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2014年5月 4日 (日)

【軍師官兵衛】第17回 「見捨てられた城」

上月城は結局放棄されました。前線に孤立した城で戦略的価値が低いという判断だったのでしょうか。あるいはすでに毛利軍5万を2ヶ月足止めして十分役目を果たしたという判断もあったでしょうか。官兵衛は「織田の信用を失う」と力説しましたがいれられませんでした。

翻って毛利が5万(宇喜多勢を抜くと3万5千?)で上月を囲み続けたのも失策っぽいです。その間、三木や志方など播磨東部の城が織田方の攻撃を受け続けるわけですし。700の上月はうってでられないようの5千程度で囲むに留めて、残り3万の軍勢で東進するべきではなかったでしょうか? 大軍を長期間動員し続けるのは補給の点からもむつかしいですし、短期決戦策をとることも考えられたところです。

ともあれ上月は開城し尼子と鹿之助は殺されました。織田への信頼は失墜し毛利5万がいよいよ東進してきます。ここで官兵衛の打った手は後方の撹乱でした。戦線の伸び切った相手に対しては常に有効な手段で妥当な作戦でしょう。善助や太兵衛が運命を握る書状を携えて出発するシーンはよかったです。

この書状の内容を知りたいところではありますね。信頼の低下した織田方に寝返って欲しいというのは無理があるので、毛利の不法を列挙して蜂起を促したのでしょうけど、毛利がそんなに圧政を敷いていたという話もきかないので、どういう手を使ったのか気になります。

とまれ作戦は成功するのですが、この調略一発で毛利全軍が撤退したのには唖然としました。いくらなんでも毛利弱すぎです。こんなことをやってるから「おしい広島」とか「鯉のぼりの季節まで」とか言われてしまうんですよね…。宇喜多の動きが気になるにせよ、利で動く相手なのですから全力で利を説いて繋ぎとめるべきでしょう。ここは安国寺恵瓊の出番だったのではないでしょうか。

ここで撤退してしまったのではこれまでの調略が水の泡ですし、今後の調略も困難になるでしょう。外交担当として恵瓊はそう主張すべきところだったと思いますが、そういう議論もなく撤退を即断したのは尺の関係もあるでしょうが説明不足に感じました。

かくて播磨東部で毛利方についた諸将は見殺しになります。「乱世の盟約とは、はなかいものよのう」。櫛橋左京進の嘆きはこの時代各地できかれたものでしょうか。「見捨てられた城」というのは上月城のことだけではなかったのですね。

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