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2007年11月13日 (火)

中国鉄道大紀行 その79 国境の街

中国鉄道大紀行 その79 国境の街
10月17日は北朝鮮との国境の街、図們(ともん)を訪ねます。

昨夜19:33にハルビンを出発した関口さんは、まる12時間寝台に揺られて朝7:26、図們につきました。旅行再開早々、ハードな日程です。気温は−2℃。畑には白く霜が降りていました。

図們は人口14万の小さな街ですが、半数の7万人は朝鮮族の人です。駅前のトラックにも、ハングルの説明が書かれていました。街の外れに図們江が流れていて、20kmほどで日本海に注ぐ関係で、経済特区をつくるとかいう話もあったのですが、今のところ経済開発をやっている気配は感じられません。

図們江のほとりには「國界」と書かれた石碑がたっていました。川の向こうは北朝鮮です。数百m先の対岸には人影はなく、白い建物がポツポツたっているだけでした。その向こうに山並みが連なっています。まあ、北朝鮮だと思わなければ、なんということはない風景ですが、謎の国だと思うと曰くありげに見えるから不思議なものです。

 「車が行った!」

左手の橋を車が通っただけでも、思わず反応してしまいます。

街を外れると広々した田んぼが広がっていました。刈り入れはすっかりすんでますけどね。集落の周りには丁寧に畑が作ってあって、朝鮮族の人が手入れをしてました。

 「ニーハオ」

関口さんが声をかけましたが、返事はなく、怪訝そうな表情で見られてしまいました。警戒されているのかもしれません。脱北者も多いといわれる土地柄ですから。。

角を曲がると年配の男性が立ってました。

 「日本人か」

因縁でもつけられるのかと思いましたが、その男性は関口さんを自宅に招いてくれました。

 「お邪魔しま~す」

庭には沢山トウガラシが干してあります。靴を脱いで上がらせてもらうと、板の間に直接鍋が据え付けてありました。朝鮮鍋です。

 「初めてみました」

 「ここから火を着けるんだ」

板の間に取っ手がついていて、開けると床下になってます。鍋の下に、炭や薪をくべるスペースがありました。鍋を熱すると、床下全体が暖まるオンドルになっているのです。寒い季節も床からポカポカ。

 「うまいこと考えたね~」

オンドルは朝鮮の伝統的な暖房法ですが、食器棚も茶碗もすっかり朝鮮式の家屋です。朝ゆでたトウモロコシをいただきながら話を伺いました。

80年ほど前、祖父がこの地にやってきたこと。当時は国境の行き来が自由で、土地が広くて暮らしやすいと聞いてきたこと。北朝鮮には今も従兄弟が住んでいて、時々会いにいっていること。

 「一番最近行ったのはいつですか」

 「2003年」

つい最近です。

 「向こうはどんな様子でしたか」

 「貧しい。本当に貧しかった」

70年代は向こうの方が生活に余裕があって、中国では食料も満足になかったのに、北朝鮮では食料も化繊の着物も手に入ったそうです。

 「今の向こうは70年代の中国と同じだ」

改革開放以前、文革時代の中国に30年かけて逆行しているようです。食料すら満足にない暮らしは厳しいと言わなければなりません。

 「機会があれば、お米や服やお金を持って行きたいんだ」

こちらから行く時には2時間もあれば許可が出るそうですが、向こうからはまだ一度も来てないのだそうです。規制が厳しいのでしょうか。厳しい現実が垣間見えた国境の旅になりました。

関口さん、挨拶を交わしておじさんの家を辞しました。表に出ると、さっきまでまるで見知らぬ村だった所が、ほんの1時間ほどの間に見慣れた、親しみのある村に変わっていました。

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