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2015年7月31日 (金)

【今月のうた】『ウェイクアップ!パパ!』他(2015年)



6、7月のクールも今日で終わりですね。『ウェイクアップ!パパ!』はまっすぐな線が印象的なアニメーションですね。多分CGなんでしょうけど、少し手描きの風味も加えられていて親しみがもてます。

お父さんソングは14作目みたいで最近では『優しいヒーロー』(2011年)以来のようです。会社、会社で子供との時間がなかなかとれないなか、頑張って日曜日に早起きしてくれる真面目なお父さんですね。相変わらずの厳しい労働環境で無理されないようにと願うばかりです。

『こころ』ではひび割れた大地から芽生えた緑が樹木に育ち、地球のような実が沢山成ります。そこには世界の子供たちの姿が…。♪ 命と同じ ひとつの星 というサビを聴いてなるほどなと感心しました。リアルタイムで同じ時刻を共有している世界の子供たちにこころを馳せる時間を時々でも持つことは、大事なことですね。

『ひげヒゲげひポンポン』は可愛らしいナンセンスソングです。ひげが3回かと思ったら3度目は「げひ」とフェイント。可愛い女の子にひげが生えるとやっぱりおっさんに見えるんですよね。ひげのインパクトを再確認しました。

最後はにぎやかに『たこちう。』です。タコ足、3タコ、タコ殴り。タコには何かとネガティヴなイメージがついて回ります。このタコというのも罵り言葉ですし、タコ部屋なんて表現もありますね。このネガティヴイメージを逆転すべく、八面六臂の奮闘をします。八本の足で八方手を尽くし、ひっぱりだこになれたでしょうか。


『ウェイクアップ!パパ!』
うた:HARCOと佐藤徳之丞
作詞:山田英治
作曲:HARCO
編曲:HARCO
動画:きたやまくみこ

『こころ』
うた:アンダーグラフ
作詞:真戸原直人
作曲:真戸原直人
映像:中原恵一郎
写真提供:JCV

『ひげヒゲげひポンポン』
うた:たんきゅんデモクラシー
作詞:荒木尚美、 大橋弘典
作曲:荒木尚美
編曲:郷拓郎
動画:大橋弘典

『たこちう。』
うた:片岡鶴太郎×ひめキュンフルーツ缶
作詞:吉田隆
作曲:吉田隆
編曲:渡部チェル
動画:ぴっぷや
初回放送:2015年6、7月

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2015年7月28日 (火)

【再放送曲】『空に小鳥がいなくなった日』(1972年)



2011年7月の「熱中スタジアム」の収録のさい、「怖いうたをあげてください」というお題のときにフリップに書いた曲が『空に小鳥がいなくなった日』でした。一言コメントは「沈黙の春に歌い続ける人間たち」。番組側としては『メトロポリタン美術館』とか『まっくら森の歌』とかをあげて欲しいのだろうなと思いましたし、現にその方向に番組は進行したですが、個人的にはキングレコードでこの曲を聴いたときの衝撃が忘れられなかったのでした。

♪ 森にけものがいなくなった日
♪ 森はひっそり息をこらした

シンガーズ・スリーのスキャットが冒頭からただならぬ雰囲気を醸し出しています。60年代の高度経済成長で生活水準が大いに向上する一方で、公害や自然破壊による弊害も深刻になってきていました。野生動物が豊かに息づく日本の野山も失われつつある…。上條さんもひっそりうたいはじめます。

♪ 森にけものがいなくなった日
♪ ヒトは道路をつくりつづけた


自然が失われつつあるなか、なおも道路をつくりつづける人間たち。一度動き始めたら止まらない公共事業の数々が頭をよぎりますね。1972年というと、田中角栄通産大臣が「日本列島改造論」を打ち出して首相になった年です(7月7日就任)。谷川さんがこの詩を書かれたのはもう少し前のことだと思いますが、72年6、7月という放送期間は図らずも谷川さんのメッセージを伝える絶妙のタイミングとなりました。



