【軍師官兵衛】第42話 「太閤の野望」
文禄の役が始まりました。Wikipediaによると当時の日本の総兵力は50万で明に匹敵する軍事力だったようです。そのうち18万が朝鮮に送られました。装備、兵力ともに上回る日本軍は一ヶ月ほどで首都漢城に入城し、朝鮮国王は平壌に逃亡します。
ここまでは順調ですが、このあとの困難を予期していた官兵衛は自ら漢城に赴き長政らと合流します。案の定、補給が滞りはじめ、道もわからない前線は苦戦をし始めていました。加えて諸将の意見対立。情報が不十分な状況では的確な意思決定は困難です。
大軍といえども補給と情報がないと戦えないことを官兵衛は熟知していたのでしょう。明軍が平壌に派遣されて小西勢が敗れると漢城で守りを固める方針を打ち出します。無謀な戦いと思いつつ、始まってしまったからには犠牲をすくなく乗り切る方策に徹したようですね。
こうした姿勢は当然秀吉とその名代三成との軋轢を生みます。次子の懐妊を喜ぶ秀吉に明との講和を進言して容れられるものの、明の皇女を日本に嫁がせるなどの条件を明が受け入れるべくもありません。
この条件を伏せたまま講和を進めることを小西行長に勧め、さらに漢城維持の秀吉の命令に背いて、全軍を釜山まで撤退させたのは現場の判断としては止むを得ないとしても、秀吉の怒りを買うのは必定です。
ドラマでは三成が怒りの矛先を官兵衛に向けさせて難を逃れようとしたという描き方がされています。石田三成が実際にそういうことをしたのかどうかは知りませんが、トップが失敗の責任をとらず、誰かに責任を押し付けて幕引きをはかるのはありがちな話です。それに三成が乗じたというのもありうるかもしれません。
官兵衛としては補給が途絶えて遠征軍が壊滅する事態を釜山まで引くことで回避できましたので、遠征に途中参加した目的は果たしたといえます。その引き換えに自らの身を危うくするのもある意味本望かもしれませんが、助かる道があればそれに越したことはないでしょう。というところで次回と相成りました。
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