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2007年11月30日 (金)

みんなのうた 明日からのうた

早いもので11月も終わりです。明日からの12月、1月の曲は次の通り。

【新曲】
☆じーじのえてがみ〜グランドファザーズ・レター〜
 上野樹里(アニメ:こぐまあつこ)

☆しあわせだいふく
 三叉路(アニメ:わたなべさちよ)

☆なんのこれしき ふろしきマン
 水木一郎(アニメ:野村辰寿)

【再放送】
(テレビ・ラジオ)
★しあわせのうた
 榊原郁恵(アニメ:堀口忠彦)
★りんごのうた
 椎名林檎(アニメ:円人(enjin productions)、キャラクター:斎藤ひろこ)
★エトはメリーゴーランド
 田中星児、東京放送児童合唱団(アニメ:鈴木欽一郎(自転社))
★白い道
 北原ミレイ(実写)

(ラジオのみ)
★わたしの紙風船/紙ふうせん
★雪うさぎ/チェリッシュ
★スノウドロップ/林明日香
★笑顔に大接近/大阪パフォーマンスドール


のだめの曲が始まりますが、はてさてどうでしょうか?

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2007年11月26日 (月)

中国鉄道大紀行 その86 昔、海の向こうから‥

中国鉄道大紀行 その86 昔、海の向こうから‥
週末、地平線まで真っ白な雪原が広がるジャラントンから生中継して、10月28日は麦飯石(ばくはんせき)の産地、碾子山(てんしざん)に向かいます。

ジャラントン(扎蘭屯)は人口43万の風光明媚な所で、観光や農業を主な産業としている街です。街の北西には大興安嶺山脈の原生林が広がっていて、渓流の中の島には森林が鬱蒼と茂り、夏場は花が咲き乱れる避暑地になっているそうです。いいですねえ。街の北方にはこれらの景色を一望する吊り橋もあるとのことですが、今回は寒いのでそちらには行ってません。その代わり、一面の雪原で鍋のような料理をする中継をやってました。

第二次大戦前はジャラントンあたりにも日本の開拓団が来ていて、水田などを拓いていたようです。この先のハイラルには関東軍の地下陣地が延々と築かれていたという話もあります。旧ソ連との国境間近ですから、そうかなという気もしますが、景色を見る限りではそんな風情は感じられません。

13:28、ジャラントン発。雪原を南に向かいます。

 「どなたかいますか?」

関口さん、一人のおばあさんの隣りに座らせてもらいました。碾子山の高校に通うお孫さんに会いに行くそうです。

 「北京の人?」

 「いえ、日本からきました。」

 「日本人に会ったことありますか?」

と関口さん、聞いてみました。こういう土地で年配の人に昔のことを聞くのは、いささか勇気がいるんですけどね。

 「今80だけど、13才のとき日本人が来たよ」

67年前ですから、1940年のことになります。

 「(13才)じゃあ、はっきり覚えてますね」

 「夏の日に、日本兵が鉄の帽子をかぶってやってきた」

『さとうきび畑』を思わせる光景です。

 ♪昔、海の向こうから
 ♪いくさがやってきた
 ♪夏の日差しの中で‥

この歌とは立場が逆ですけどね。

 「卵、鶏、豚肉など、全部食べさせた」

 「日本兵が入って来ると怖いから、欲しいものは何でもあげたんだ」

よほど怖がられていたようです。『さとうきび畑』では、鉄の雨に打たれて父は死んで行くのですが、同じように肉親を亡くした人もいることでしょう。やっぱり、話を聞くのを躊躇してしまいそうです。

このおばあさんは幸いそういうことはなかったようで、

 「あの頃のお金は緑色だった」

なんて話をされてました。軍票という奴でしょう。

 「今あれば値打ちものだろうけど、使えないから薪と一緒に燃やしてしまった」

そりゃあそうでしょうね。あんまりいい思い出もないでしょうし。やはり色々ご苦労がおありです。

 「若い人は中国は回りの国と比べてまだまだ貧しいというけど‥」

 「私は今の生活で十分満足だよ」

昔の生活に比べると、格段に良くなっていることは確かでしょうね。知らない人と話をするのは難しいものですが、話をして分かること、感じられることも沢山あるのも確かです。

いつの間にか外の風景から雪が消えていました。14:36碾子山着。人口8万の小さ目の街です。

 「じゃあ、お気をつけてー」

大きな荷物を持ったおばあさん、人込みの中に消えていきました。

ここ碾子山は麦飯石の産地として日本でも知られています。麦ご飯のように大きな結晶がごろごろしている石で、正式には石英斑岩といいます。この石で湯飲みを作っている工房を訪ねました。

石英の結晶がごろごろしているお湯飲みには、水を浄化する作用があるそうです。青い色素を垂らしておいても、40分もすれば透明で飲めるようになるらしいので、関口さん実験してみました。

青いメチレンブルーを溶かした水を湯飲みにそそいで放置します。裏手の工房でもうもうと岩石の粉が舞う中で湯飲みを作っている様子を見学して帰ってくると、本当に水は透明に透き通ってました。なかなか面白い石で日本にも輸出されているのだそうです。

今日の旅はここまで。明日からどんどん西に移動していきます。

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2007年11月25日 (日)

近場の紅葉

近場の紅葉
近場の紅葉
今日もいい天気で暖かくなりました。遠出はしないで、近くの府中の森公園に行ったのですが、十分綺麗な紅葉が楽しめました。

数は少ないんですけどね。色付き具合ななかなかグッドです。携帯で写真撮ってる人も沢山いました。

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2007年11月24日 (土)

中国鉄道大紀行 その85 エベンギの暮らし

中国鉄道大紀行 その85 エベンギの暮らし
10月25日はイトゥリ川でエベンギ族の生活を再現した施設を訪ね、その後ヤクシからジャラントンに向かいます。

再現施設は昨日のテントと同様に、シラカバ林の中に散在してました。昨日と違うのは△に木を組んでシラカバの皮や毛皮で覆った、伝統的なテントである所。緑や白のテントの他に白地に赤の飾りがついた大きなテントもあります。儀式用でしょうか。

 「こんにちは、トナカイちゃん♪」

トナカイはエベンギ族の守り神だそうで、大切に飼われていました。

工芸品を作るテントでは、シラカバの皮を火で炙って湯飲みを作っています。シラカバが貴重な素材なのでしょう。テントの中では皆さんエベンギ語で会話しています。フランス語みたいにショバショバァ〜とした感じで、中国語の響きとは全然違いますねえ。「不思議な言葉の響きだ…」

別のテントでは鹿を呼ぶ笛とかがありました。関口さん、当然吹いてみましたが、音がでません。こつがあるようです。見本を見せてもらうと、バォゥ〜!っと象さんの声みたいな音がしました。面白いですね。昔から伝わる薬草のお茶というのも頂きました。肝臓にいいそうですが、胃腸ではなくて肝臓に良いというところがややマニアックです。こちらでは肝臓の悪い人が多いのでしょうか。

シラカバの皮でできた夏用のテントというのもあって、素材が薄くて涼しげです。テントの上部には煙り抜きの穴が開いていて、通気性もよさそうでした。冬の素材では夏場は暑いのでしょうね。夏と冬で住まいが変わるというのも面白いです。さっき飲んだ薬草が乾燥させてありました。

テントの外にでると、リボンを結んだ木が聳えていました。太い枝が幹に絡み付いています。これは「母と子の木」と呼ばれて、エベンギ族の信仰の対象になっているそうです。

 「他の木と違って、何か感じます?」

と案内の女性に尋ねると

 「ええ、この木の前にくると心が落ち着きます」

 「何かあると、この木に語りかけるのです」

なるほど、そういうものなんですねえ。

 「自然の中で生きてないと、そういう感覚分かんないんだよね」

日本の暮らしでは、木に語りかけるなんてこともほとんどなくなりました。関口さん、すごくうらやましそうです。

 「私の感性では、ここにお金があるのが嬉しいことぐらいでしょうか」

と言って、地面に落ちているお札を指さすと

 「それは、拝みに来た人が捧げたお金です」

決して落ちているわけではないのでした。お賽銭はお賽銭箱に、という先入観に囚われていると思わぬ恥をかいてしまいますね。

 「貧しいな〜心が。ああやだやだ」

確かに、テレビを見てる自分も心の貧しさを感じさせられるシーンではありました。

その後、テントで暖まっていくよう誘われましたが、残念ながらここで時間切れ。関口さん、名残り惜しそうにエベンギの村をあとにしました。

 「ここは、俺のあこがれの場所だよ」

12:34、イトゥリ川発。来るまでは何があるのかサッパリ見当のつかなかった街が、また思い出深い土地になりました。今度は大興安嶺山脈を南下していきます。車中で強いお酒を振る舞われたりしてるうち、景色は夕日に染まり16:47ヤクシ着。漢字では「牙克石」と書きます。ホームもない小さな駅ですが、人口は43万でハイラル川の入り江に発達した、そこそこの街です。ここで乗換えて17:30、ヤクシ発。大きな月が上って来てました。

