中国鉄道大紀行 その86 昔、海の向こうから‥

週末、地平線まで真っ白な雪原が広がるジャラントンから生中継して、10月28日は麦飯石(ばくはんせき)の産地、碾子山(てんしざん)に向かいます。
ジャラントン(扎蘭屯)は人口43万の風光明媚な所で、観光や農業を主な産業としている街です。街の北西には大興安嶺山脈の原生林が広がっていて、渓流の中の島には森林が鬱蒼と茂り、夏場は花が咲き乱れる避暑地になっているそうです。いいですねえ。街の北方にはこれらの景色を一望する吊り橋もあるとのことですが、今回は寒いのでそちらには行ってません。その代わり、一面の雪原で鍋のような料理をする中継をやってました。
第二次大戦前はジャラントンあたりにも日本の開拓団が来ていて、水田などを拓いていたようです。この先のハイラルには関東軍の地下陣地が延々と築かれていたという話もあります。旧ソ連との国境間近ですから、そうかなという気もしますが、景色を見る限りではそんな風情は感じられません。
13:28、ジャラントン発。雪原を南に向かいます。
「どなたかいますか?」
関口さん、一人のおばあさんの隣りに座らせてもらいました。碾子山の高校に通うお孫さんに会いに行くそうです。
「北京の人?」
「いえ、日本からきました。」
「日本人に会ったことありますか?」
と関口さん、聞いてみました。こういう土地で年配の人に昔のことを聞くのは、いささか勇気がいるんですけどね。
「今80だけど、13才のとき日本人が来たよ」
67年前ですから、1940年のことになります。
「(13才)じゃあ、はっきり覚えてますね」
「夏の日に、日本兵が鉄の帽子をかぶってやってきた」
『さとうきび畑』を思わせる光景です。
♪昔、海の向こうから
♪いくさがやってきた
♪夏の日差しの中で‥
この歌とは立場が逆ですけどね。
「卵、鶏、豚肉など、全部食べさせた」
「日本兵が入って来ると怖いから、欲しいものは何でもあげたんだ」
よほど怖がられていたようです。『さとうきび畑』では、鉄の雨に打たれて父は死んで行くのですが、同じように肉親を亡くした人もいることでしょう。やっぱり、話を聞くのを躊躇してしまいそうです。
このおばあさんは幸いそういうことはなかったようで、
「あの頃のお金は緑色だった」
なんて話をされてました。軍票という奴でしょう。
「今あれば値打ちものだろうけど、使えないから薪と一緒に燃やしてしまった」
そりゃあそうでしょうね。あんまりいい思い出もないでしょうし。やはり色々ご苦労がおありです。
「若い人は中国は回りの国と比べてまだまだ貧しいというけど‥」
「私は今の生活で十分満足だよ」
昔の生活に比べると、格段に良くなっていることは確かでしょうね。知らない人と話をするのは難しいものですが、話をして分かること、感じられることも沢山あるのも確かです。
いつの間にか外の風景から雪が消えていました。14:36碾子山着。人口8万の小さ目の街です。
「じゃあ、お気をつけてー」
大きな荷物を持ったおばあさん、人込みの中に消えていきました。
ここ碾子山は麦飯石の産地として日本でも知られています。麦ご飯のように大きな結晶がごろごろしている石で、正式には石英斑岩といいます。この石で湯飲みを作っている工房を訪ねました。
石英の結晶がごろごろしているお湯飲みには、水を浄化する作用があるそうです。青い色素を垂らしておいても、40分もすれば透明で飲めるようになるらしいので、関口さん実験してみました。
青いメチレンブルーを溶かした水を湯飲みにそそいで放置します。裏手の工房でもうもうと岩石の粉が舞う中で湯飲みを作っている様子を見学して帰ってくると、本当に水は透明に透き通ってました。なかなか面白い石で日本にも輸出されているのだそうです。
今日の旅はここまで。明日からどんどん西に移動していきます。
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