読み取り革命
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文禄の役が始まりました。Wikipediaによると当時の日本の総兵力は50万で明に匹敵する軍事力だったようです。そのうち18万が朝鮮に送られました。装備、兵力ともに上回る日本軍は一ヶ月ほどで首都漢城に入城し、朝鮮国王は平壌に逃亡します。
ここまでは順調ですが、このあとの困難を予期していた官兵衛は自ら漢城に赴き長政らと合流します。案の定、補給が滞りはじめ、道もわからない前線は苦戦をし始めていました。加えて諸将の意見対立。情報が不十分な状況では的確な意思決定は困難です。
大軍といえども補給と情報がないと戦えないことを官兵衛は熟知していたのでしょう。明軍が平壌に派遣されて小西勢が敗れると漢城で守りを固める方針を打ち出します。無謀な戦いと思いつつ、始まってしまったからには犠牲をすくなく乗り切る方策に徹したようですね。
こうした姿勢は当然秀吉とその名代三成との軋轢を生みます。次子の懐妊を喜ぶ秀吉に明との講和を進言して容れられるものの、明の皇女を日本に嫁がせるなどの条件を明が受け入れるべくもありません。
この条件を伏せたまま講和を進めることを小西行長に勧め、さらに漢城維持の秀吉の命令に背いて、全軍を釜山まで撤退させたのは現場の判断としては止むを得ないとしても、秀吉の怒りを買うのは必定です。
ドラマでは三成が怒りの矛先を官兵衛に向けさせて難を逃れようとしたという描き方がされています。石田三成が実際にそういうことをしたのかどうかは知りませんが、トップが失敗の責任をとらず、誰かに責任を押し付けて幕引きをはかるのはありがちな話です。それに三成が乗じたというのもありうるかもしれません。
官兵衛としては補給が途絶えて遠征軍が壊滅する事態を釜山まで引くことで回避できましたので、遠征に途中参加した目的は果たしたといえます。その引き換えに自らの身を危うくするのもある意味本望かもしれませんが、助かる道があればそれに越したことはないでしょう。というところで次回と相成りました。
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冷たい雨がしとしと降って12月並みの寒さだそうです。高層天気図をみると寒気が南下してきてるようです。これが抜けるまでは寒そうですね。ダウンとマフラーで対抗しましょう。
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西六郷鎌田記念合唱団の15周年記念演奏会にいってきました。
場所は2年前と同じ、下丸子駅前の大田区民プラザです。世界歌の旅、四季を讃えて、思い出の愛唱歌の3ステージ構成でした。世界歌の旅は『八十日間世界一周』のピアノ演奏からはじまり『あふれる若さ』や『うるわしやしの島』『花まつり』といったみんなのうたナンバーも演奏される楽しいステージでした。女声合唱の『夢路より』、男声合唱の『おおスザンナ』をはさんで、混声の『アニーローリー』に戻り、ラストは迫力のある『流浪の民』の大合唱。知ってる曲がたくさんあるのもいいですね。
第二ステージは四季を讃えてということで春夏秋冬に季節を巡り、最後『大地讃頌』で締める壮大な構成でした。『あなたとわたしと花たちと』は祝婚歌らしく華やかでいいですね。夏、秋、冬の曲はしらない曲でしたが、内省的な深みのある作品でよかったです。そして「土の歌」の終曲『大地讃頌』。演奏の前に「土の歌」の構成が紹介されてました。初めて聞きましたが死の灰による汚染や自然災害との闘いを乗り越えて大地への賛歌に至るという、非常に今日的な内容だったのですね。深い思いを込めた賛歌が力強く響き渡りました。
NHK音楽コンクール課題曲『ふるさと』のピアノ演奏と歌詞の朗読をはさんで、最終ステージは思い出の愛唱歌です。『虹と雪のバラード』はいいですね。個人的にはオリンピックソングのNo.1です。パッヘルベルのカノンをモチーフにした『遠い日の歌』、そのままアタッカーで『あの素晴らしい愛をもう一度』とお馴染みのメロディーが続きます。最後は星にまつわるメドレー作品『星に祈りを』。指揮者の田口さんの編曲だそうです。「星の世界」は小学生のころに夢の中で聞いたような記憶があって、夢だったのか現実だったのかいまだに判然としない感覚に誘われます。そして夜空の星を見上げて星に願いをかける。流れるような構成で終幕となりました。
アンコールは『いつまでも』という曲だそうで、ふるさとの丘で遊んだ記憶が綴られます。初めてききましたがいい曲ですね。ふるさとへの思いをいつまでもと歌う曲の合間に『ぼくらの町は川っぷち』がワンコーラス歌われました。みなさんのふるさとはいつも川っぷちと共にあったのですね。素敵な構成で特別な思いが伝わってきました。アンコール、もう一曲は『線路は続くよどこまでも』。西六郷の現指揮者の方が客席も指揮して、会場が一体となって盛り上がるなか、演奏会は幕となりました。いや、楽しかったです。団員のみなさま、関係者のみなさま、ありがとうございました!