さらに大興安嶺山脈を越えて東北平原にでたあたりで21:05、ジャラントン着。エベンギの村も遠くなりました。

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収納戦隊 シマウンジャー

さっき文房具屋さんに行ったら「収納戦隊シマウンジャー」なるものを売ってました。

 「出たな、取扱い説明書。ブラスタービーム!」

 「うわぁ、すっきり収納されてしまう〜」

など、次々現れる怪人(領収書、レシート、ポイントカード、クリップ、電源コードなとなど)に戦隊メンバーが次々出撃していくフリップがつけられていて笑えます。思わず買ってしまいそうになりました。

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2007年11月23日 (金)

鳩ノ巣渓谷

鳩ノ巣渓谷
鳩ノ巣渓谷
朝から天気が良かったので、奥多摩の鳩ノ巣渓谷に行ってきました。途中の電車は青梅から先も通勤電車なみの混雑でしたが、御岳でだいぶ降りて、次に鳩ノ巣で大半降りました。ここは人気ですね。

紅葉はちょうど盛りでしたが、赤くなる木が少ないのと川の水が濁っているのがやや残念でした。でも天気が良くて気持ちのよいハイキングができたので良かったです。

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2007年11月22日 (木)

中国鉄道大紀行 その84 最北のトナカイ

中国鉄道大紀行 その84 最北のトナカイ
10月24日はジャグダチからイトゥリ川という、この旅最北の行程です。地名もすっかり中国っぽくなくなってきました。

6:57、ジャグダチ発。この番組では「ジャグダチ」と言ってますが、ネットでは「ジャガタチ」や「加格達奇」の方が良くヒットします。人口53万人、内モンゴル自治区にありながら、黒竜江省北部を統括する役割を持つ面白い街です。冬には「氷雪楽園」という催しが開かれ人気を博しているとか。札幌の雪祭りみたいなものなのでしょうか。

今回はジャグダチをほとんど見ることなく出発です。大興安嶺山脈のふもとに広がる雪原をゆるやかにジグザグしながら、列車は西に向かいます。北緯は50°を越えて樺太の真ん中ぐらい。春の旅では、北緯23°の広州を訪れてますから、思えば遠くに来たものですね。

ホームの無い駅を通りすぎ、ジグザグが一番北に触れた地点が、全行程の最北地点でした。ここまでの走行距離は3万kmを越え、残りはいよいよ西の端ジュンガルを目指す6000kmということになります。

12:28、イトゥリ川着。降りる駅では最北地点です。「伊図里河」とも書くようですが、いかにも当て字っぽいですね。木材とキノコ栽培の人口2万6千人の街ということですから、市街地は小さくて、すぐに外に森林が広がっていました。

ザッザッザッザッと関口さん、雪道を歩いていきます。両側にはシラカバの林。水路には厚く氷が張っていて、まさにシベリアの風景です。林の中に動物がいました。トナカイです。この近くにトナカイの放牧と狩猟で生活するエベンギ族の集落があるのでした。

 「ニーハオ」

 「遠い所お疲れ様」

一つのテントを訪ねました。迷彩色のキャンバス地から煙突がズドンと突き出ていて、戦車のように見えるテントです。エベンギ語の響きはツングース系だけあって中国語とは全然違いますね。エベンギ族の大半はシベリアで暮らしていて、この近くで牧畜や狩猟をしているのは30人ほどだそうです。

 「冬は氷点下40℃になるんだ」

 「髪やヒゲが真っ白になる」

そんな中でトナカイを飼い、薪ストーブで暖をとる生活です。トナカイは良く人に慣れて、関口さんが触っても大人しくしていました。トナカイは食用ではなく、角を売ったり荷役に使うそうです。立派な角のあるトナカイもいて、「トナカイ」って感じがしました。

エベンギ族の人は嗜好品として「口タバコ」というものを噛む習慣があります。関口さんも一つ頂いて、我慢して噛むように言われましたが‥

 「辛い!辛いよ!!」

 「俺には向いてない!」

凄い辛そうでもの凄い形相でした。レポーターも大変ですねえ。でも、この辛さが寒さをしのぐ上で効果があるのかもしれません。口なおしに頂いた鹿の肉はなかなか美味しそうでした。

その後、テントをでて今度は薪割りに挑戦です。薪割りなんて日本ではほとんどする機会がないので貴重な体験ですが、斧を振り上げるのはなかなか怖そうです。恐る恐る振り下ろした斧は薪を空振り。。

 「当たらない。助けて〜」

 「サムライみたいな持ち方だね」

見本を見せてもらいました。薪に斧を噛ませたまま小さくテイクバックし、気合いもろとも鋭く振り下ろします。

 パカッ!

薪は綺麗に一刀両断されました。鮮やかなものですねえ。さすがに生活がかかってるだけのことはあります。

こういう昔ながらの暮らしがいつまで続くのかは分かりませんが、昔ながらの知恵の方は受け継いでいって欲しいものです。

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2007年11月19日 (月)

中国鉄道大紀行 その83 寒さの御利益

中国鉄道大紀行 その83 寒さの御利益
10月23日は綏化(すいか)からさらに北上して、富裕(ふゆう)からジャグダチに至ります。

昨夜、夜行で綏化について夜明け前の5:59に出発だそうですから、ほとんど降りずに出発したのかもしれません。人口500万人の大都市なので、色々発見もありそうですが、今回はパスです。気温は−2℃。厳しい冷え込みです。食堂車で朝御飯を食べていると、朝日が上ってきました。

東北地方の大平原が広がっています。山が見えない真っ直ぐな地平線が紫色に染まって日が上る風景を眺めながらの朝御飯、いいですねえ。いつか行ってみたいものです。この辺りは北大倉という大豆や米の穀倉地帯です。朝もやの中からやがて黒々とした大地が姿をま表しました。

寝台に戻った関口さん、こちらで農業指導をしている日本の専門家の方にお話を伺います。長さ3000mの農場を手作業で耕したり、ご苦労がおありですが

 「見ての通り真っ黒の土でしょ」

 「精々半年しか耕作できないんで、十分地力が残っとるんですわ」

とのこと。さらに

 「冬は氷点下30℃になるでしょ」

 「収穫終わったあと、天地がえししとくと天然の殺菌ができますし」

天地がえしは表土と深い所の土をひっくり返すことですが、そうすると虫の卵とかが寒さで死んで、夏場も虫が沸きにくいのだそうです。言われてみればそんな気はしますが、言われなければなかなか考えつかないことですね。

まあ、一口に天地がえしと言っても手作業でしょうから大変ですが、寒さのおかげで、肥沃な地力が残り、農薬も余り使わずに農業ができる訳ですから、思わぬ御利益があったものです。どこまでも続く黒土地帯が、偉大なものに感じられました。

12:36、富裕着。人口30万の農業の街です。「ふゆう」なんて面白い地名ですが、黒土の恵みで本当に富裕なのかもしれませんし、豊かになりたい願いを込めて名付けられたのかもしれません。

天気が良くて気温は16℃まで上がっていました。

 「あったかいぞ」

ガラーンとした駅前の通りに、赤い絨毯を敷いた荷車つけた自転車が止まっていました。この地域の人力タクシーです。関口さん、早速乗ってみることにしました。

 「何か面白い所連れてって下さい」

普通は自転車が前になって、後ろに客席を引っ張るのでしょうが、これは客の座席が前にあって後ろから自転車が押していきます。

「運転手より前なんて面白い〜」

客にお尻を向けないようにこういう配置になってるのだそうです。回りにも、同じような人力タクシーが行き交ってました。

ついた所は青空市場です。沢山露天に店が並んでいます。

 「果物一杯〜、鶏一杯〜」

バナナなんて山積みにしてる店もありました。中に小鳥を置いてる店も。メジロみたいに緑がかった小鳥が籠の中でパタパタしてます。

 「可愛いねえ〜」

なんて言ってると「買ったら〜」と言われてしまいました。

 「今旅行中だから、だめ」

 「籠に入れて持ってけばいいよ」
食い下がります。

 「これから1ヶ月旅するし、籠持っていけない」

 「毎日餌やれば大丈夫」

そういう問題ではないのですが、次々売り言葉が出て来るものですね。しまいには「途中で逃がせばいいよ」とか言われて、

 「自分で逃がしなさい!」

関口さんもあきれてました。

この後、ブランコみたいな椅子のある喫茶店で、ホットコーヒーに氷を浮かべたアイスコーヒーを飲んで、14:57富裕発。果てしない黒土平原を列車は再びアリのように北に向かいます。夕暮れの平原を寝台車の座席からじっと見つめる関口さん。ジャグダチについたのは20:52でした。今日も長旅、お疲れ様!

