらわれた衣装をつけて、皇帝の帽子をかぶります。龍が安っぽいのがご愛嬌ですが、それでもそこそこ皇帝っぽい姿になりました。そのまま玉座に座って記念撮影です。祇園の舞妓さん体験みたいなものですね。すっかり世俗化した孔子の故郷でした。

 「あっしは皇帝より旅人の方がよい」

皇帝の衣装を脱いだ関口さん、川べりで麻雀してるおじさんたちに混ぜてもらって一局打ってました。あっさり負けちゃいましたが、それも「また楽しからずや」だったようです。

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2007年10月10日 (水)

コスモスの丘

コスモスの丘
コスモスの丘
昭和記念公園のコスモスの丘に行ってきました。入口の案内では「5分咲き」とありましたが、十分綺麗に咲いてましたよ。

自転車を借りて10分足らず走るとコスモスの丘です。昔みたときより広い範囲に植えられていて見事でした。前のときは台風で倒れた株も多かったのですが、そういうこともなくて良かったです。

人はちらほらでした。休日だと混むんでしょうね。多分あと1〜2週間くらいは見頃だと思います。

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2007年10月 9日 (火)

中国鉄道大紀行 その57 参りました!

中国鉄道大紀行 その 57 参りました!
9月8日は、海にほど近い海安県(かいあんけん)から北西に引き返して、淮安(わいあん)から徐州(じょしゅう)に向かいます。

10:09、海安県発。列車はほぼ満員です。秋の収穫を控えた穀倉地帯をひたはしります。水稲が主ですが、しばらくいくとちらほら池やクリーク(水路)が見えてきて、水郷っぽい風景になってきました。水のある風景っていいですね。

水面を所々、水草が浮いています。ヒシです。列車の中でも駅で買ったヒシの実を持っている人がいて、関口さんに分けてくれました。まきびしを大きくしたような、面白い形をしています。ガリッと噛んでみますが‥

 「噛めませんけど、これ」

堅くて噛み切れません。コツがあるようです。ヒシの実をくれた男性が手本を見せてくれました。尖った部分を奥歯で噛み切ると二つに割れます。そうやって中の実を食べるのです。栗に似た少し甘みのある味がしました。

13:12、淮安着。

 「なんじゃこりゃ~」

列車を降りた関口さんが思わず声をあげてビックリしてました。実にスケールが大きくて美しいホームです。2ヶ月前に新築したばかりだとか。淮安は人口500万人の大都市で街並みも綺麗です。周恩来の出身地でもあるそうです。

ここは、揚州と並んで「辛くない」中華料理、淮揚(わいよう)料理の本場でもありますので、お昼ご飯は淮安料理のレストランになりました。お勧めのコースを頼むと次々に料理が並びます。最初はタウナギの炒めもの。探偵!ナイトスクープでも前にやってましたが、ドジョウぐらいの大きさのタウナギが何匹かお皿に乗っています。これは揚州でも食べた、とかいいながら関口さんが口に入れると

 「違う~。でもうまい!うま~い!!」

美味しそうです。ついで、蒲(がま)の新芽の炒めものが出てきました。

 「うまそう、やばい」
 「食べなくても美味しいの分かる」

そして一口食べるなり

 「やっぱり~」
 「なんでこんなにうまいの!!」

関口さん、手足をバタバタさせてます。蒲の芽なんてそんなに美味しそうな食材じゃない気はするのですが、よほど美味しいのでしょう。

ついで、ヒシの実の氷砂糖漬けが登場します。列車の中で食べた実ですが‥

 「あま~い!」
 「うま~い!シャキシャキ!」

これは美味しそうですね。次は、黄色い卵豆腐みたいなものがお椀によそわれて出てきました。淮揚料理でもっとも有名と言われる平橋豆腐で、にわとりと干しエビのスープで豆腐が煮込まれているそうです。

 「これが最も有名?」
 「他にこんなうまいものがあるのに?」

関口さんは半信半疑ですが、一口食べるなり

 「うま~い!!」
 「すいませんでした。参りました~!!」

白目を剥いてのけぞってしまいました。しばらく、ヒクヒク痙攣しています。

この番組でずいぶん関口さんの「うま~い」は聞いてきましたが、ここまでオーバーなリアクションは初めてだったと思います。ここまで反応されるとどんなものなのか、食べてみたくなりますね。フナの脳みそが隠し味、なんて記事もあったりしますが、ざっと検索した感じでは日本では食べれるところはなさそうな感じで残念です。

食後、公園でまったりしてる地元のおじさんたちとオリンピック談義をして、日中の友好を約しつつ、16:41淮安発。仕事帰りの人が沢山乗ってきて、賑やかにトランプに興じてました。19:25徐州着。今日も一日お疲れ様~

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2007年10月 7日 (日)

佐々岡対古田

佐々岡対古田
古田の引退試合で実現した最後の対決です。

同期でプロ入りして18年、二人とも本当にお疲れ様でした!!!

