NHKのBS時代劇『火怨・北の英雄 アテルイ伝』をみました。アテルイがドラマになるなんて、感慨深いものがありますね。
馴染みの薄い時代背景と坂上田村麻呂とアテルイ以外の登場人物に馴染みのないこともあって、最初は入り込みにくかったのですが第2回からドラマが動き出して面白くなってきました。アテルイが平城京まで出向いて鉄の重要性を認識し、都で知り合った鍛治職人が仲間と一緒に製鉄の技術を携えて加勢に駆けつけるくだりとかワクワクします。まあ、アテルイが都に来た史実とかないのでしょうけど、平将門と藤原純友が比叡山で将来乱を起こすことを誓った伝説にも似て楽しい演出です。
アテルイの戦闘で記録に残っているのは、781年の紀古佐美が5万の兵を率いてきた第一次遠征のときのものだけみたいですね。第3回の放送で衣川で朝廷軍を一ヶ月足止めを食らわせた、あの戦闘です。このとき桓武天皇に叱られて北上川東岸を北上しはじめた朝廷軍に正面から挑んだあと、わざと負けて後退、追いすがる朝廷軍の右側に東の山に伏せてあった軍勢がジャーンジャーンと襲いかかるという三国志でお馴染みの戦法でアテルイ軍は朝廷軍を散々に打ち破りました。朝廷側は5万とはいえ兵糧も不足し、蝦夷側の穀倉地帯胆沢にいつ入れるか分からない状況で撤退を余儀無くされたのでしょう。
第4回になって真打ち、坂上田村麻呂が登場します。ここからが本番じゃんと思うのですが、残念ながら第4回が最終回でした。ネット上にも4回は短すぎるという声が沢山見られましたが同感です。原作は上下巻で1000ページ以上になりますから、おそらくはしょりにはしょっていると思われます。
ただ、坂上田村麻呂が行った第二次、第三次の遠征はこの時期を記述した『日本後紀』が戦国時代に散逸してしまったため詳細が伝わっていません。アテルイ側の製鉄で木炭を消費した山がはげ山になってしまったり、アテルイのゲリラ戦に手を焼いた田村麻呂が山野を焼き払う焦土戦術に出たりといったエピソードは、ありそうな話ではありますが史実として残っているわけではないようです。史料の制約を考えると第二次、第三次遠征の描写があっさりしているのも仕方ないかもしれません。
とはいえ第二次遠征の十万の軍勢や武器や食料を調達するのに東山道や東海道を中心に何年もかけて全国に動員をかけたり、田村麻呂が蝦夷側の首長をあの手この手で切り崩したりしたのは史実のようです。この第二次遠征を撃退したアテルイの戦いはやっぱりもっと見たかったですね。
再び4、5万の兵を集めた第三次遠征でついに胆沢は陥落します。22年に及ぶ戦いに幕を引いてアテルイとモレが降伏したことは散逸前の『日本後紀』を抜粋した『日本紀略』が伝えてくれていました。宿敵田村麻呂に平安京に連行されるアテルイたちの心中はいかばかりだったことでしょう。ドラマでは桓武天皇に蝦夷攻撃のわけを問いたいと意気盛んでしたが…
朝廷としては馬や金の産する豊かな土地を押さえ、余剰人口を植民する土地を確保したかったことでしょう。東北まで版図に収めることで坂東の支配も安定化するという読みもあったかもしれません。もちろんそれは朝廷側の都合です。アテルイたちの戦いは朝廷側に人的負担と財政負担を強い、費用対効果を考えたとき「軍事と造作」を中止するのが得策だとのちの桓武政府も考えるようになりました。実際に遠征が終わるのはアテルイ処刑の3年後ですが、都付近で平安京造営の負担にも苦しむ農民たちをみて東北遠征の終結が遠くないことをアテルイたちが感じとれていたとしたら…。自らの戦いに手応えを感じながら、顔を上げて仲間たちの元へ旅立っていけたのではないでしょうか。
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