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2007年11月18日 (日)

中国鉄道大紀行 その82 幸せのお裾分け

中国鉄道大紀行 その82 幸せのお裾分け
10月22日は林口(りんこう)から勃利(ぼつり)、チャムスまで北上し、夜行で綏化(すいか)まで向かいます。

9:09林口発。周囲はまだらに雪化粧して所々に茶色い土が見えています。これから、稚内より北上するので、雪も段々分厚くなっていくでしょう。

列車の網だなに、大きな赤い包みが置かれているのを関口さんは見つけました。

 「これはなんですか?」

 「布団だよ」

春の旅でも出稼ぎにいく人が布団持参で列車に乗ってましたが、それにしても真っ赤な布団です。

 「二人は新婚なんだよ」

 「新婚さんは赤い布団で寝るの?」

 「ええ、中国の習慣です」

赤は縁起のいい色とされ、おめでたい場面では赤を使うらしいのです。二人は奥さんの実家に挨拶にいく途中なのでした。よくみると奥さんも上下赤い服ですし、旦那さんもネクタイ、靴、靴下まで赤尽くしです。素晴らしいコーディネート。

 「新婚さんは、靴下まで赤なんだ。」

 「ひょっとしてパンツも赤??」

 「ええ。赤です」

と、旦那さん。関口さん、大受けしてました。「赤いふんどし」だと日本でも耳にするのですが(見たことはないですが)、男性用の赤いパンツはちょっと見掛けませんね。徹底しています。

今度は奥さんが、飴を分けてくれました。これも中国の風習で、結婚したら飴を配るのだそうです。

 「幸せのお裾分け♪」

いい光景です。関口さんも、ありがたく頂戴していました。

長白山のふもとを雪景色の中、ずんずん北上して、10:44勃利着。人口37万人、炭鉱と農業の街です。このあたりにも日本の開拓団が入植していて、「大地の子」の舞台になったりしています。

広大な落葉松林が風に揺れている中を歩いていると、「活口巴副食」と書いたお店がありました。関口さん、お昼ご飯を食べようと寄ってみましたが‥

 「うちは食堂じゃないよ」

どうも雑貨店のようです。日本でも地方を歩いていると、日用雑貨や食品などを売ってるなんでも屋みたいなお店があるものですが、そういう店なのでした。

 「でも、即席麺なら作ってあげるよ」

なかなか親切ですね。助かりました。関口さん、お店に卵があるのを見つけて、割っていれようとしました。するとお店の人はビックリして飛びのき、体をよじって恐いものをみるようにこちらを伺っています。

 「どうしたの。なんで?」

 「中国では生卵を食べる習慣がないんです」

とは通訳の陳さん。衛生上の理由か、魚とかも生では食べないようですが、それにしても凄いリアクションです。

 「いいのよ。美味しいんだって」 「うまい!生卵超うま~~!!」

関口さんは、幸せそうでした。

13:41、勃利発。さらに北上していきます。今度の車内では、大きな花束を持った人達がいました。結婚のお祝いだそうです。今日は大安か何かなんでしょうかね。一人の女性が歌を歌ってくれました。

 ♪赤い布を腰に巻きましょう
 ♪幸運がやってくるように
 ♪健やかに若々しく
 ♪人生に幸があるように

軽やかな歌い声です。関口さん、またまた幸せのお裾分けを頂いてしまいました。

途中の駅で雪合戦している子供がいました。外はだいぶ寒そうです。年配の女性が話しかけてきました。

 「その靴は日本からはいてきたの?」

 「それでは寒そうよ。南に行くみたい」

確かに寒い地方の靴は、防寒がしっかりしています。足が冷たいのは辛いですからね。

 「寒い方が得意なので大丈夫です」

と関口さん。ところでおばさん方、日本人と話をするのは初めてだそうです。

 「外国人は特急しか乗らないから、ローカル線では会えないの」

 「嬉しいわ」

少し幸せのお返しができたかもしれませんね。

16:58チャムス着。ここで西向きの列車に乗換えます。19:15、チャムス発。硬臥(B寝台)で綏化に向かいます。ハードな旅程ですが、幸せな出来事が沢山あって何よりでした。お疲れ様。

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石神井の鴨たち

石神井の鴨たち
石神井の鴨たち
鴨が沢山来てました。餌をやらないようにと書いてあるのですが、やってる人はやっぱりいますね。

メタセコイアの葉が光に透けて綺麗でした。

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石神井公園

石神井公園
石神井公園
今日は暖かかったですね。昼から石神井(しゃくじい)公園に行ってきましたが、沢山の人が来てて、いつもは岸辺でおやすみしてるスワンボートもフル回転してました。

一際目を引いたのは、ボート乗り場近くのイチョウの木です。傾きかけた日の光と水面に煌めく反射光を浴びて、イチョウの木自体が揺らめいているようでした。写真じゃちょっと分かりませんけどね。

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2007年11月17日 (土)

音無親水公園

音無親水公園
音無親水公園
最近バスでもスイカが使えるようになって、適当にバスに乗り降りする遊びがしやすくなりました。

先日は適当に乗って高円寺についたのですが、今日は王子駅につきました。最初、車がビュンビュン通る余り面白みのない駅かなと思っていたのですが、反対側の改札側から川と紅葉が見えてビックリ。音無親水公園という所で、石神井川の河原を改修して、下に降りられるようにしてありました。

本当にその一角だけなのですが、小川あり水車ありネコありで楽しい空間でしたね。街中でこういう所があるとホッとします。

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中国鉄道大紀行 その81 日本語学生の街

中国鉄道大紀行 その81 日本語学生の街
週末は鶏西(けいせい)から中継で、初雪が降っていました。稚内と同じ緯度だけあって、冬の訪れが早いです。週明けの10月21日は夕方、鶏西から少し西の林口(りんこう)に向かいます。

21日の朝、雪は解けかけていて、道路はべちゃべちゃでした。まだ根雪にはならないようです。関口さん、朝ご飯を食べに「刀削麺」(とうしょうめん)と入口に書かれた店に入りました。小麦粉を練った塊を「く」の字の刀で削ぎながらゆでていくのが、刀削麺ですが、ここではじゃがいもの麺を茹でたものに、お好みの具をトッピングしていくようです。近くの日本語学校の生徒さんがいて、トッピングを手伝ってくれました。

鶏西は人口40万の小さめの街ですが、日本語学校が沢山あって、15校、15000人ほどが日本語を学んでいるそうです。1年3000元(45000円)で日本語が学べるという学費の安さが魅力で、遠く四川省から学びにきている人もいるようです。

このお店でも一人と日本語ではなしはじめると、回りからも日本語で話に加わってきました。 

 「助かるわあ。当たり前だけど、どこ行っても日本語話せる人いないし」

関口さんが感激していると、一人の女性が

 「実は、今こそいいチャンスですよ。日本人と話すの、私初めてです」

鶏西は昔から炭鉱の街ですが日系の企業はなく、日本語の教師以外の日本人はいないようなのです。

 「じゃあ、俺いい練習台なんだ」

昔、私もユースホステルで外国の旅行者と話す機会があると、英語を使ういい機会だと思ったものですが、そんな感じかもしれませんね。でも日本人のいない街が日本語学習のメッカになろうとは‥

 「他の街でもいいのになぜ鶏西で日本語が盛んなの?」

と聞いてみると

「北京や上海では遊ぶ所が沢山あって、サボるかもしれません。」

ということでした。こちらでは休日は日曜と土曜の午後だけで、あとは毎日勉強してるそうです。

 「休日はインターネットしたり、掃除したり、遊びの時間ないです~」

なかなか大変そうですね。

食後、学生寮に案内してもらいました。2階建てのアパートみたいな建物で、外にはたっくさん服が干してあります。二人部屋ですが、窓は南向きで日当たりは良さそうです。寒い地方ですから、何よりでしょう。

「オフィス日本語」というビジネス日本語のテキストがありました。

 〈お忙しい時間を割いてお会い下さり、ありがとうございます〉
 〈急用が出来たので遅れてしまいました〉
 〈あいにく、ご連絡申し上げる方法がございません〉

敬語の練習なのでしょうか、なかなか難しい例文が並んでいて、関口さんもビックリです。

 「これ言っちまったら、日本人ビックリするよ!」

こんなのを毎日練習して1、2年たつと、そこそこ日常の会話ができるようになるようです。英語の勉強も寮に入ってそれぐらいやると、ものになるのかもしれませんが‥

 「沢山のこと勉強して、頭フニフニしてます」

フニフニはフラフラの言い間違いらしいのですが、実感が伝わってきますね。いやいやお疲れ様です。頑張って勉強して、いつか日本で活躍して下さい。

16:28、鶏西発。「あっという間の別れだ‥」。関口さん、感慨深そうです。外はもう夕暮れ。西の空に向かって列車は走ります。

週末、家に帰ってこれから学校に戻る子供たちが沢山乗ってました。小学校3、4年生ぐらいでしょうか。平日は学校の寮が何かで過ごすのでしょう。さっきの学生たちといい、日本の子供よりよっぽど勉強しているような気がします。