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福島のお国めぐりシリーズ『風吹きめぐる』が再放送されています。『土湯賛歌』(1980年)もリクエスト枠で再放送してますので、ちょっとした福島特集ですね。『風吹きめぐる』多分1971年の初回放送以来だと思われますので、43年ぶりの再放送になるでしょうか。先日ヤフーオークションで入手したばかりの71年10・11月テキストに載っていたのでびっくりしました。
♪ 風は声
♪ ささやく声だ 遠くから
元気のよい二部合唱に乗って風が会津若松や五色沼、磐梯山をさわやかに吹き渡ります。ささやくような声で会津の街に土蔵や城あとなど古い昔が生きていることを教えてくれます。長調の調べが ♪ 会津若松城下〜町〜のあたりから短調に変わり、視点が過去に向いたことを示しているようです。♪ 遠い昔が生きている〜 で長調に戻って現代に視点が戻ってきました。
♪ 風は夢
♪ 不思議な夢だ きらきらと
二番では風は五色沼の水面を吹き渡ります。赤、青、エメラルドグリーン…万華鏡のように多様な顔を見せる五色沼。夢の世界の入り口に風がいざなってくれます。一度いったことがありますが、ほんと不思議な色をしてますね。
三番では風が黄金の穂を揺らして赤々と燃えさかる磐梯山の姿を思い出させてくれます。作詞の伊藤海彦さんは『木曽路はきょうも』の作詞者でもあります。木曽というと御嶽の噴火が記憶に新しいですが、火山に縁のあるかたのようですね。そして伊藤さんは大学のときに歌った混声合唱曲『島よ』も作詞してらっしゃいます。
♪ 波の果て日が落ちるとき
♪ 赤々と身を染めて島は思う
♪ 遠い昔 炎だったことを!
♪ 熱く溶けた 叫びだったことを!