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中国鉄道大紀行 その56 若く柔らかい葉

中国鉄道大紀行 その56 若く柔らかい葉
紹介が前後しましたが、鄭州(ていしゅう)のあと南東に阜陽(ふよう その54)、揚州(ようしゅう その55)ときて秋の旅第1週が終わりました。長距離移動の多いハードな旅路でしたね。第2週からは順に紹介していけると思います。

第2週の初日、9月9日は揚州から東に海に程近い海安県(かいあんけん)までの旅でした。距離にして100km程、時間にして2時間余りのショートトリップです。

13:41揚州発。田んぼの中を東に向かいます。2004年に開通した南京・啓東路線という新しい路線で、サービスに力を入れてるそうです。車内販売は中国では珍しいインスタントコーヒーを扱ってますし、薄めか濃いめか濃さまで聞いてくれてました。制服もお洒落です。ちなみに関口さんのリクエストは「イーディエン濃め(少し濃いめ)」

田んぼの中を東に進むにつれて、車窓に桑畑が増えてきました。江蘇省はまゆの生産が盛んなようです。16:00海安県着。人口95万人、養蚕業の中心地です。駅から少し離れると一面の桑畑でした。

 「これがカイコの食べるやつか」
 「背が高いねえ~!」

大きくなりすぎる葉が摘みにくいので、小さめに刈ってあるのですが、それでも人の背丈くらいはあって、畑の中に入ると回りが見えなくなるぐらいです。

関口さん、一軒の農家を尋ねて蚕棚を見せてもらいました。土間の真ん中に三段になった棚が置かれ、桑の葉が敷き詰められています。そこに沢山のカイコが群がっていました。

 「仕切りとか一切ないもんなんですね」
 「逃げて行かないんですか?」

棚の回りに柵も仕切りもないのを見て、関口さん不思議そうです。

 「葉っぱのあるところに寄ってくるからね」
 「大丈夫」

考えてみれば当たり前ですね。餌は棚の上にあるので逃げても何にもいいことはありません。でも、虫かごとか飼育ケースとか見なれた目には不思議な光景ではあります。

 「ハジメマシテ」

農家の娘さんが日本語で挨拶してきました。一から九までくらいの数も日本語で分かるそうです。彼女の案内で関口さん、桑の葉摘みに挑戦しました。

 「小さなカイコにあげるんだからね」
 「若く柔らかい葉を選んでね」

普通に葉を摘んでいると、ダメ出しされてしまいました。

 「えっ!?これ堅いの?」
 「難しいんだ~」

ちょうどいい葉を探して摘むのは、なかなか難しそうです。なんとか葉を選んで摘むと今度は大きな包丁で細かく刻んでいきます。生まれて3日目の小さな小さなカイコにあげる分です。小学校のころ、教室でカイコを飼ったのを思い出しました。

 「一杯食べて大きくなるんだよ~」

こうして、朝昼晩と桑の葉を摘んで刻んで、丁寧に広げていきます。カイコが小さいうちは部屋に暖房をいれるので、葉を広げ終わった関口さんは汗だくでした。

 「カイコには天国でも‥」
 「俺には地獄だねえ~」

カイコを飼うのも、それをレポートするのも大変ですね。いやいやお疲れ様でした!

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2007年10月 5日 (金)

不安定なバススイカ

スイカ、もしくはパスモがバスでも使えるようになってますが、バス搭載のスイカ読取り機の動作はどうも不安定なようです。「古いスイカ」が使えないのはしょうがないですが、新しいスイカをかざしても使えないことが、この2週間ほどの間に2回ありました。

スイカで乗るつもりのときは小銭を用意してないので、いきなり現金でといわれてもないこともあって非常に困りますね。そのあと読取り機を再起動してたときもあってかなり遅れたこともあります。

対策としてはバスに乗る時はスイカと小銭を両方用意するということになりますが、そうなるとスイカの利点が減ってしまって困ったものです。

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2007年10月 4日 (木)

切れ味のよいハサミ

切れ味のよいハサミ
この所、新聞の切り抜きを作るのに切れ味のよいハサミを探してました。力を入れなくても雪が融けるようにスーッと切れていくのが理想なのですが‥

かれこれ10本ほど買って比べたところ、まず100円ショップで売ってるハサミは論外と判明しました。ジョキジョキ切る分には問題ないのですが、スーッと切れるかというとそんなことはなくて、雪の融けた砂利道でスキーをする感じで全然ダメです。