一人の子供が関口さんに赤い実をプレゼントしてくれました。寝ぼけた関口さんがかじろうとすると

 「食べちゃだめ!」

みんなで大笑いしてました。この辺はやっぱり子供ですねえ。18:49林口着。新しい週がはじまりました。

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見上げると‥

見上げると‥
ネコ。

そんな所にいると危ないよ。

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2007年11月16日 (金)

国土地理院地図

今日、テレビで国土地理院の2万5千分の1地図のネット版というものを紹介してました。それでためしに検索してみると、確かにあるじゃありませんか、2万5千分の1地図。

Googleの地図とか、等高線が入ってないのが不満だったのですが、これだとばっちり地形を読むことができます。いやいやすばらしい。子供のころ、あちこちの地図を買い集めて楽しんだものですが、それをネットでできるようになりました。ただ、プリントアウトはできないそうで、その点は残念ですが、まあしょうがないでしょう。

http://watchizu.gsi.go.jp/index.aspx

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火星の接近

今回の火星最接近は12月19日だそうです。水曜日ですが、この前後だと十分大きく見えると思われます。

最接近時の明るさは-1.6等、視直径15.9"、地球との距離は8816万5305kmです。

http://www.astroarts.co.jp/phenomena/2007/ph200712-j.shtml

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2007年11月14日 (水)

中国鉄道大紀行 その80 長生きですねえ!

中国鉄道大紀行 その80 長生きですねえ!
10月18日は図們(ともん)から牡丹江(ぼたんこう)を経て、今回の旅の東端地点、鶏西(けいせい)に至ります。リアル関口さんは今週の金曜ぐらいに西端地点ジュンガルに到着して、36000kmの旅グランドフィナーレを向かえますので、このあと一気に東端から西端まで移動することになりますね。

朝4:30、図們発。早朝の出発です。夜が明けるに連れて沿線の家々から煙りが立ち上ぼっているのが見えました。暖房と炊事の煙りです。まきか石炭かを使っているのでしょう。この地方の冬の風物詩だそうです。

車窓にトウモロコシ畑が広がってきました。収穫期を向かえて三輪トラックの脇に、トウモロコシがうずたかく積まれています。牛車の姿も見えました。昔ながらの農村風景です。第二次大戦前には多くの日本人も入植していたそうなので、当時の人もこうした暮らしをしていたのかもしれません。

9:52、牡丹江着。人口271万人。ハルビン、チチハルに次ぐ黒竜江省第3の都市で、牡丹江というアムール川に注ぐ川のほとりに開けた街です。船でアムール川から日本海に出られるので、内陸の割に貿易が盛んだったりします。

大都市の割に、駅前には三輪トラックや牛車が行き交っていてのどかです。一人の老人が関口さんに、どこから来たのかと話しかけてきました。

 「日本からです」

 「昔、住んでた近くに日本人がいたよ。日本人の開拓団が来てたんだ」

このおじいさんの家でお話を伺うことになりました。部屋に上がらせてもらうと、昔の写真が飾ってありました。

 「これおじいさんの写真ですか」

 「若い時の写真さ。70年前だ」

奥さんや息子さんらしい人と並んで写ってます。これが70年前とすると‥

 「えぇ?おじいさん、お幾つ??」

 「91才だよ」

とても91には見えません。お若いです。

 「長生きですねえー!!」

おじいさん、嬉しそうにニッコリ笑ってました。

 「日本人は礼儀正しいね。朝も昼も挨拶する」
 「昼はコンバンハ、夜はコンニチハ、朝はオハヨウしますだったかな」

少し違ってますが、でもよく覚えてらっしゃいますね。

大戦末期、ソ連軍が満州に攻め込んでくると牡丹江周辺は最前線になりました。しかし南方に戦力を転用して弱体化していた関東軍は、あっという間に総崩れ。取り残された多くの日本人が残留孤児となったり、シベリアに抑留される運命をたどりました。

 「シベリアに抑留される日本人を見たよ」

 「男たちを乗せた列車が動き出すと、女たちが泣きながら手を振って‥」
 「男たちも手を振って日本語で叫んでいた」

 「何を言ってるか分からないけど、見てるだけで本当に辛かった…」

私の祖父もこの時期、シベリアに抑留されてそれっきり消息不明になってますので、こういう話はひとごととは思えません。写真でしか見たことのない祖父ですが、どこでどのような運命をたどったのか。沢山の人が歴史の波に翻弄された時代です。こういうことは、なるべく起きないようにしなければなりません。

 「ご飯が出来たよ。食べてったら」

奥から声がかかりました。おなかを空かせていた関口さん、両手をあげてご馳走になることに。床暖房の居間に丸いちゃぶ台は、昔の日本の食卓のようです。奥さんの手料理はどれも美味しそうでした。

13:40、牡丹江発。秋色の風景の中を列車はゆっくり北東に向かいます。今度は日本語を勉強している年配の男性に会いました。とても熱心です。

 「恩師が日本で暮らしています。奥さんが残留孤児ですから」

それで、いつか日本に行きたいとおっしゃってました。

 「今はお金がありませんが」

18:16、鶏西着。雨がしとしと降ってました。中国東北部は日本との関わりが深かっただけに、至る所で日本との因縁を感じさせられます。果たして鶏西では、どんな出会いが待っているのでしょうか。

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気象神社

気象神社
気象神社
今、なぜか高円寺にいるのですが、駅の南側をすこし行った所に「気象神社」というのを見つけました。気象を扱う神社は全国で唯一らしいです。

第二次大戦中に気象部隊の皆さんが創建されたそうで、昔からあったという訳ではないようですが、気象関係者のあいだでは有名らしいです。雑誌「気象」でも読んだ記憶が‥

せっかくですので、将来の気候変動による災害が少しでも少なくなるように、お祈りしてきました。神頼みでもしないと、どうしようもなさそうですし。

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2007年11月13日 (火)

中国鉄道大紀行 その79 国境の街

中国鉄道大紀行 その79 国境の街
10月17日は北朝鮮との国境の街、図們(ともん)を訪ねます。

昨夜19:33にハルビンを出発した関口さんは、まる12時間寝台に揺られて朝7:26、図們につきました。旅行再開早々、ハードな日程です。気温は−2℃。畑には白く霜が降りていました。

図們は人口14万の小さな街ですが、半数の7万人は朝鮮族の人です。駅前のトラックにも、ハングルの説明が書かれていました。街の外れに図們江が流れていて、20kmほどで日本海に注ぐ関係で、経済特区をつくるとかいう話もあったのですが、今のところ経済開発をやっている気配は感じられません。

図們江のほとりには「國界」と書かれた石碑がたっていました。川の向こうは北朝鮮です。数百m先の対岸には人影はなく、白い建物がポツポツたっているだけでした。その向こうに山並みが連なっています。まあ、北朝鮮だと思わなければ、なんということはない風景ですが、謎の国だと思うと曰くありげに見えるから不思議なものです。

 「車が行った!」

左手の橋を車が通っただけでも、思わず反応してしまいます。

街を外れると広々した田んぼが広がっていました。刈り入れはすっかりすんでますけどね。集落の周りには丁寧に畑が作ってあって、朝鮮族の人が手入れをしてました。

 「ニーハオ」

関口さんが声をかけましたが、返事はなく、怪訝そうな表情で見られてしまいました。警戒されているのかもしれません。脱北者も多いといわれる土地柄ですから。。

角を曲がると年配の男性が立ってました。

 「日本人か」

因縁でもつけられるのかと思いましたが、その男性は関口さんを自宅に招いてくれました。

 「お邪魔しま~す」

庭には沢山トウガラシが干してあります。靴を脱いで上がらせてもらうと、板の間に直接鍋が据え付けてありました。朝鮮鍋です。

 「初めてみました」

 「ここから火を着けるんだ」

板の間に取っ手がついていて、開けると床下になってます。鍋の下に、炭や薪をくべるスペースがありました。鍋を熱すると、床下全体が暖まるオンドルになっているのです。寒い季節も床からポカポカ。

 「うまいこと考えたね~」

オンドルは朝鮮の伝統的な暖房法ですが、食器棚も茶碗もすっかり朝鮮式の家屋です。朝ゆでたトウモロコシをいただきながら話を伺いました。

80年ほど前、祖父がこの地にやってきたこと。当時は国境の行き来が自由で、土地が広くて暮らしやすいと聞いてきたこと。北朝鮮には今も従兄弟が住んでいて、時々会いにいっていること。

