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2014年7月10日 (木)

【軍師官兵衛】第27回 「高松城水攻め」

高松城の水攻めが始まりました。「本能寺の変」や「中国大返し」とセットで語られる有名な戦いですが、高松城がどこにあってどんな風に水攻めしたのか実は知りませんでした。今回、初めて模型やロケで水攻めの様子を見られて興味深かったです。



場所は岡山駅の西8kmほどのところなんですね。なんとなく中国山地のど真ん中あたりを想像してましたが倉敷からもそんなに遠くないところで、山陽道に睨みをきかせる要衝だったようです。宇喜多直家の決断で宇喜多勢が織田方についたため、秀吉軍は岡山より西に進むことが出来るようになったのですが、それを食い止める毛利方の最前線という位置づけになりますね。

その高松城からみて下流側の蛙ヶ鼻というところに堤を築き、梅雨時の雨水を貯めて城を孤立させる。それが官兵衛の立てた作戦の骨子です。先週の模型をつかった映像では城が完全に水没してしまってましたが、そこまでの水位にはならないようですね。築堤の実務は例によって石田三成が担当したようです。

「わしを破産させるつもりか!」

と秀吉が驚くほどの高値で近隣から土嚢を買い取り、わずか12日間で築堤を完成させました。いったいいくらで買い取ったのかドラマでは描かれていませんでしたが、武力による脅しではなく経済的なインセンティブで近隣住民を動員するあたりが秀吉らしいですね。毛利方が計画を察知して救援に来る間を与えない早技です。

吉川元春は足守川の対岸にある庚申山まで救援に来てたようですが、堤の付近には秀吉の軍勢が布陣して近寄れず。やむなく安国寺恵瓊を和議の使者に送ります。

「こんなことをされては、いくさになりませぬ」

恵瓊は最初備中一国の割譲を申し出ますが、官兵衛に押され五ヶ国の割譲を受け入れます。ただ秀吉の望む清水宗治の首だけは受諾できません。そこで決裂となってもおかしくはないのですが、さらに官兵衛が岩崎山に布陣する小早川隆景を訪ね、宗治の織田方への降伏を条件に助命する手筈を整えました。「毛利には優れた人材が揃っております」。敵対者に容赦のない信長と対比させる描写でしょうか。ただ、この案は宗治自身が拒否し和平交渉は頓挫してしまいました。

その信長は明智光秀に命じて徳川家康を接待してました。寺尾家康の初登場ですね。なかなか凄みがあってはまり役ではないでしょうか。光秀の接待は信長の不興を買って接待役を解任。秀吉への加勢を命じられました。加えて丹波から毛利領への国替えを示唆されて追い込まれていきます。とどめは「日の本に王は二人はいらぬ」発言。朝廷との関係の深い光秀にとっては許容できるものではなかったでしょう。歪んだ鏡に映った光秀の顔が心中の苦悩を表しています。

最近よく言われる光秀と長宗我部氏との関係については、ドラマでの言及はありませんでした。上の事情に加えて、四国の長宗我部との仲介役を命じられながら長宗我部討伐決定で梯子を外されたことが大きかったのでは、という説でせんだっても長宗我部元親の書状が発見されたりもしてましたが、そこまでドラマで描くと煩雑になるという判断なのでしょう。この件は全く描かれじまいのようですね。

亀岡の人間にとっては光秀で御籤を引いた愛宕山も、法貴峠にそびえる明智の戻り岩も保津から京都へ抜ける明智越えも子供のころから慣れ親しんだ地名です。ゴールデンウイークには亀山城のお堀の周辺で光秀祭りも開かれます。その光秀、一世一代の名セリフがついに放たれます。

「敵は本能寺にあり!!」

腹の底から力のこもったセリフで涙が出てきてしまいました。小朝さん、ありがとうございます。いつか光秀祭りにきていただけると幸いです。

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