フッ素加工を謳うハサミも、粘着テープを切るにはいいのかもしれませんが、新聞を切るとジャリジャリ砂混じりの雪ゾリみたいで不向きでした。

ハサミ業界ではヘンケルス社のハサミが上位メーカーらしいので、750円のと800円のを買ってみました。確かに切れ味が良くて、新聞の真ん中あたりだとスーッと切れます。ただ条件の悪い新聞の折り目近くだとつっかえつっかえになって、いまいちパワー不足の感がありました。

で、結局一番良かったのが、プラス社という所が出しているスムースカットという315円のハサミでした。これだと折り目付近でも、真ん中付近とほぼ同様にスーッと切ることができます。ヘンケルス社製より耐久性に劣るのかもしれませんが、割と安いのでいくつか買って使い回せば長持ちするでしょう。

ただ、ヘンケルス社の2000円とか3000円のハサミは未挑戦です。ひょっとしたら、夢のような切れ味かもしれませんので、いずれ試してみたいと思います。

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2007年10月 3日 (水)

中国鉄道大紀行 その53 洛陽の石仏

中国鉄道大紀行 その53 洛陽の石仏
9月4日は函谷関を越えてくねくねと839kmを旅します。東京から広島までの距離を新幹線なしで行くようなもので、かなりハードですが関口さんが元気なうちに距離を稼ごうということでしょうか。

早朝5:00、候馬(こうば)発。関口さん、寝台にもぐりこんでもう一眠りです。2時間程仮眠して7時すぎに洋食の朝食。卵やきとソーセージのモーニングは中国では珍しいみたいですね。

8:11華山(かざん)着。函谷関を抜けて長安(今の西安)と洛陽を東西に結ぶ幹線に乗換えます。路線自体は西安を越えて西寧からチベット方面に伸びています。

8:34華山発。黄河に沿って東に向かう途中、車窓を雨が叩きはじめました。

 「やったね、雨だよ!」
 「暑くないわな」

関口さん、とても嬉しそうです。日本もこの夏は暑かったですからねえ。気持ちはよく分かります。

 「チンチェン リャンファイ!」
 (今日は涼しい!)

この列車では、春の旅で出会った車掌さんに再会しました。西寧の方からくる列車ですから、春に会ってても不思議ではありませんが、それにしても中国で偶然人に再会する確率は低いでしょうね。

12:11、洛陽着。後漢や北魏の都のあった所で三国志初期の主要舞台でもあります。「洛」の文字は洛西、洛北、洛南、洛中など京都の人間にはとっても馴染み深いものがありますね。もちろん本家はこちらです。今は人口120万の落ち着いた古都になっているようです。

京都同様、見所はあまたあるのですが、何しろ今日は<広島>まで行くのでゆっくりはできません。行き先を厳選した関口さんが向かったのは龍門石窟という、石仏群でした。さしずめ化野(あだしの)念仏寺でしょうか。

洛陽の南12km、伊河の両岸にそびえる岩肌に無数の石仏が刻まれていました。その数、約10万体。

 「これはおびただしい」
 「全然顔違うもん‥」

龍門は敦煌、大同と並ぶ中国三大石窟と言われるだけあって、念仏寺とはスケールが違います。もちろん念仏寺もいいのですが、本家のスケールは感動的です。

 「変な崩れ方してますね」
 「作りかけでもないし‥」

石仏の中には顔や胴体を打ち壊されたものが、少なからずありました。三武一宗の法難という言葉があって、道教との抗争や経済的な理由で中国でも過去何度か仏教への弾圧が行なわれています。そこで、廃仏毀釈の対象とされた石仏たちなのでしょう。

川沿いを歩いて行くと、階段の向こうに大きな顔が見えてきました。盧舎那大仏(るしゃなだいぶつ)です。高さ17mの大仏さまの両側にもずらりと仏さまが立ち並ぶさまは壮観です。

盧舎那大仏は、仏教を保護した唐の女帝、則天武后(そくてんぶこう)の姿を模してあるそうです。則天武后はあんまり人気のない皇帝ですが、とばっちりで壊されたりしなかったのは幸いでした。

15:18、3時間ほどの滞在で洛陽発。南東に進んで17:11田豊(でんほう)着。1時間の乗換え時間に本場の麻婆豆腐をかきこんで18:11田豊発。今日の終着、鄭州(ていしゅう)についたのは22:05でした。17時間の旅、お疲れ様でした!!