 「一番最近行ったのはいつですか」

 「2003年」

つい最近です。

 「向こうはどんな様子でしたか」

 「貧しい。本当に貧しかった」

70年代は向こうの方が生活に余裕があって、中国では食料も満足になかったのに、北朝鮮では食料も化繊の着物も手に入ったそうです。

 「今の向こうは70年代の中国と同じだ」

改革開放以前、文革時代の中国に30年かけて逆行しているようです。食料すら満足にない暮らしは厳しいと言わなければなりません。

 「機会があれば、お米や服やお金を持って行きたいんだ」

こちらから行く時には2時間もあれば許可が出るそうですが、向こうからはまだ一度も来てないのだそうです。規制が厳しいのでしょうか。厳しい現実が垣間見えた国境の旅になりました。

関口さん、挨拶を交わしておじさんの家を辞しました。表に出ると、さっきまでまるで見知らぬ村だった所が、ほんの1時間ほどの間に見慣れた、親しみのある村に変わっていました。

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2007年11月12日 (月)

火星

火星
さっき外に出たら、東の空、オリオン座の左手上方に赤く輝く星が見えました。火星です。携帯のカメラじゃ写らないのでスケッチしてみました。

2003年8月、2005年10月と大接近したのですが、またこっそりと接近していたようです。今回な中接近ぐらいで、一番近付くのは12月下旬みたいですね。

子供の頃は夏でも冬でも天体観測したものですが、最近はちょっと寒いのは苦手かな。

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空が青い

空が青い
空が青い
土日は雨で昨日の夜は凄い雷雨でしたが、今日は一転して青空になりました。

空気中の塵が雨に洗い流されて、青味が深く遠くまでよく見えます。富士山も小さく白くうつってるのですが、分かるでしょうか?

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2007年11月11日 (日)

中国鉄道大紀行 その78 東方のモスクワ

中国鉄道大紀行 その78 東方のモスクワ
10月16日は大安北(だいあんきた)から譲湖路(じょうころ)を経由して、東方のモスクワと言われるハルビンに向かいます。

8:39、大安北発。だだっ広い原野を列車は北上していきます。今は茶色く枯れていますが、短い夏には野鳥の楽園になるのでしょうか。朝日にキラキラ光る大きな川を渡って黒竜江省へ。雄大な景色です。

お腹にお金を巻き付けた赤ちゃんがいました。おばあさんにつけてもらったそうですが、頭から足まで紐でくくったお金をくぐらせると長生きするのだそうです。「お金に不自由しない」のかと思ったら「長生きする」という所が面白いですね。長寿のおまじないをうけた赤ちゃん、ニコニコ笑ってました。

11:13、譲湖路着。ここでハルビン行きに乗換えです。天気はいいのですが厳しい冷え込みで、関口さんは長春で買った〈保暖内衣〉をご着用です。平たくいうと、ももひき。暖かそうです。

 「いいよ、ももひき。ももひきは素晴らしい〜♪」

11:36譲湖路発。こちらは混んでいて、少し上等そうな車両でした。黄金色のポプラ並木を抜け、松花江の向こうに高層ビルが見え始めるとハルビンです。

13:56、ハルビン着。人口970万人。黒竜江省の省都です。「東方のモスクワ」と呼ばれるだけあって、駅前には洋風というかロシア風の建物がズラリと並んでいます。ここはかつてロシアが権益を持っていた、東清鉄道と南満州鉄道の分岐点で、ロシアの東方進出の拠点として築かれたまちです。

東清鉄道はシベリア鉄道につながり、そのままモスクワからヨーロッパ各国につながっています。飛行機のなかった時代にはハルビンは中国からみてヨーロッパへの最短ルート、ヨーロッパへの入口とも言える都市でもありました。中国東北部の真ん中にヨーロッパへの入口があろうとは、ちょっと意外ですけどね。「どこでもドア」が取り付けてあるみたいです。

〈ロシアショップ〉と書いた土産物屋で関口さん、ちょっと気になる懐中時計を見つけました。

 「これは丈夫ですか?」
 「とても丈夫ですよ」

女性の店員が答えます。

 「この先もロシアのお店は続いてるんですか?」
 「メイヨー(ありません。ここだけです)」
 「本当? ここだけ?」
 「ウソ。本当は沢山あります」

面白い店員さんです。

 「でも、うちが一番安いし、他ではこんな美人が売ってないよ」

やりとりを聞いていた、回りのお客も爆笑してました。この界隈の名物店員なのかもしれませんね。

土産物屋を冷やかしているうちに、外は夕闇がせまってきました。ロシア正教のドーム屋根と十字架のシルエットが、黄金色の夕焼け空に浮かび上がっています。本当にロシアにいる気分です。

夕食は当然ロシア料理。元彫刻家兼建築家のオーナーが建てたお店で、牛肉の壺煮やピロシキを頂きます。
 「うまいね〜、これ!」
 「ピロシキは意外にサッパリしてるのね。うまい!」

食後にオーナーにお話を伺いました。

 「中国とロシアのハーフだそうですね」
 「そうです」

いきなり日本語で返事が帰ってきました。1988年から10年ほど、日本で建築の仕事をしていたそうです。

 「観光客や若い人にハルビンの歴史を知って欲しくて、このレストランを建てました。」

古くは女真族の都が置かれ、満州語で「白鳥」を意味する言葉から名付けられたハルビン。冬は氷点下30℃に達し「氷城」とも呼ばれるこの街は、多くの民族が共存する国際都市でもありました。そうした歴史が伝わるといいですね。

夜のハルビンはライトアップの煌めきに覆われて光の城のようでした。19:33、ハルビン発。関口さんは夜行列車で次の目的地図們(ともん)に向かいました。

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2007年11月10日 (土)

中国鉄道大紀行 その77 吉林の紅葉

中国鉄道大紀行 その77 吉林の紅葉
梅河口(ばいかこう)で中継をした後、関口さんは旅の中休みで1週間、日本に帰っていました。春の旅では武夷山(ぶいさん)のあたりでバテバテになってドクターストップ寸前だったといいますから、秋の旅ではあらかじめ中休みが設定してあったのでした。

旅の再開は10月15日。この日は梅河口から北上して吉林(きつりん)、長春(ちょうしゅん)、大安北(だいあんきた)まで目一杯まわります。

6:53、梅河口発。気温は0℃。関口さん厚着して寒そうです。北緯42度といいますから、旭川と同じくらいの緯度ですね。冬場は−30℃くらいまで下がるのだとか。

朝霧が川面から立上がり、朝日がオレンジ色に霞んできれいです。水温より気温が下がるときの現象で冬近しって感じがします。もっと気温が下がると霧がダイアモンドになったりするのでしょう。

10:15、吉林着。

 「さみ〜、やっぱさみ〜!」

暖房の効いた列車から降りた関口さん、やっぱり寒そうです。人口198万人、名前の通り以前は吉林省の省都だったのですが、のちに交通の便のよい長春に省都が移りました。

吉林の郊外に松花湖(しょうかこ)という湖があります。1940年と言いますから満州国の時代、松花江に水力発電所を作ったときにできた細長いダム湖です。全長200kmで今はスキー、スケートなどウィンタースポーツのメッカとなっています。ここに関口さんは紅葉を見にでかけました。

ザクザク、落ち葉を踏んで湖畔にでると小さな遊覧船が泊まっています。

 「ニーハオ、乗っていいですか?」
 「山の方に行くかい?」

船で山に行くというのも妙ですが、くねくねと山あいを溯ろうということでしょう。

 「とにかく、紅葉の綺麗な所がいいな」

ザザザザ、老龍門のモーターボートよりよほど穏やかな船です。

 「水面キラキラ、綺麗だねえ」

澄んだ青空に紅葉が映えます。周りの山々はブナ科の落葉樹に覆われ、ちょうど全山が紅葉の盛りでした。

 「久々に素直に紅葉にあった感じ‥」

日本の乗りつくし旅のときは、紅葉が遅くてなかなか綺麗な紅葉に巡り会えませんでしたが、今回はスケールの大きな紅葉を楽しむことができました。

13:00、吉林発。今度は稲作地帯を西に向かいます。ここも稲刈りはすっかりすんで、広大な田んぼに点々と藁の山が積まれていました。田園風景とは別に、車内には化粧品を山程鞄につめた綺麗なお姉さんの姿も。大都市を結ぶ路線だけあります。ほどなく、14:38長春着。

 「また、大都会だねえ」

吉林省の省都で人口724万は瀋陽といい勝負です。私にとっては気象通報でお馴染みの街ですが、満州国時代には首都新京が置かれていた所でもあります。

コーヒーを飲みに、とある高層ホテルを訪れた関口さん、日本の自動車メーカーの駐在員のご家族に出会いました。そのホテルにお住まいだそうです。費用は会社持ちなのでしょうが優雅ですねえ。

ホテルの部屋をお邪魔した所、部屋が3つぐらいあってマンションみたいです。

 「別世界なんですけど〜」

5月からこちらにいらっしゃるそうで、こちらの暮らしを楽しんでらっしゃるようでした。

 「せっかくきたんやから、新しいこと前向きにね。中国語も覚えな」

関西弁ですので、大阪あたりの方でしょうか。これから寒くなるので、お体に気をつけておすごし下さい。

17:32長春発。さらに北に進みます。時刻は出なかったのですが深夜になって、稚内と同じぐらいの緯度の大安北につきました。一段と寒そうです。復帰早々の長旅お疲れ様でした!

