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2014年9月 6日 (土)

【軍師官兵衛】第35回 「秀吉のたくらみ」

家康と手を組むことができた秀吉は九州に向けて出陣しました。黒田勢はその先払いとして九州に調略の手を伸ばします。「殿下はこんなお方ですぞ」「早くついた方が得ですぞ」。多分、そんな言い方も交えながらフォーカルポイントを演出して回ったのでしょう。

こういう調略にいち早く応ずる相手には二つのタイプがあります。一つは秀吉の人柄や政策に惹かれて馳せ参じるタイプ。もう一つは先物買いをするタイプ。前者は一度味方になるとずっと従ってくれそうですが、後者は情勢が変わるといち早く離反してしまいそうです。

いずれのタイプもとりあえずはありがたいのですが、どちらをより歓迎するかというと、それはもちろん前者です。投降者のタイプを見分けて処遇を決めるのも黒田勢、さらには秀吉の重要な仕事となります。この点、豊前の宇都宮鎮房は秀吉に心服して…というわけでもなく、それが冷遇される一因のなったのかもしれません。

それにしても、当時秀吉に積極的に従った武将も九州では多くなかったでしょうから、その意味では気の毒ではありますね。20万の大軍を動員した秀吉の前に島津も降伏を決意します。20万の大軍を相手に正規軍としての抵抗は困難で、たとえば鹿児島を防衛することは難しかったでしょう。フォーカルポイントとなることで大軍を動員できれば天下統一は容易いようにも見えます

ただ、薩摩も大隅も実際に行ったことがありますが半端なく広いので津々浦々まで抑えて回るとすれば大変です。もし戦いがゲリラ戦に転化すれば兵糧の運搬も戦費の調達も困難を極めて、かつて鎌倉幕府の遠征軍が楠木正成のゲリラ戦に敗れたように、各地の大名を寄せ集めた秀吉軍は瓦解した可能性があります。そうさせないための工夫が島津義久の本領安堵で薩摩・大隅の地方勢力は島津の手で島津の利益のために抑えさせるという手法でした。

この点について官兵衛の意見を採用して石田三成の意見を用いなかったのは秀吉の見識といえるでしょう。その代わり伴天連追放の問題では三成説をとり官兵衛の意見を退けたのは秀吉のバランス感覚だったのかもしれませんね。

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