4番冒頭のこのフレーズを歌う度に胸を熱くしていたことを思い出しますね。『島よ』は1970年の作品ですから、伊藤さんもこのフレーズを思い浮かべながら、磐梯山の歌詞を書かれたのかもしれません。日ごと夜ごとその身を削がれ、なお遠い火の印を護りつづけるもの。この歳になると一段と身に染みる『島よ』の6番ですが、遠い日の炎の記憶を宿しながら磐梯山も瑠璃色に染まっていきました。
『風吹きめぐる』
作詞:伊藤海彦
作曲:富永三郎
うた:杉並児童合唱団
編曲:富永三郎
映像:実写
初回放送:1971年10月
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そういえば鶴松はすぐ亡くなってしまうんですね。秀吉の老け込みぶりから最後の子供でのちの秀頼と勘違いしてました。すみません。
この回は鶴松はじめ、豊臣秀長、千利久と主要人物が次々となくなる回でした。鶴松はともかく秀長も利久も官兵衛に「あとは頼む…」と殿下の諌め役を託してなくなっていくので大変です。ついでに小西行長にまでも、朝鮮の天下統一祝いの使節を服属の使節と嘘をついたあと始末を頼まれたりと、よほどものを頼まれやすい人だったのでしょうか。
鶴松が亡くなって自棄にになった秀吉が朝鮮出兵の命を下したのにたいし「暴挙です!」と抵抗したものの、結局は支えるしかないと方向転換するのもやむなしでしょうか。
いくさが終わって一安心という人も多かったでしょうが、領地の配分に不服で、敗者復活を望む層も少なからずいたことでしょう。そういう層の矛先が自らに向かうことを防ぐには、対外戦争が有効であることはもう一つ古今の真理でもあります。
そのような希望に直面して、なるべく犠牲の少ない形で事態を収集することを試みる。次善の策ですがそういう考え方もあったかもしれません。
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先週水曜日10月8日にオープンした石川県のアンテナショップ「いしかわ百万石物語 江戸本店」に行ってきました。銀座なんですが有楽町駅前の交通会館から外堀通りを挟んで向かい側といった、交通の便のいいロケーションになっています。
今日は雨の平日ということで、お客さんはちらほらといったところでしょうか。オープン初日は満員だったようですが、少し落ち着いてきたようです。一階はお米やのどぐろなど食品を中心とした物産、二階は金箔や漆塗りなどの工芸品販売と喫茶スペースになっています。窓際の席は外が見えて気持ちよさそうでした。
エレベーターで地下に降りるとイートインコーナーで食事ができます。カウンター席が6席ほどあったでしょうか。15時までのランチタイムにはステーキ丼などの丼が食べられるようです。今日は15時を回っていたのでいしかわ御膳を頂いてきました。前菜のピクルス、加賀牛のコロッケ、いかめし風リゾット、飲み物と和三盆珈琲カステラで1500円でした。
野菜の多いメニューなのが嬉しいですね。器は本物の九谷焼で一式3万円ほどだと掲示してありました。九谷焼という名前はよく聞きますが、実物を見たのは初めてかもしれません。カラフルでファンシーな絵柄のものが多くて、伝統の焼物のイメージを見事に覆されたのが印象的でした。
ホクホクのコロッケ、トマトソースを添えたいかめし風リゾットも美味しかったです。カステラも美味しくてコストパフォーマンスは良好といえるでしょう。カウンターのみなのでゆっくり食べるにはやや不向きですが、メニューが変わったらまたいってみたいです。
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そんな訳で小田原攻めです。北条氏政が「小田原城は難攻不落!」と何度も豪語するのが気になりますね。武田や上杉も落とせなかったという成功体験が判断を歪めているようです。後に「難攻不落の大阪城」を頼りに家康に反抗した茶々姫の姿を暗示しているようでもあります。茶々姫は淀城をもらったので淀君と呼ばれるようになりますが、すぐ大坂城に入ったので淀城にいた期間は短かったんですね。
堅固を頼んでの籠城は、攻め手の補給が続かなかったり、背後を突かれたりして包囲を解かざるをえなくなるときに有効です。秀吉22万の大軍を維持するには莫大な補給が必要になりますので、背後で一揆が起きるなどの状況を北条側は期待したのかもしれません。
結果として多少の一揆はあったかもしれませんが、秀吉が軍を引かざるを得ないほどの事態は発生しませんでした。一つには秀吉が各大名の妻子を人質に取ったため大規模な反乱が発生しにくかったこと、また戦乱収束による交易や産業振興による利益を各大名が期待できたこともあげられるでしょう。ここで反旗を翻すことで得られるメリットが余り大きくないであろうことを家康あたりも察していたのではないでしょうか。鎌倉時代の末期に楠木正成討伐に東国の軍勢が駆り出されて持久戦になったとき、新田や足利が反旗を翻したときの状況とはだいぶ違っていたと言えるでしょう。