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2007年11月 8日 (木)

みんなのうたリクエスト 「火星のサーカス団」

明日11月9日のみんなのうたリクエストは、1985年初回放送の「火星のサーカス団」の予定です。

松本隆、南佳孝という錚々たるメンバーが作詞・作曲を担当し、当時NHKが導入したばかりのCGアニメーション装置を初めて投入して作ったという、気合いの入った作品です。

 ♪星空に響くファンファーレ
 ♪ヒゲの団長の挨拶
 ♪観客はみんな火星人
 ♪決して笑わない人達

イチ!二ー!イチ!ニー!

マーチのリズムでサーカス団が入場します。舞台は火星、観客は火星人。それはいいのですが、彼らは決して笑ってくれません。笑わない観客の前で演技する悲しいピエロのお話です。

 ♪火星のサーカス団
 ♪ロケットに乗って
 ♪銀河を旅するのさ〜

星から星へ公演しながら旅をしているのでしょうか。当時、私は修士1回生で植物採集をしながら日本中を巡ってました。この歌を最初に聞いたのも富山県のとあるユースホステルで、他に誰もいない宿舎でこの歌と「詩人とツバメ」を聞いた記憶があります。どちらも寂しい曲ですけどね。

 ♪ふるさとに飛んで帰りたい
 ♪青い海のある地球に

公演の合間にピエロがはらりと涙を流すシーンが印象的でした。どんな事情があるのか、今はそれが彼の仕事なのです。

サーカスが終わりピエロが一礼すると、観客たちから拍手が沸き起こりました。このシーンが好きでしたね。決して笑ってくれないけど、いい演技にはちゃんとリアクションを返してくれる観客たち。ピエロの気持ちも和みます。パタンと絵本と閉じてお別れするときは笑顔で手を振ってくれました。

特に教訓とかメッセージを読取る必要もないのでしょうけど、仕事することの大変さやその中で励みになることの大切さを感じさせてくれる歌でした。うた缶の感想のページでも、この曲に元気づけられたという声も結構あるようです。

放送は11月9日(金)14:35〜14:50ごろ、総合テレビの予定です。

「火星のサーカス団」
うた 南佳孝
作詞 松本隆
作曲 南佳孝
編曲 清水信之
アニメーション 永島慎二
初放送月 1985/10

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2007年11月 7日 (水)

中国鉄道大紀行 その76 ヤマトホテル

中国鉄道大紀行 その76 ヤマトホテル
10月5日は瀋陽(しんよう)を探検したあと、北上して四平(しへい)から梅河口(ばいかこう)に至ります。

瀋陽は遼寧省の省都で東北地方の中心都市です。人口737万は中国でも5番目。旧名は奉天で一時期後金の首都が置かれ、清の時代には副首都となりました。

日露戦争後、日本が南満州鉄道(満鉄)の権益を手に入れると、鉄道総局が置かれ、満鉄本社の置かれた大連と並んで満州進出の拠点となった土地でもあります。日本とは因縁浅からぬ土地で、うちの親も一時期奉天に住んでいたそうです。

街には当時の面影を残す建物があちこちにありました。駅前の銀行は元「満州興業銀行奉天支店」ですし、瀋陽最大のホテル、瀋陽賓館は満鉄が建てた「奉天ヤマトホテル」だったりします。関口さん、何やら横断幕のかかった「ヤマトホテル」を訪ねました。

格式の高そうな入口をくぐると、大きなホールがありました。高い天井にはシャンデリアが下がり、装飾を施した丸窓には優美なカーテンがかかっています。正面には緋色の幕が左右にかかった舞台が‥

 「昔の舞台って感じだね、これ。昔のままですか」

 「昔のまんま変えてません。舞台から何からすべて当時のものです」
 
1927年といいますからちょうど80年前に建てられたホテルですが、古い感じはしませんね。むしろとてもモダンです。できた当時は超最新式のホテルだったのでしょう。満州事変の調査に訪れたリットン調査団もここに泊まったのだとか。

 「こちらに宿泊した方の名前があります」

エレベーターの脇にリストが貼ってありました。

 〈毛澤東、周恩来、劉少奇‥〉

第5の都市の中心ホテルだけあって、錚々たる名前が並んでいます。

 〈朱徳、彭真、陳雲、林彪‥〉

中国現代史の試験問題ができそうです。日本人の名前もありました。

 〈土肥原賢治、松岡洋右‥〉

日本人のリストには《侵華日軍、関東軍》の注釈がついています。それはそうなのですが、そういう由来のあるホテルをよくそのまま残しているなあという点に逆に感心しますね。せっかくの最新施設なので、使えるものは使おうということだったのだとは思いますが。

13:28、瀋陽発。東北平原の穀倉地帯を北上します。稲刈りはすっかり終わって、田んぼのあちこちに稲藁がうずたかく積まれていました。関口さん、瀋陽で買った牛丼でお昼ご飯です。

 「久々の牛丼~」

片や、クレープの皮のようなものに長葱や豆腐に味噌をつけてくるんで食べている人もいました。中華風のクレープでこちらの郷土料理らしいです。

 「このあたりではみんな大好きさ~」

車内では笙をピーヒャラパッパラ吹いてる人もいます。列車の中で歌をうたったり楽器を演奏したりといったシーンが良く出て来ますが、周りの人が特に気にしている様子もありませんので、珍しくない光景なのでしょう。

夕日が西に傾くころ、16:21四平着。すでに吉林省に入っています。人口330万でウィキペディアによると「東方のマドリッド」と呼ばれているそうです。ヨーロッパ風な街並みがあるのでしょうか。どういう風にマドリッドなのか良く分からないうちに、梅河口行きに乗換えます。

関口さんが絵日記を描いていると、女性の編集者の方が覗きこんできました。しきりに絵がうまいと感心したかと思うと、突然

 「くださる?」

さすがに、あげる訳にはいかないですね。丁重にお断りして、一緒にキュウリを食べたりしているうちに18:34梅河口着。満漢全席で始まった今週の旅はここで終わりです。お疲れ様でした!

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2007年11月 5日 (月)

中国鉄道大紀行 その75 東北漫才

中国鉄道大紀行 その75 東北漫才
10月4日は、遼陽(りょうよう)から東の本渓(ほんけい)によって、省都・瀋陽(しんよう)を目指します。

10月1日の国慶節(建国記念日)から1週間は連休だそうで、4日は連休の中日にあたります。メーデー付近も連休でしたから、春と秋に大型連休があることになりますね。気候のいい時期ですから結構なことですが、大型連休に人出が集中すると、混雑が激しくなるので、休みを分散させた方がいいという議論もあるようです。

出発まで時間があるので関口さん、近くの公園に散歩にでかけました。入口に大きな赤いアーチがかかっています。公園の木々には赤や白のパラソルが吊されていて、お祭りの雰囲気です。木陰に舞台が組まれていて、寸劇のようなことをやってました。

 「なんちゅーかっこしとんじゃ!」

男女のペアなのですが、男性がスカートのようなダブダブしたズボンを穿き、女性が赤いヒラヒラした衣装をつけています。ひとしきり、コントをすると、緑の小さな座布団を取り出してクルクル回しはじめました。

これが「二人轉」と呼ばれる、中国東北地方で人気のある漫才ショーなのだそうです。歌あり踊りありコントあり曲芸ありで、日本の漫才よりバラエティに富んでいます。最初、失敗したのか演出なのか、座布団を飛ばしてしまってましたが、その後は二人並んで頭の上でクルクル回したり、足をくぐらせたりしてなかなか上手です。沢山、拍手を浴びてました。

連休中はこういうショーが各地で行なわれいるそうです。「東北漫才」で検索しても余り出てきませんが、「二人轉」で検索すると沢山ヒットしました。中国語のサイトばかりで書いてあることはよく分かりませんが、人気があることは確かなようですね。

この公園は明代のお寺の境内だそうです。遼陽は、遼や金の時代の副首都で沢山のお寺が建てられていました。明のあと、満州に後金が建国されると、遼陽は一時期首都となりましたが、まもなく奉天(ほうてん、今の瀋陽)に首都が移されると、多くの建物が壊されて奉天に移築され遼陽は廃墟となったということです。

