松本楼
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昨日の横浜の試合は久々の負け試合でした。個人的には西武ドームでも千葉マリンでも負けてるので負け試合ばっかり見てる気がしますが。
雨の負け試合での収穫はカープラーメンとエルドレッド選手プロデュースのカントリーチキンです。広島からこの3連戦だけ横浜スタジアムに出張販売にきてたようです。

旧広島市民球場で売られていたカープラーメンの復刻版だそうで、醤油と白湯ベースの割りと濃厚な味わいのラーメンでした。
ブラッドのカントリーチキンは「残り12個です」と言われて慌てて並んだのですが、列が半分ぐらい進んだところで「残り4個です」。ダメかなと思いつつとりあえず並んでいると最後の1つをゲットできました。
カントリーチキンは見かけによらず醤油味っぽくて、少し和風の味わいでした。この辺がエルドレッド風なのでしょうか。ぐるぐる螺旋状に巻いたポテトは少し酸味のきいたドレッシングとうまくマッチしてました。
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信長と朝廷の軋轢が表面化してきました。官職を授けてコントロール下に置きたい朝廷側。逆に天皇の譲位を迫る信長。光秀は両者の間に立って板挟みの状況に置かれていきます。
まあ、そんな状況を別にするとここ数回の中では平穏無事な回でした。新しく藤の家紋を整えた官兵衛は二人目ができて嬉しそうですし、秀吉も宇喜多直家の未亡人を得て鼻の下を伸ばしていました。おねの追及もホームドラマ風ののんびりしたものに感じられます。
実際は毛利攻めを控えて軍師も司令官も忙しかったはずで、現に山陽道は迂回して先に山陰から攻め込む算段も論じられていました。いよいよ鳥取攻めかと思っていたら毛利方の新年のシーンで「鳥取も落ち…」のセリフ。鳥取城兵糧攻めのくだりはまるまるパスなのですね。これはちょっと唖然としてしまいました。
事前に鳥取の米価を引き上げる工作をして兵糧米を売りに出させた上で城を囲む。かつて「黄金の日々」でいかにも秀吉らしい作戦に感心した経験があったので、この鳥取攻めにどのように官兵衛が関わっていたのか興味があったんですけどね。三木城の兵糧攻めを提案した官兵衛が関わっていないとは思えませんが、兵糧攻めの展開が続くのを脚本家の方が嫌ったのでしょうか。まあ、鳥取攻めを少しでも描くとロケもセットも必要になるので丸ごと却下になったのかもしれません。
かくて舞台は高松城の水攻めにまっすぐ向かうようです。安土城を丸ごとライトアップして得意の絶頂の信長。天下布武を果たして世界旅行に出たいという野望は十分共感できますが、次のプランを考える始めると往々にして足元をすくわれるもの。本能寺の変も目の前です。
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東京国立博物館に昨日から始まった故宮博物館展を見に行ってきました。週末は多分混むだろうと思って天気が悪いなかいってきたのですが、「翠玉白菜100分待ち」の表示が。ありゃありゃと思いつつ中に入ると、今度は「70分待ち」の表示が出ています。まあ、しょうがないかと思って並ぶことにしました。
長蛇の列ですが列の動きは案外早くて、多分40分ほどで「白菜」の前に到着。最前列は立ち止まらずに歩きながら見るものの、その後2列目に回ると止まって見ることができるという仕組みで、興味のある人はゆっくりみることができます。
高さ19cmの「白菜」は案外平べったいのですね。硬い翡翠を掘ってできたみずみずしい白菜の造形やちょこんと上に止まったキリギリスとイナゴの細かい細工を二列目から単眼鏡でじっくり楽しむことができました。色のグラディエーションが綺麗でしたね。
ハローキティの白菜バージョンクリアファイルがあったので記念に購入。よく出来たデザインだと思います。
平成館の方に回って他の展示も見てきましたが、結構疲れました。青磁や元代の山水画、康熙帝のコレクションなど見応えはタップリです。お金をロッカーに入れてしまったので竹中半兵衛(谷原章介さん)がナビしてくれる音声ガイドを聞き逃したのが残念です。もう一度いかないといけませんね。
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昨日、調布で真っ白に積もるぐらいヒョウが降ったようですね。小さなヒョウは見たことありますが1cmから1.5cmぐらいあったらしいので怖いぐらいですね。外に出てるとひどい目にあいそうです。今日も雷がゴロゴロしてきましたが、どうなるのでしょうか…
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第20回「囚われの軍師」で荒木村重に幽閉されてから4回ぶりに官兵衛が帰ってきました。この間が黒田官兵衛の人生でも大きなターニングポイントとなったようですね。冒頭、自ら「地獄からの使者」と称して別所長治に降伏を迫るシーンは迫力があります。
逃亡して捉えられた小寺政職に自害を迫り、いれられぬと自ら手打ちにしようとするシーンにも引き込まれてしまいましたが、こちらは結局切りきれず…。小寺父子を逃がしてしまいます。
自らの甘さを悔いる官兵衛に「それでこそ官兵衛よ」と励ます秀吉の姿も良かったです。連敗中、チャンスで凡退を繰り返し責任を背負いこんだエルドレッドに野村監督が「見逃し三振してもいいんだ」といって肩の力を抜かせたエピソードを思い出しました。
その後ブラッドの復活で3連勝を飾ったように、秀吉も播磨を平定。信長にお褒めの言葉を賜り、官兵衛も1万石の大名に取り立てられました。順調そのものではありますが、これは荒木が裏切るまでは攻勢をとっていた毛利輝元がその後ぱったりと進撃を止めたのと裏腹の関係にあります。
毛利に呼応して織田に背いた荒木、別所、小寺を毛利が見殺しにした事情は相変わらずドラマでは描かれていません。主人公の官兵衛の周辺を手厚く描くのは当然ですが、主人公の運命に大きな影響を与えた相手方の事情もそれなりに描写しておいて欲しいものですね。