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今月のうた 「ノックは3回」

10月から新曲の放送が始まりましたが‥。これはまたえらく深刻な曲ですね。はじめて聴いてドキッとしてしまいました。

みんなのうた千数百曲の歴史の中で「自殺」をテーマにした曲ははじめてではないでしょうか。(『夢をかなえよう』をそうとれば2曲目かもしれませんが‥)

こんなテーマが「みんな」のうたで流される(流す必要があるとスタッフが考える)時代になったのですねえ…。かなり話題というか問題というか、何かしら反響が大きそうな予感がします。

槙原風の曲調自体は明るいですし、田中ケイコさんのツトム君風のアニメキャラにだいぶ救われてる部分はあるのですが、バケツやノートとお空に登っていくシーンはやはりインパクトが強いですね。

タイムマシンのお陰であの女の子は救われたのだと信じて、あと2ヶ月聴かせてもらうことにしましょう。

『ノックは3回 ―Knock Three Times―』
作詞・作曲・うた 木根尚登
編曲 中村修司
アニメ 田中ケイコ
初放送 2007年10月

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2007年10月 1日 (月)

山ねずみロッキーチャック

今日、BSで「山ねずみロッキーチャック」なんてやってましたね。小学校3年ぐらいのころの番組ですから、ご存じの方は少ないかもしれませんが。

でも、背景の森の絵とか凄く綺麗でちょっとビックリしました。35年も前の作品とは思えません。

ちなみにキツネのレッドの声が富山敬さんなのが、かなり笑えました。

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12月・1月のうた速報

みんなのうた公式HPに、12月・1月のうたの情報が載せられていました。

 じーじのえてがみ~グランドファザーズ・レター~
  作詞・作曲:小椋 佳
  うた:上野 樹里
  アニメーション:こぐま あつこ

 ふろしきマンのうた
  うた:水木 一郎
  アニメーション:野村 辰寿

 しあわせだいふく
  作詞・作曲:混×××
  編曲:川田 雅之
  うた:三叉路
  アニメーション:わたなべ さちよ

たぶん「のだめ」ちゃんの歌う『じーじのえてがみ』が5分曲で、『ふろしきマン』と『しあわせだいふく』がショートバージョンなのでしょう。

"混×××"という作曲家も気になりますが、Googleで検索してもヒットしません。どなたかご存知のかたいらしたらお教えください。よろしくお願いします。

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中国鉄道大紀行 その52 文曲星に願いを

中国鉄道大紀行 その52 文曲星に願いを

ビデオを見返していたら、9月3日の分が見つかりましたので、順番が前後しますが紹介しましょう。

9月3日、秋の旅が再開して2日目です。西安の北方張橋(ちょうきょう)から南東に向かって韓城(かんじょう)で途中下車、さらに東の候馬(こうば)に向かいます。

8:33張橋発。黄土高原の真っただなかです。黄土が雨で削られて、あちこちにギザギザの深い谷が刻まれていました。「水土流出」という言葉が実感されます。きり通しを抜け、谷を渡り列車はまっすぐに走ります。この辺の小麦の収穫はすでに終わったようで、アワの植え付けをまつ畑が平らに耕されていました。

11:15韓城着。「史記」を書いた司馬遷が生まれた街でお墓もここにあります。ただし、今回は司馬遷のお墓にはよりません。

おなかの空いた関口さん、駅前の屋台で涼皮(リャンピー)という蒸し麺を頂きました。手回し送風のコンロで暖めた、もちもちのあつあつでなかなか美味しそうです。でも辛くてしきりに水、水と連発してました。このあたりから麺の旅が続きます。

腹拵えのあと、この街のもう一つの見所、党家村に向かいます。10kmほど北上すると、元の時代に始まり清の時代の建物が沢山残る古い街並みが現れました。

 「凄い道だな、これ」
 「このままドラマの撮影とかできそうだな」 

ぎっしり小さな石が敷き詰められた石畳が、くねくねと続きます。両側にはやはり石造りの家並みが続きます。

しばらく歩くと小学校がありました。古そうな門を潜ると割と広い校庭があって、その一角に六層の塔がそびえています。近くの売店の人にきくと、文曲星(学問の神様)が祭ってあるのだとか。

 「昔は貧しくて学校に行けなかった」
 「食べ物を買うお金もなく、年15元の授業料が払えなかったんだ」

結局、売店のおじさんは二十歳すぎて小学校に行ったのだそうです。

 「孫は全員、大学に行かせるんだ」

そう言って、おじさんは笑ってました。いま64才とのことですが、まだまだ現役で働かれるのでしょう。

ここ党家村は、昔から教育熱心な土地で、240家の小さな村ながら清代には科挙の合格者を5人も出したそうです。文曲星の塔は、そのころ教育への願いと都での出世を祈って建てられたのでしょうね。今も村には12の小学校があって、子供たちが元気に授業を受けていました。

16:10韓城発。黄河を渡って18:07に候馬に着くと、時ならぬにわか雨です。関口さんも乗客の皆さんも、慌ててホームを駆けていきました。

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