ほとんどの建物が礎石のみの姿になった中で、遠くに丸いドームを備えた高い塔が見えました。曰くがありそうです。

 「あの丸い塔はなんですか?」
 「水道の塔だよ。今は使われてないけど」

仏塔かと思うような外観なので、知らないと記念写真とか撮ってしまいそうです。

境内の中央近くには、今度は正真正銘の仏塔がありました。高さ70mの「白塔」です。

 「綺麗だよね~。六角形~」

実は八角形なのですが、大きな建物なので手前に角が四つ見えて、裏に二つあるようにも見えます。各面に優美な仏像が掘られ、その上に13段の屋根がウエハスのように重なっています。1000年ほど前の金の時代に作られた建物で、当時の面影を伝えるものはこれだけのようです。遼陽のあたりは日露戦争の激戦地でもあり、両軍合わせて20万以上が激突した地ですので、これだけでも残っているのは幸いと言えるでしょう。

休日の公園でのんびりすごして、15:07遼陽発。瀋陽はほぼ真北なのですが、とりあえず東に向かいます。車窓はススキがなびいてすっかり秋の風景です。車内でもホオズキを食べる人、トウガラシを友人宅に持って行く人‥

石炭や鉄鋼のコンビナートが建ち並び、夕日が西に傾くころ、17:05本渓着。石炭を満載した貨物列車が停車してました。ここで瀋陽行きに乗換えます。休日でも製鉄所には5万人の従業員が出勤し、瀋陽行きは大変な混雑です。学校や病院まで抱えた国営企業方式がまだ維持されているのでしょうかね。

18:55、本渓発。まっくらな中を今度は北西に瀋陽に向かいます。向かいの席の年配の女性に仏教の本をもらったりしているうちに20:06瀋陽着。明日は省都の探検です。

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2007年11月 4日 (日)

中国鉄道大紀行 その74 緑の長城

中国鉄道大紀行 その74 緑の長城
10月3日は秦皇島(しんこうとう)から山海関の関を越えて、東北部の盤錦(ばんきん)、遼陽(りょうよう)に向かいます。

8:00ちょうど秦皇島発。今日はいい天気です。関口さんは、夜勤明けの乗務員に混じって遅めの朝食です。23時間走るとか言ってましたから、北京よりも遠くから夜通し走ってきた列車なのでしょう。皆さんお疲れ様ですね。

車窓にはトウモロコシの束を屋根に分厚く乗せた家が並んでいました。1mほどの厚さで、トウモロコシの帽子をかぶっているみたいです。実や茎を乾燥させてるのでしょうけど、こんな方法がとれるところをみると、ほとんど雨は降らないのでしょう。

遼河の河口が近付いてきて、湿地帯が広がってきました。タンチョウヅルなど250種の野鳥が暮らしているそうです。トウモロコシ畑も水田に変わり、黄金色の稲穂が風に揺れていました。遼河は上流に沢山工場があって水質の悪化でも有名な所ですが、映像で見る限りはあまり影響は感じられません。

11:04、盤錦着。人口124万人。遼河油田の石油を用いる石油化学工業が盛んな街です。郊外に出た関口さん、延々と伸びるポプラ並木を見つけました。

 〈警民魚水情〉
 〈共建緑長城〉

という石碑が立っています。これは中国政府が1978年から建設を進めている「緑の万里の長城」の一部なのでした。森林面積が国土の17%しかなく、それ以上の面積が砂漠化しているお国がらですから、植林は国家的な大事業です。「東北、華北、西北」の三北をつなぐ植林帯は「緑の長城」と呼ばれ、すでに4500kmが完成しているとか。

水路に沿ってポプラ並木が真っ直ぐに遠くまで伸びています。

 「なげー!ほんとになげー!すげーなげーー!!」

このポプラ並木が風や砂を遮ってくれるので、近くには野菜や花が植えられていました。この近くを植林した人によると、10年前はあたり一帯砂漠だったそうです。もともとは牧畜をしたかったのだけれど、乾燥がひどくて緑化から始めなければならなかったということでした。

 「普通の土地だと半月に1回水をやればいいが、ここは2日に1回やらなければならないんだ」
 「水はどこから引いてくるんですか」
 「地下水だよ」

緑化で問題になるのは水ですが、多くの場合、地下水のあるところを選んで緑化が行なわれているようです。遼河の下流では、降水量が少ないので砂漠化してたようですが地下水は豊富にあります。内陸でも地下水がある所では立派な森林が出来てる所がいくらもあります。

ただ、内陸部の地下水は限りがあるので、水が枯れると緑化した土地ももとに戻る恐れがあります。一方で緑化が進むと土地の保水力がましたり、降水量が多少増えたりすることが期待できます。したがって、内陸部の植林は地下水の枯渇が早いか、保水力、降水量の増加で地下水が回復するのが早いか、時間との戦いになると言えるでしょう。緑の長城は75年計画ですが、最後の植林が終わるころには、最初の植林の運命も明らかになっているかもしれません。

16:28、盤錦発。アカシアの木の枝打ちを手伝った関口さん、列車の中で地下から雨が降ってくる絵日記をかいてました。地下水の勢いが勝って欲しいものです。

再び現れた湿原にオレンジ色の夕日が沈むと、地平線に花火が見えました。向かいの席のお兄さんたちの音楽に合わせて「北国の春」を熱唱した関口さん、上機嫌でした。

 「幸せな日だね、今日は~」

19:02、遼陽着。明日も幸せな旅になりますように。

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2007年11月 3日 (土)

中国鉄道大紀行 その73 長城の果て

中国鉄道大紀行 その73 長城の果て
10月2日、北京をあとにして「天下第一の関」山海関(さんかいかん)のある秦皇島(しんこうとう)に向かいます。

7:30、北京発。関口さん、寝癖で頭はボサボサです。中心駅だけあって沢山のホームがあって、各地に向かう列車が停車していました。中にはウランバートルに向かう豪華な国際列車も。30時間かかるそうですが、そういう旅もしてみたいですね。

北京郊外のラン河を渡って東に向かいます。じきにトウモロコシ畑が広がってきました。華北平原を横切って走ること3時間余り、渤海(ぼっかい)湾の沿岸に出ると秦皇島はすぐです。

11:17、秦皇島着。人口76万人。景色のよい海辺の保養地です。名前の通り秦の始皇帝ゆかりの地で、不老長寿の薬を探しにきたものの、当然そんなものはなくてむなしく引き上げたのだとか。その後、明の時代に首都北京防衛の重要拠点として山海関の要塞が築かれ、そこを基点として明代の万里の長城がつくられています。

秦皇島の海岸には砂浜が広がっていました。ずーーっと、内陸を旅してきましたから海に出るのは久しぶりです。砂浜を見るのは5月の「1cmの海」の回以来になります。つくづく海の少ない国ですね。もう寒い季節なのにモーターボートに乗ってる人も沢山います。

このモーターボートに乗ると、老龍門という万里の長城が海に突き出た部分を観覧することができるのだそうです。関口さん乗ってみることにしました。

 「うわ~冷て~!」

波が荒くて、砂浜に直付けされたボートに近付くと、足元が濡れます。なんとかボートに乗り込むと「座って座って」と怒鳴られました。

 「そりゃあ、声も枯れるわなー」

座席に座るといきなり、エンジンを全開にして走りはじめました。荒波を突っ切ってザッパンザッパン揺れながら突進します。

 「はえ~~!物凄くはえ~~!!」
 「あうっ!あうっ!イテテ!」

波にぶつかるたびに、お尻がガンゴン突き上げられます。スリル満点な上、痛そうです。3分ほどで、あっという間に老龍門の沖につきました。

龍の頭が海に突き出すように、高さ14mの城壁が海に浮かんでいます。一際高い櫓には兵馬が詰め、7、8頭が並んで動ける幅の城壁を行き来して応戦したのでしょう。後金(のちの清)の軍勢が明を攻めたときも、ここをどうしても突破できず、明が内乱で滅んで守備隊が清に寝返ってようやく攻略できたといいますから「天下第一の関」の名はダテではありません。

 「観光地化された所もあるけど、イメージの違う長城が一杯あんのね」

長城の果て、海に浮かぶ長城の姿は確かに新鮮でした。

再び、ゴンゴンお尻を打ちながら疾走して、最後は運転手の肩につかまって揺れるモーターボートから無事生還。所要時間15分ほど、「ジェットコースターより面白い」スリル込みで正規料金100元(1500円ほど)だけど、値切れば半額から三分の一になるという老龍門見学でした。まあ、実際に体験したいかどうかは意見が分かれる所でしょうね。

陸を歩くと、崩れかけた長城の石垣が、草に覆われているのが見えました。野バラやアサガオの花が咲き、羊が草を食んでます。さっき見た立派な長城は夢か幻で、魔法が解けたような、浦島太郎になったような気分になりました。別の意味で長城の果てを見た思いです。

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2007年11月 2日 (金)

中国鉄道大紀行 その72 宇宙から見えるの?