このような状況を北条に説いて降伏を促すことは、相手が殺気立っていることを除けばそんなに難しくはないと考えられます。酒肴と2カ国安堵の約束を手土産に官兵衛は首尾よく北条氏政の説得に成功しました。
これで一件落着のはずですが、秀吉が2カ国安堵の約束を反故にしたのは火種をのこしたといえるでしょう。服従の不利益を大きくし、しかもそれが予見不可能だと思わせることは服従のインセンティブを削ぐことになります。伊武さんが心配するのも宜なるかなですが…
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茶々姫が懐妊して秀吉に跡取りが生まれることになりました。これをピンチと捉え、すっぱりと家督を長政に譲り、自らは隠居を図る官兵衛の嗅覚が鋭いですね。
守るべきものができると危険に敏感になる…まではわかりますが、その秀吉の猜疑心が自らに向く可能性を察知し、さらにそれを未然に防ぐ手を果断に打てるのはやはり並ではありません。小寺政職に子ができたときに黒田職隆が官兵衛に家督を譲った前例があったことが幸いしてますが、小寺政職の優柔不断に右往左往していたころとは隔世の感がありますね。
秀吉自身は官兵衛を排するより用い続けようとしますが、有能すぎる故の信頼と猜疑のバランスはどちらに転んでもおかしくないものではあったでしょう。茶々姫を揶揄する落首に秀吉が過剰反応するのを諌めたときも、秀吉がどう反応するかは紙一重だったと思います。秀吉なきあとの鶴松の運命についてよくお考えを…という官兵衛の訴えが功を奏しましたのは幸いでした。
守るべきものの運命を考えよというのが一番有効だろうという官兵衛の読みも相変わらず鮮やかです。相手の立場に立って相手にとっての最善手を考える。説得というものはかくありたいものです。この褒美というわけでもないでしょうが、秀吉は長政の家督継承を認め官兵衛は個人の資格で秀吉に使えることとなりました。こうして舞台はようやく初回の冒頭、小田原攻めのシーンにうつっていきます。
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童話のようなタイトルですが、熊本県山鹿市で大正時代につくられた実在のピアノのお話です。こちらのブログに概要が紹介されています(「あのピアノの正体は、、、山鹿に残る最後の一台だった!」「木村ピアノ 熊本旅行三日目のはじまり」)
♪ 100年生きてる 山鹿のピアノ
♪ 異国のピアノに 憧れた大工さん
大正13年、スタインウェイピアノの音色に魅せられた木村末雄さん、正雄さん兄弟が自分たちでもピアノを作ろうと思いたちました。弦やらハンマーやら部品をすべて手作りで作り上げられた61鍵のミニピアノが「山鹿のピアノ」です。すごい話ですね。今だったらピアノが欲しいと思っても手作りするなんて考えられません。木村名人と画面中の絵本に書かれてますが、木工以外にも精通した腕利きの職人さんだったんでしょうね。
♪ リアカー乗せられ 山鹿のピアノ
♪ 昨日はお祭り 明日は運動会
リアカーであちこちに貸し出されたのも史実のようですね。移動のときについた傷があちこちに残っているそうです。朝ドラ風の映像がいろんな時代を生きてきたピアノと暖かい音色を奏でてきた人たちの姿によくマッチしています。そして、ピアノがしまいこまれた戦争の日々…。10数台作られたピアノのうち生き残ったのは1台だけだったようです。
1990年には生き残ったピアノのルーツを探る番組がRKK熊本放送で制作されました。前田武彦さんがインタビュアを務めたという番組、見てみたいですね。2009年には部品をつなぐ接着剤も寿命となりハンマーで弦を叩くこともできなくなっていました。今は…もう…動かない…そのピアノを蘇らせたのがピアノハープ社の職人さんです。2010年に復活した木村ピアノが今回みんなのうたの登場したということになりますね。
こういう実話ベースの作品がみんなのうたで取り上げられるのも珍しいです。朝ドラのような、映像の二十世紀のようなエピソードがあって初めて誕生した稀有な作品といえるでしょう。
『山鹿のピアノ』
作詞:遊なおこ
作曲:樋口了一
うた:エンドレスライス
画:大代寅次郎
映像:アズ クリエーション
初回放送:2014年10月
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