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♪ 親戚ちのしんじ君
♪ 生後まだまだ10ヶ月
♪ ようやく歩けるようになり
♪ ママのとこまでよいこらしょ
今月再放送されている『進め!しんじ君』の記事が昨日の夕刊に載っていてびっくりしました。この作品って「あなたのメロディー」出身曲だったんですね。当時のテキストにそんな話が書いてあったような気もしますがすっかり忘れてました。
それに初回放送が1979年だったとは! もっと新しい曲かと思ってました。まあ、高校に入ってからの曲は「新しい曲」(80年代)と「最近の曲」(90年代)と「今の曲」(今世紀)としか頭の中で分類されてませんけどね。それにしても80年代の曲かと思ってました。
再放送は1回くらいあったのかもしれませんが、発掘プロジェクトで探していたところをみると2014年6、7月の今クールに放送されるまで1回もなかったのかもしれません。テープに入ってる曲は何度も何度も聴いてますので再放送があったかなかったかの記憶が定かでなくなるのが困ったものです。
発掘プロジェクトで見つかった映像を今回の再放送で見ることができましたが、うっすらと覚えてますね。しんじ君が手と足を突き出すシーンははっきり見覚えがあります。映像を見るのは35年ぶりになるはずですが、我ながらえらいものです。その他のシーンはあんまり覚えてませんが…
新聞の記事によると「しんじ君」は実在するそうです。現在40歳でレストランのシェフをされてるとか。うたの中では「生後まだまだ10ヶ月」なんですけどね。しんじさんのお生まれが多分1974年で「あなたのメロディー」への応募が1976年だそうですから、ほんとに生後10ヶ月のしんじ君の様子をみて作詞されたんでしょうね。そのしんじさんも今では二児の父だそうで、子供たちが小さいころには「パパの歌だよ」といって聴かせたんだそうです。最近流れているロングバージョン曲には『チョコと私』や『ムクロジの木』のように主人公が子供の頃から説き起こして、主人公の子供のシーンで終わる作品がいくつかみられます。それのリアルバージョンで、本当に感慨深いことでしょうね!
『進め! しんじ君』
作詞:時崎久夫
作曲:時崎久夫
うた:芹洋子
編曲:若松正司
アニメ:堀口忠彦
初回放送:1979年6月
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有岡城の土牢から1年ぶりに救出された官兵衛でしたが、足腰は萎え、幽閉のトラウマに苦しめられ、再起の道は厳しそうです。
それでも満身創痍の姿を信長にアピールすることで、信長の許しを得ることができたのは幸いだったといえるでしょう。足腰立たないのは下手な芝居で、あくまで自分は正しかったと言い張る上司もいそうですから。
信長の御前での松寿丸との再会も感動的ながら綱渡りでしたね。公然と自分の命に背いているわけですから、信長が激怒してもおかしくありません。背いたのが今は亡き半兵衛で、いまさら咎めようがないのが幸いしたのでしょう。そこまで見越した半兵衛の措置だったともいえます。
官兵衛が療養に向かった有馬温泉は鉄と塩分を濃厚に含む泉質が確かに足の痛みにきくようですね。去年、いったばかりなので非常に親近感のわくシーンでした。太閤の湯とかもあったので秀吉関係者には馴染みの深い温泉なのでしょう。
有岡城落城後、だし以下荒木村重の縁者は京都に連行され六条河原で処刑されました。反対意見をいれられなかった光秀は思うところがあったようです。比叡山のときから信長の無茶な命令に従わされてきてますからね。本能寺の変がどうえがかれるか、光秀ファンとしては気になります。
荒木村重は妻らの処刑後、尼崎城も脱出して行方不明となったそうです。一体どこへ消えたのか。どこか毛利領にもぐりこんだか、あるいは毛利にも裏切られたと思っているなら武田にでも向かったか。思わずググって確認したくなりましたが、ネタバレになっては面白くないのでやめておきましょう。
リハビリに苦しんでいた官兵衛は、松寿丸から半兵衛の軍配を受け取るに及んでようやく気力を取り戻しました。死せる半兵衛、生ける官兵衛を動かす。主人公の活躍できる展開になってきそうです。
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「これを父上に渡すのだ」
愛用の軍配を松寿丸に渡す竹中半兵衛。後事を官兵衛に託して半兵衛は享年36歳で世を去りました。人生50年の時代ですし、官兵衛も59歳で亡くなってますから特に早いとも言えませんが、これから幾多の大合戦があること思えばやはり早過ぎる最後と言えるでしょう。
有岡城には結局毛利の援軍は来ませんでした。城主荒木村重自身、尼崎まで出向いて談判しようとしますが毛利方と接触はできず…。毛利側の事情の描写が全くないので村重の短慮ばかりが目立つ展開になっていますが、一体毛利は何をしていたのでしょう?
この間に宇喜多直家が本領安堵を条件に織田方に帰順してますので、直家も毛利についていたのでは本領が危うくなる(=毛利は織田に負ける)と判断したと考えられます。毛利は宇喜多のせいで援軍が出せないといった言い方もしてましたが、毛利につくこともできる直家が毛利についたのでは負けると判断したのであれば、直家のせいで毛利が援軍を出せなかったとは言えないでしょう。毛利がよほど弱かったか問題を抱えていたということになるかと思います。
いずれにしても押せ押せの展開で援軍を出せないようでは、村重が毛利に期待したのがそもそもの判断ミスだったということになるでしょうか。かくて有岡城は援軍と城主不在のなか、落城の日を迎えます。官兵衛の長い囚われの日々もようやく終わりを迎えました。
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