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2011年8月12日 (金)

一般的信頼と共感の働き

コントロール幻想や繰り返しPD(囚人のジレンマ)における戦略の使い回しや協力を善とする価値観が1回きりのPDにおいて協力行動を促すことを見てきました。これらを持つ人と持たない人が1回きりのPDで対戦すると、前者が協力行動を採り後者が非協力行動を採ると予想されます。その結果、前者は安物を押し付けられたり代金を支払ってもらえなかったりして損をすることになるでしょう。コントロール幻想なり戦略の使い回しなり協力を善とする価値観なりは、それらの持ち主に損失を与える場合があるのです。

では、なぜこれらの損失を与えることのある心理メカニズムや価値観を人は持つ場合があるのでしょうか。これは結構難問で、いまだ十分な解答は存在しないと思いますが、いくつか可能性を考えて見ることにしましょう。

一つの可能性として、これらの心理メカニズムや価値観が短期的には損失を与えるかもしれないけれども、長期的には利益を与えるからかもしれません。しかしここでは、たとえば実験室で行われるような1回きりのPDを考えていますので長期的な利益はその中に期待することはできません。

もう一つの可能性としては、これらの心理メカニズムは物質的には損失をもたらすけれども心理的には満足感をもたらすからかもしれません。特に協力を善とする価値観の持ち主は協力行動を採ることに心理的な満足感を感じている可能性が高いでしょう。協力行動は自分の利得を減らして他者の利得を増やす性質をもちます。他者の利得を増やすことに心理的な満足を感じる人は協力行動にも心理的な満足感を覚えることでしょう。

他者の喜びや苦痛を自分のことのように感じる心理メカニズムを共感といいます。共感の作用で他者の利得を増やすことに満足を感じるならば、実験室での1回きりのPDにおいても協力行動が採られることが期待できます。この場合のポイントは1回しか会わない見知らぬ他者に共感を感じるのはなぜかということになります。

ホフマンによると共感には、喜びや苦痛を感じる人を目撃することによって生じる生理的な反射による部分、他者の話を聞くことで過去に自分の身に起きた同様な出来事を思い出して生じる部分、他者の境遇に積極的に思いをはせることによって生じる部分があるようです。他方、他者の陥った苦境が本人に責任があると認知される場合には共感が生じないとするワイナーの報告もあります。

共感の生理的な部分については生物学的な基盤があるといえるでしょう。この部分は、親が子供の世話をするときに子供の喜びや苦痛を自分のことように感じて世話をするならば、適切な世話ができるといった事情から進化したようです。血縁者を援助する戦略は、血縁者が同じ戦略を持つ可能性が高いので、援助に多少のコストがかかっても進化することができます。おそらく共感の生理的な部分は血縁選択によって進化したのでしょう。

もともとは子供の状態を読み取って世話をするメカニズムとして進化した共感が、他者一般の状態を読み取るメカニズムをして使いまわされているのが、多くの人が感じる共感だろうと考えられます。他者一般の中でも知人や友人の境遇に共感して手助けすることは繰り返しPDにおける協力行動を促進する効果があります。

他方、非協力的な相手の境遇には共感しないで協力しないことも、しっぺ返し類似の戦略の発動に相当しますので、ワイナーが報告した共感の抑制も繰り返しPDにおける戦略進化の過程で進化したのでしょう。したがって、知人や友人に対する共感や共感の抑制も進化的な基盤があると考えられます。

では実験室で出会う1回しか会わない相手に対する共感の場合はどうでしょうか。このような相手に共感して協力行動を採ることは損をする可能性があります。また、共感による協力をあてにした非協力行動を誘発することで損失が拡大する可能性もあります。繰り返しPDではそのような相手に対して共感を抑制する対抗手段がありますが、1回きりのPDではそうはいきません。そういう意味では1回きりのPDの相手に共感を示す積極的な理由はないように思われます。

これは心理メカニズムの分解能の問題なのかもしれません。特に生理的なメカニズムの場合、繰り返し会う可能性のある相手と1回しか会わない相手とを区別して共感したりしなかったりするのは難しいのかもしれません。そのため、どんな相手であってもとりあえず初回は共感をする仕様になっているという可能性が考えられます。

ただ、相手が自分の責任で苦境に陥っているという認知によって共感が抑制されるのであれば、相手と1回しか会わないことが明瞭な場合に共感を抑制することもできそうです。そうなっていないのはやはり1回しか会わない相手に共感することに積極的な理由があるのかもしれません。

共感が積極的な意義を持つのはそれによって相互協力や相互援助が達成できる場合です。その場合はお互いの利得を増やすことができます。したがって、見知らぬ相手と相互援助や相互協力が達成できる見込みが大きい場合は、そういう相手であっても共感を抑制しないで相手が困っているときには援助し、協力の機会があれば協力行動を採ることに意義があります。もちろん、相手が協力行動のときに自分が非協力を採る方がより得をするのですが、相手が協力のときは自分が協力を採ってもマイナスにはならないという意味で共感を採りやすい状況といえます。

見知らぬ相手が協力行動を採る状況としては、評判が非協力行動を抑制する場合や、集団間競争が存在することで非協力行動に対するサンクションが維持されうる場合があることを前に考察してきました。評判やサンクションによって非協力行動が抑制される場合は、共感を抑制する必要は特にないと考えられます。現実の場面で見知らぬ人と出会うときに、評判やサンクションの作用によって非協力行動に出会う確率が低い環境で暮らしている人は、見知らぬ人に対する共感を抑制する確率が低いかもしれません。

そういう環境で暮らしている人は、実験室で1回きりしか出会わない人とPDを行うときでも相手に対して共感を感じやすいのでしょう。実験室では評判もサンクションも作用していないので非協力行動も抑制されてはいないのですが、普段から評判やサンクションが効いている環境で暮らしている人はにわかに共感の抑制ができなくて1回きりで評判やサンクションも作用していない相手に共感をするのかもしれません。

以上の推論をまとめますと、1回きりのPDで相手に対する共感に基づいた協力行動が起こるためには、その人が普段から評判やサンクションが作用して見知らぬ人の非協力行動が抑制されている環境で生活していることと、共感の抑制がにわかには生じないという意味で共感に慣性が存在することが必要であると考えられます。逆に、普段から評判やサンクションが機能せず、見知らぬ人の非協力行動に直面することが多い人は、見知らぬ人に対する共感を抑制する傾向が強く1回きりのPDでも相手への共感を抑制して非協力行動を採りやすいと予想できるでしょう。前者が一般的信頼が維持されやすく、後者が一般的信頼が損なわれやすい環境ということもいえるでしょう。

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