海に魚がいなくなっても港をつくりつづけた人間たちは、街に子どもがいなくなっても公園をつくりつづけます。少子化が問題になるのは80年代に入ってからですが、この辺は谷川さんの先見の明でしょうか。街に子どもがいなくなっても街はなおさらにぎわっています。子どもがいなくなったあとに、自分たちにどんな運命が待ち受けているのか気づかないかのように。あるいはそれを予感するからこその空騒ぎなのかもしれません。ここまで毒の効いた表現がみんなのうたで扱われるのも珍しいでしょう。

♪ ヒトに自分がいなくなった日
♪ ヒトは互いにとても似ていた


この作品は5番まであって、これが4番になります。レコードバージョンでは5分45秒かけてフルコーラスが演奏されますが、放送ではどうだったのか気になっていました。1、3、5番にして間奏を短めに2分半に収めるのかどうするのか。今回発掘された音源の再放送を聞いてみると、4番を省略しただけであとは全部歌われていました。放送時間4分30秒。まさかのロングバージョンだったんですね。『WAになっておどろう ~イレ アイエ~』が最初のロングバージョンかと思ってましたが、どうやらこの曲が最初だったようです。

♪ ヒトに自分がいなくなった日
♪ ヒトは未来を信じつづけた


自分というものを見失った人間たち。周りに合わせることで、周りと同じであることに安心する人間たち。未来を警告する声もあることはあるのですが、「ちょっと変わった人」の声として片付けられてしまいます。周りと同じことをしてれば大丈夫。何かあっても自分の責任ではない。こうして「これまで通り」が惰性で続けられていくことになります。

レコードバージョンでは上條さんも一番力を込めてこの部分を歌ってらっしゃいます。省略するには惜しいフレーズですが、一つ削るとすればやっぱりここになるのでしょうか。

♪ 空に小鳥がいなくなった日
♪ 空は静かに涙ながした


レコードバージョンではシンガーズ・スリーのスキャットをはさんで、声をひそめてこのフレーズが歌いはじめられます。いよいよタイトルの登場です。レイチェル・カーソンが『沈黙の春』を出版したのは1962年のことですから、谷川さんはおそらくこの本の内容を踏まえて、このタイトルをつけられたのだろうと思われます。

自然は沈黙した…鳥たちはどこへ行ってしまったのか…みんな不思議に思い、不吉な予感に怯えた…ああ鳥がいた、と思っても死にかけていた…春が来たが、沈黙の春だった。

こうした印象的な書き出しで、農薬のついた落ち葉をミミズが食べ、そのミミズを鳥が食べ…という生体濃縮のプロセスを明らかにした本は世界的なベストセラーになりました。
空に小鳥がいなくなった日、空は静かに涙を流します。

鳥の次は人間かも、というのがレイチェル・カーソンのもう一つのメッセージだったわけですが、この警告に対して人間たちがどう反応するのかと思っていると…

♪ 空に小鳥がいなくなった日
♪ ヒトは知らずに歌いつづけた


このフレーズを聞いたとき、心の底からゾッとしてしまいました。なぜって、本当にありそうな話ですから。身に危険が迫っていても、知らずに歌いつづける。みんなと同じなら安心。こんな心理を見事に表現する谷川俊太郎ってすごいなと、黙示録のような上條さんのスキャットを聞きながら考えていたものです。

そんなわけで個人的には『メトロポリタン』や『まっくら森』よりこの曲が怖いのですが、こんな正真正銘怖い曲を取り上げると番組が重くなりすぎるのでスルーされたのは賢明な判断だったといえるでしょう。他のみなさんがどんな曲をあげてらしたのか、知りたいところではありますね。

なお、この詩には林光さんの他、三善晃さんや平吉毅州さんも曲をつけてらっしゃいます。それだけ、創作意欲を刺激する作品なのでしょう。

『空に小鳥がいなくなった日』
作詞:谷川俊太郎
作曲:林光
うた:上條恒彦、シンガーズ・スリー
初回放送:1972年6、7月

【追記】
るんるんさんからの情報によると、テレビでは土曜日のうたとしてロングバージョンで放送されていたようです。テレビの映像も見たいものですね。

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2015年7月27日 (月)

カキ氷

カキ氷
今日は朝から暑かったですね。館林では38.8度まで上がったそうで…。カキ氷が美味しいです。

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2015年7月23日 (木)