中国鉄道大紀行 その72 宇宙から見えるの?
10月1日、今から1ヶ月と1日前、関口さんは北京に到着しました。リアル関口さんは雪の中国東北部を巡り終えて、内モンゴルを一路西進している所ですが、BS日めくり版は国会中継やら証人喚問やらで抜けまくって非常に遅れています。こちらもBS版に沿って進めていくことにしましょう。

7:36、上坂城(じょうばんじょう)発。久々に雨が降ってました。北京に向かう上り列車は混んでいます。でも、北京まで6時間ほどかかるので通勤列車というわけではありません。旬の栗を食べる人、果物狩りに出かける子供たち、今夜のおかずにするのでしょうか、赤いバケツにナマズを一杯入れてテーブルに置いてる人もいます。

車窓には所々にサンザシの果樹園が見えました。胃や心臓に効く生薬になったり、ドライフルーツとしてお菓子の材料にしたりする種類で、漢方薬の通販のページにも出てきます。かなりの現金収入になるのでしょう。しばらくいくと、万里の長城もチラチラと見えはじめました。

12:17、懐柔(かいじゅう)着。万里の長城見学の最寄り駅で、駅前には沢山露店が並んでいます。

 「だから~」
 「怖いんですけど~!」

長城まではリフトで上がります。標高1000mの尾根に横たわる長城がゆっくり近付いてきます。下をみるとかなりの高さ…。ロープウェイも苦手な関口さん、相当怖そうでした。

長城はそんなにごったがえしてはいませんでしたが、それでも沢山の観光客が長城に沿って上り下りしてました。6000kmに渡る長城のうち、きちんと整備されているのは、1割にもなりませんが、それでも数百kmになります。じかにみると、やはり圧倒されるでしょうね。

 「長さはとんでもないけど、横幅はそんなでもないな」

関口さん、長城を大股で横断してみました。

 「1、2、3。3歩」
 「こんな幅なのに宇宙からみえんの?」

もっともな疑問です。実は、肉眼では宇宙から万里の長城は見えないのだそうです。横幅4mの建造物を100km上空から見るとすると、それは0.4mmの極細ペンで書いた線を10m先から見ることに相当します。5m先だと0.2mmの超極細。

5m先で1.5mmのものが見分けられると視力1なので、0.2mmを見分けるにはその7.5倍、視力7.5が必要になります。これはよほど目のいい人でもちょっと難しいですね。万里の長城も幅が30mほどあれば、視力1の人でも宇宙から見えたのですが残念!です。

長城見学の帰りには、なんと滑り台が用意されていました。リフトが怖い関口さん、当然こちらを選びます。

 「OK、レッツゴー!」
 「お、お、おもしれーじゃん!」

長さ1600mを右に左に蛇行しながら一気に下っていきます。所要時間5分余り、平均時速20kmほどのミニボブスレーです。これは面白そうですね。長城見学にいったら、是非体験してみなければなりませーん!

14:59懐柔発。北京に向かいます。時間帯のせいか車内は空いてました。乾燥したタバコの葉っぱから、新聞紙で巻いた紙巻きタバコを作ってもらったりしているうち、16:26北京着。4月にラサを出てから走行距離25423km、万里の長城の4倍余りの距離を走破してようやく首都に到着しました。いやいやお疲れ様です。折しも、10月1日は国慶節で天安門広場は各地からの観光客で身動きできないほど混雑してました。長い旅もそろそろ終盤です。

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みんなのうたリクエスト 「道」

今日のみんなのうたリクエストは2004年初回放送の「道」です。「道」という曲は実は2曲あるのですが、今回は路面電車が空を走ってる方です。

 ♪ふーらふーらと歩いてきた
 ♪ゆーらゆーらと歩いてきた
 ♪ずーいぶん遠回りして
 ♪たーどり着いた道

真っ直ぐシャキシャキではなくて、ふらふら行きつ戻りつしながら、でもここまでたどり着いた道。くねくねと空を走る路面電車と運転手の男の子と乗客の女の子の物語が、ピッタリ曲のモチーフを表現していて、曲、映像ともに秀作です。

アニメーターの小野さんは、「哲学するマントヒヒ」のオーディションにも参加されてたそうで、小野版マントヒヒも見たかったなあという気がしますね。

放送は11月2日(金)14:35~14:50ぐらいの予定です。

「道」
作詞 yumirose
作曲 yumirose
編曲 矢嶋マキ
歌手 yumirose(ユミローズ)
映像担当 小野修
映像種別 CGアニメーション
初回放送 2004年4,5月

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2007年11月 1日 (木)

中国鉄道大紀行 その71 満漢全席

中国鉄道大紀行 その71 満漢全席
週末は承徳(しょうとく)の避暑山荘から中継して、その後下坂城(しもはんじょう)から上坂城(かみはんじょう)まで一駅だけ移動します。一日の移動距離としてはこの旅最短です。

移動が短いと街中を探検する余裕があります。承徳は清朝の夏の離宮があった所で、四大庭園の一つで世界遺産の避暑山荘の他、チベット様式の寺院が建ち並ぶ外八廟など見所が一杯です。清朝の宮廷料理を出すレストランなんかもあって、関口さん今日はそこでお昼ご飯を頂きましたました。いわゆる満漢全席です。いいですねえ~!

 「凄い格好のウェイトレスさん!」
 「ピャオリャン~(べっぴんさん~)」

頭に大きな赤い花飾りをつけて、全身きらびやかな宮廷衣装を身につけたウェイトレスさんがお出迎えしてくれました。予約してあったのでしょう、次々に料理が運ばれてきます。

まずは〈点心三品〉。

 「小さなシュークリームみたい~」

栗とトウモロコシでできた可愛らしいお饅頭です。お味は中華マン風。

次は〈豚ひき肉の焼き餅〉です。

 「また小さいの出て来た。皇帝はチョビチョビ食べるのね」
 「ガッツリご飯食べないなんて、向いてねーなー、俺!」

いえいえ、まだまだこの辺はウォーミングアップです。

その三〈シカのアキレス腱の煮込み〉。ゼラチンで覆われていて美味しそうです。その四〈ノロジカの脚肉の煮込み〉。

 「段々、大きくなってきた~」

シカ料理が続きました。「満漢全席」は「満州族と漢族の珍味を全て集めた宴席」という意味なので、この辺は騎馬民族系の満州族の料理なのでしょう。

その五〈鶏肉と茶葉の揚げ物〉
その六〈雁のすり身のスープ〉
鳥料理のセクションです。金色の器に盛られたスープが美味しそう‥

 「いや~ん、うま~い!」

関口さん、白目を剥きはじめました。

その七〈冷菜盛り合わせ〉
その八〈アヒルの舌肉と白菜のスープ〉

 「皇帝が可哀相なくらい、うますぎ」
 「これが当たり前と思っちゃったら‥」

確かにそうですね。知らず知らずのうちに、こういうのが当たり前と思ってしまうと、他のものが食べれませんし、的外れのまつりごとをしてしまうかもしれません。

その九〈キノコとナッツの炒め物〉その十〈果物の盛り合わせ〉

今日のコースはここまでです。本当の満漢全席は100品以上の料理を何日もかけて頂くのだとか。検索したら満漢全席を再現したDVDが出てるのですが、その価格が30万円。食べたらどれぐらいするんだ~! とか思ってしまいましたが、清朝でも本当の満漢全席は西太后の還暦祝いとか特別の機会にだけ行われていたようです。まさにプライスレスな行事だったのでしょう。

豪華な昼ご飯のあと、街を探検に出た関口さんは楽器屋を見つけました。二胡や琵琶などの弦楽器の他、笛(笛子 ディーズ)も置いてあります。

基本的に横笛なのですが、吹く穴、指で押さえる穴の他、指が届かない位置にも穴が開いています。?‥のまま関口さんが吹くと、ピーヒョロと和風の音がしました。

 「誰かに習います」

と言って出ようとすると

 「先生もいますよ」

笛の先生に吹き方を教えてもらうことになりました。先生曰く

 「笛を買ったら、ニンニクを使うんですよ」

という意外なお言葉。さっきの穴の周りにニンニクの汁を塗るのだそうです。そこに膜をペタッ。それから吹き始めると‥

 「膜が震え始めたね。中国の音になってきた」

中国笛独特のちょっともの悲しい調べが響きます。そう、この膜こそ中国笛の音色の秘密だったんですね。知りませんでした。

ネットで調べると、この膜は葦の繊維で作った「笛膜」というもので、貼るときには本来ロバの皮から採ったゼラチン質の阿膠(アージャオ)というものを使うのだそうです。その代用としてニンニクの汁も使われるのでしょう。ちょっと臭そうですが。

笛膜はきつく貼りすぎると震えないし、ゆるすぎると雑音が入るということで、なかなか貼り方が難しそうです。「膜貼り八年」なんて言葉もあるのだとか。奥が深い世界です。

18:30、下坂城発。この路線を通り旅客列車は例によって1日1本だそうです。20分ほどで今日の旅は終わりで、18:52、上坂城着。明日は北京です。

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