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2014年10月11日 (土)

【軍師官兵衛】第40回 「小田原の落日」

そんな訳で小田原攻めです。北条氏政が「小田原城は難攻不落!」と何度も豪語するのが気になりますね。武田や上杉も落とせなかったという成功体験が判断を歪めているようです。後に「難攻不落の大阪城」を頼りに家康に反抗した茶々姫の姿を暗示しているようでもあります。茶々姫は淀城をもらったので淀君と呼ばれるようになりますが、すぐ大坂城に入ったので淀城にいた期間は短かったんですね。

堅固を頼んでの籠城は、攻め手の補給が続かなかったり、背後を突かれたりして包囲を解かざるをえなくなるときに有効です。秀吉22万の大軍を維持するには莫大な補給が必要になりますので、背後で一揆が起きるなどの状況を北条側は期待したのかもしれません。

結果として多少の一揆はあったかもしれませんが、秀吉が軍を引かざるを得ないほどの事態は発生しませんでした。一つには秀吉が各大名の妻子を人質に取ったため大規模な反乱が発生しにくかったこと、また戦乱収束による交易や産業振興による利益を各大名が期待できたこともあげられるでしょう。ここで反旗を翻すことで得られるメリットが余り大きくないであろうことを家康あたりも察していたのではないでしょうか。鎌倉時代の末期に楠木正成討伐に東国の軍勢が駆り出されて持久戦になったとき、新田や足利が反旗を翻したときの状況とはだいぶ違っていたと言えるでしょう。

このような状況を北条に説いて降伏を促すことは、相手が殺気立っていることを除けばそんなに難しくはないと考えられます。酒肴と2カ国安堵の約束を手土産に官兵衛は首尾よく北条氏政の説得に成功しました。

これで一件落着のはずですが、秀吉が2カ国安堵の約束を反故にしたのは火種をのこしたといえるでしょう。服従の不利益を大きくし、しかもそれが予見不可能だと思わせることは服従のインセンティブを削ぐことになります。伊武さんが心配するのも宜なるかなですが…

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