【ブラタモリ】仙台 後編

「杜の都」仙台の謎を巡る旅ですが、今回も知らない蘊蓄が紹介されていて面白かったですね。

仙台に森が多かったのは伊達政宗が秀吉に減封されたのちも抱えていた家臣たちに、仙台開府後与えられた家屋敷に果樹のほか、薪炭や用材用の樹木を植えて自給するよう促したからだそうです。四ツ谷用水がもたらした地下水と相まって、緑の多い城下町が出来上がったようですね。見事な都市計画です。当時の大樹もチラホラ残っているようでした。

空襲でこれらの樹木の多くは焼けてしまいましたが、大戦後、街路を中心に植樹が行われ「杜の都」の景観の復活が試みられているということでした。なるほど、そんな経緯があったのですね。

後半は仙台城下町の副都心、若林城下町のお話。伊達政宗晩年の居城であった若林城は現在は宮城刑務所になっていて、そのためかえって政宗当時の面影を残している部分もあるようです。刑務所のシーンでは去年、府中刑務所を見学したときのことを思い出しました。随分いろんな禁制品が作られてるんですよね。

1国の城を一つに制限するのが江戸幕府の方針でしたので若林城は「仙台屋敷」として幕府には届けられていたようです。その実、堀や櫓もつくられて仙台では「若林城」と呼ばれていたということでした。ただウィキペディアによると幕府もそのことは承知だったようで、堀や櫓を備えつつ「屋敷」扱いされていた建物の例は他にもあったようですね。

仙台城は山城なので晩年の政宗にはそちらで生活するのは不便だったのでしょう。子供の忠宗に仙台城を譲ってもっぱら若林城で暮らしていたそうです。この若林城を中心につくられた若林城下町が仙台のいわば副都心をなすわけですが、仙台城の城下町とは30°向きが異なっているため、微妙に向きの異なる街区が併存する独特の街並みが出来上がったようです。

とはいえ、若林城は元々はこの地域を支配していた国分氏の居城である小泉城のあったところで、若林城下町の原型はこの時期に存在していたようです。国分氏が伊達氏の支配下に入ったあと仙台城と仙台城下町がつくられたため、30°のずれの原因は仙台城付近の広瀬川に直交する形で大手前の通りがつくられたためと言えるでしょうか。こうした街並みが形成されてきた経緯を知るのは面白いですね。今度いったらそういう歴史を意識しながら歩いてみたいと思います。

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カラスウリ

カラスウリ
カラスウリの花が咲いてました。毎度思いますがすごい花ですね。

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2015年7月17日 (金)

バイバイ

バイバイ

水曜日のことですが、高円寺に「炎のストッパー 津田恒実物語 バイバイ」を見に行ってきました。新聞でも紹介されていただけあって満席でしたね。中には14番の津田のユニフォームを着た人も…

バイバイ

舞台にはマウンドが設けられていて舞台装置はそれだけです。お芝居というものを見に行くのは実は初めてで、どんな感じでストーリーが進むのか想像がつきませんでした。でも、思ったよりもスピーディーに次々に場面が展開して非常に面白かったです。

基本は津田さんの闘病記なのですが、キャンプのシーンや直球でバースを抑えるシーン、奥さんと付き合いはじめるころのシーンなどが次々に挿入され、その度に入院姿とユニフォーム姿を早変わりするのが見事でした。

安仁屋さんとか達川さん、正田さんといった懐かしいメンバーが出てくるのも楽しかったです。流石は広島カープ公認公演だけありますね。緒方現監督がいじられ役で登場するのはご愛嬌でしょうか。狭い舞台なんですがうまく野球を表現できるもんなのですねえ。86年の優勝シーンも本物そっくりに再現されていて思わずガッツポーズをしてしまいました。

闘病のシーンもなかなかリアルに描かれていました。病名の告知をするべきか。治療法が限られるなかで代替療法をとるべきか否か。奥さんやお医者さん、親族の間で様々な葛藤があったことがうかがわれました。ただそれも津田さんのことを思ってのこと。多くの人の支えで一時はかなり回復されていたんですね。知りませんでした。小春日和のなか息子さんに投げ込んだ一球には万感の思いがこもっていたことでしょう。

それから1年後、いつものように「バイバイ」といって去っていった津田さん…。本当にお疲れ様でした。その魂は今のチームにも、とりわけ背番号14番をつけた選手にも受け継がれていると思います。

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2015年7月15日 (水)

【ブラタモリ】仙台 前編

今回は仙台でした。津波堆積物の調査の話は震災のときに見た覚えがあります。土砂の採取棒はあんな風にギュッギュッと地面に差し込むのですね。津波を避けて内陸に仙台の城下町をつくったところ、1611年の慶長三陸地震の津波が来た。伊達政宗公の先見の明に当時の人は感謝したことでしょう。

内陸の台地に城下町をつくると問題になるのが水です。この問題は金沢編でも登場しました。対処法も同じく用水を引くことです。仙台の場合、広瀬川の上流から四ツ谷用水が引かれました。なかなかこういう視点から街を見ることはすくないので、この番組は貴重ですね。

河岸段丘のへりにそって用水を引くことで段丘面に隈なく水を行き渡らせる。そのため、段丘面に直交するように開析している谷を四つ横断して用水を引く。これが四ツ谷用水の名前の由来だそうで確かにマニアックな建築の仕方ですね。伊達政宗は地形マニア!?という番組テーマに偽りはなかったようです。

こういう用水の話を聞くと辿ってみたくなるのが人情です。地上の水路に「無駄に広い」歩道と化した暗渠、住宅の隙間に痕跡を残した支流跡。さらには仙台市街地を斜めに横断する、もとは用水路だった町の境界まで辿れるとは楽しいですね。四ツ谷用水が地下に残した帯水層が今なお井戸水の供給源になっているとは、政宗公の先見の明に二度びっくりさせられました!

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2015年7月14日 (火)

ニューホライズンズ

ニューホライズンといえば中学の英語の教科書だったのですが、いつの間にか冥王星探査機に早変わりしてました。中学生の頃はまだ惑星で水金地火木土天海冥といって覚えたものですが、いっとき水金地火木土天冥海の時期を経て水金地火木土天海になってしまいましたね。

ドワーフになった冥王星に無事接近することができたようです。どんな発見があるのでしょうか。

NASAのニュースホライズンズのページ
http://www.nasa.gov/mission_pages/newhorizons/main/index.html

探査機の名前はより正確には「ニューホライズンズ」と複数形になってます。「新しい地平線たち」という意味で地球とは別世界の星々を探査するといういみでしょうか。

かつて惑星とされた冥王星が準惑星とされることになったのは、太陽系辺縁部でカイパーベルトと呼ばれる小惑星群が確認されたことでした。なかでもエリスは冥王星とほぼ同じ大きさで冥王星を惑星とするとエリスも惑星と考えなければならないことになりますし、他にも沢山の「惑星」が存在すると考えなければならないことが予想されました。そのため議論の末、冥王星もエリスも「準惑星」というカテゴリーに分類することに2006年になったのでした。

ニューホライズンズはこの2006年に打ち上げられ、木星でスイングバイをして加速し9年半という短時間(!)で今年冥王星までたどり着いたという訳です。このあと冥王星でもスイングバイして別のカイパーベルトの星を目指すといいますからまさしく星々を巡る旅をするわけですね。

今回冥王星から送られてきた写真にはハート型の模様が見られました。あの世の星は案外ハートフルなのかもしれません。冥王星や衛星のカロンの表面にクレーターがほとんど見られないのも特徴的です。クレーターを埋める地殻変動が起きている証拠とする見方もありますね。

冥王星の中心部には地球にもあるような熱い核が現在も存在していて、地殻変動を引き起こしている可能性があります。そうすると表面を覆う氷の下には液体の水が存在する可能性も…。ひょっとしたら生物もいるかもしれません。冥王星はいろんな意味で「生きている星」なのかもしれませんね。

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2015年7月12日 (日)

【ブラタモリ】奈良 後編

今日は仙台編をやっていたはずですが、ビデオで見たのは奈良編の後編です。鹿はホントに沢山いましたね。懐かしいです。

戦国時代に東大寺が焼けて大仏様が雨晒しになっていた話は聞いたことがあります。この東大寺の再建を支援したのが徳川綱吉だったのですね。こちらは知りませんでした。江戸時代前期の一大イベントだったのでしょうね。大勢の人が奈良を訪れ、観光都市としての歩みが始まったようですね。平和になってある程度の余裕ができることが観光には必要だったことでしょう。

大仏様自体も何度も修復され奈良時代に作られた部分は胴体の下の方に残るのみ。鎌倉時代や室町時代、江戸時代に胴体の上の方や頭が補修されてサイボーグみたいになっているいるようですね。1200年に渡る先人たちの努力が大仏様の姿に凝縮されていると思うと感慨深いものがあります。案内されていた東大寺のお坊さんも涙ぐんでいらしたようでした。

番組の後半では長福寺の修復現場を訪ねます。室町時代の瓦が一番丈夫に出来てるんですね。ここでも先人たちから補修のリレーが連綿と引き継がれてきています。制震ダンパーという新技術も平成の修理から新参加。タモリさんもカンナがけと木組みで少しだけ貢献していました。こうして補修の現場をつぶさに見せて頂くと、親近感を感じますね。

「よその寺と思えないので完成したらまた見にきますわ」

タモリさんがそういったとき、案内の山下さんがものすごく嬉しそうな表情をされてました。それだけこの仕事に賭けてらっしゃるのだなということがよく分かって印象的でした。こうした人たちの気持ちが奈良の街を支えてきたのですね!

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2015年7月 7日 (火)

風車見学会

風車見学会

日曜日は石狩湾の沿岸に風車の見学会に行ってきました。200名近い人が参加して盛会です。地元の海鮮丼やら豚串やらトウキビやらメロンやらも振舞われて大変美味でした!

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2015年7月 5日 (日)

成吉思汗だるま

成吉思汗だるま
成吉思汗だるま
札幌では晩御飯にジンギスカンを頂きました。だるまのジンギスカンは肉も美味しいし、玉ねぎも肉厚で肉汁が染みて美味しかったです!

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ご当地エネルギーシンポジウム


札幌に戻って全国ご当地エネルギー協会主催の設立1周年シンポジウムを覗いてきました。こういう協会ができていたのですね。日本のあちこちに地域で風力や太陽光発電を行う団体が増えてきているので、連絡協議会のようなものができるのは時宜にかなっているといえるでしょう。




ご当地の北海道グリーンファンドが実質のホストで、宝塚や徳島、静岡、余市といった地域で地域発電をはじめている団体の代表者のお話をきけて、大変参考になりました。

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小樽

小樽

たぶん1983年以来32年ぶりに小樽にいってきました。前回は舞鶴からのフェリーで上陸しただけなので、実質初小樽と言ってもいいかもしれません。

小樽

赤レンガ倉庫の運河は当時はこんな風には整備されてなかったかもしれません。倉庫を利用した良さげなレストランがあったので表に回ってみると「びっくりドンキー」でびっくりしました!

小樽

政寿司はあったかもしれませんが入る機会は全くなかったですね。結局ここで大変美味しいランチを頂いてきました!

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2015年7月 1日 (水)

【ブラタモリ】奈良 前編

奈良編、実際に歩き回った場所の話なので面白かったです。確かに近鉄奈良駅の前の道は坂道ですし、猿沢の池から興福寺にいく道も結構な登り坂でした。要は春日大社から伸びる台地の先端、平城京を見渡せる高台に藤原氏の氏寺を建てたということだったのですね。これはなるほどです。

平城京自体は平安京への遷都後、衰退していくのですが興福寺は藤原氏の氏寺として勢力を維持しました。この興福寺の門前町として現在の奈良市中心街が形成され、そのに近鉄奈良駅も作られたという構図になります。平城京跡は田んぼとなりど真ん中に近鉄の線路が敷かれることになったのでした。

ならまち辺りも歩き回ったことがあって風情のある街並みでした。確かにここもアップダウンの多い街でしたね。興福寺のある台地から下る途中にできた街だと思うと納得できます。元興寺跡のクランクも歩きました。オシャレな蚊帳の生地を売ってる店があったのを覚えています。

山の傾斜をそのまま整地しないで建てた春日大社本殿の話も興味深かったです。20年ごとの式年遷宮に合わせて見学ができたらしいのですが6月30日までだったそうなので惜しくも終わってしまいました。そんな間際に言われてもおいそれと見に行けません。自然になるべく手を加えず自然を生かして暮らす。古都らしい思想を感じることができました。

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