鬼太郎駐輪場
調布駅の近くで新しい駐輪場をつくっています。完成に近づくとともに鬼太郎や一反もめんが姿を見せ始めました。結構目立つので調布の新しいランドマークになるかもしれませんね。
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調布駅の近くで新しい駐輪場をつくっています。完成に近づくとともに鬼太郎や一反もめんが姿を見せ始めました。結構目立つので調布の新しいランドマークになるかもしれませんね。
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そんなわけで半年に渡って「ゲゲゲの女房」にコメントをつけてきましたけど、社会関係資本のありがたみを実にうまく表現したドラマでしたね。
社会関係資本は「信頼」「互酬性の規範」「ネットワーク」からなる社会の潤滑油で、いずれも目には見えないものなのですが、社会生活をスムーズに営む上で欠かせないものです。ドラマ前半の貧乏時代には戌井さんや深沢さんとの信頼関係、商店街の皆さんとのもちつもたれつの関係(互酬性の関係)が茂さんや布美枝さんの支えとなっていました。
ドラマ後半でも豊川さんとの信頼関係やアシスタントの皆さんとの助け合いは相変わらず重要ですが、遠くはなれてしまった中森さんやはるこさんや美智子さんたちとのご縁の糸(ネットワーク)が、折に触れて布美枝さんや藍子ちゃんたちを助けてくれました。そして、今は亡きおばばや貴司くんや一学さんたちからの心理的サポートのネットワークまで・・。
見えんけどある社会関係資本。その意味とありがたみをこれほどうまく目に見える形で示してくれたドラマというのはちょっこし記憶にないですね。脚本家の山本さんの力量に追うところが大きいですが、原作の布枝さん、俳優のみなさん、スタッフのみなさんのお陰でもあります。素敵なドラマ、ありがとうございました。だんだん。
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終わってしまいました。始まりあれば終わりありといいますが、それにふさわしいエンディングでしたね。
アシスタントの皆さん、業界関係の皆さん、ご近所の皆さん、読者の皆さん。沢山の人たちにありがとうを伝えてきた最終週でしたが、最終話の主役は「見えんけどおる」皆さん方でした。
「源兵衛さんと仲良くやってごしなさいよ」
イトツの遺影に語りかけるイカルさん。見えんけどそこにいらっしゃるのでしょう。
「用事があるときはラッパを吹くんです」
貴司くんのラッパを吹いて家人を呼ぶ源兵衛さん。最後まで一個分隊を率いていたんでしょうね。飯田家の家長として戦前、戦中、戦後を生き抜き、娘たちの縁談を調え、沢山の孫たちに恵まれ・・。彼岸花の咲く頃、おばばや貴司くんやご先祖様と彼岸へ旅立った源兵衛さん。たくさんの見えんけどおる皆さんのお陰を感じられる最終話でした。
お酒の飲めない茂さんも子供たちに漫画の腕を披露してましたね。見えんけどおる人たちとの団欒。日々の暮らしが静かな海のように続くこと。それらが何よりの供養、何よりのご恩返しとなることでしょう。
ラストシーンの舞台は、幼き日の布美枝さんがべとべとさんと不思議な少年にあったあの森です。ここに帰って来たんですね。あのとき少年がスケッチブックに筆を走らせていた神社の階段に、茂さんが腰掛けて絵を描いてました。
「お父ちゃんはやっぱり絵がうまいねえ」
「当たり前のこというな」
あれから50年近くずっと描き続けてきたのですからね、確かに当たり前のことなのでしょう。布美枝さんに出会うまでの25年、出会ってからの25年。変わらず描き続けてきたのです。
「私でよかったのかな」
お見合い以来初めて茂さんと一緒にきた安来。ここで布美枝さんはきいてみたかったんでしょう。本物の漫画家と信じて自分はついてきたけれども、茂さんにとってはどうだったのか。
「そげだなあ」
「良かったんじゃないか。お前で」
肩に手をおいて茂さんは答えました。ふすまの隙間からのぞいた目玉を見たときから、きっとそう思ってたんでしょうね。でも、改めて言葉にすることの大切さを布美枝さんの表情が物語っていました。
昔と同じようにべとべとさんをやり過ごしたとき、茂さんは50年前にも同じ女性と手をつないだことを思い出したかもしれません。見えんけどあるご縁の糸。見えんけどおる、鬼太郎や悪魔くんや河童の三平たち。
「まだまだこれからだ」
たくさんの見えんけどおるものたちに見守られながらまた二人は歩きはじめました。だんだん。
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商店街のみなさん、質屋の亀田さん、それに太一くんが20周年のお祝いにやってきてくれました。布美枝さんが調布にきた日からお世話になっている「まかせなさい!」トリオのみなさん。買い物はいうに及ばず、読者の会や貸本オリンピックの宣伝、ロザンヌレディの紹介などなど物心ともに支えられてきました。一六銀行の頭取さんは、青海波の着物を質流れから守ってくれた功労者です。地域のみなさんの支援があってこそここまでやってこれました。
墓場鬼太郎の大ファンだった太一くん。今は福島で工場長をやってるそうです。みなさんそれぞれ偉くなってますね。美智子さんの手紙を持ってお祝いにやってきてくれました。
「怖いけど面白い」
こんな怖い漫画が売れるか!と富田社長にダメだしされたときも太一くんのファンレターで救われたものです。少年ランドの連載開始時、読者投票が最下位だった鬼太郎にファンレターを送ってくれたのも太一くんだったかもしれません。今でももちろん茂さんの漫画を読み続けてくれています。
「最初の鬼太郎とは今のはだいぶ違うけれども」
「やっぱり先生の作品はおもしろいです」
貸本の時代から、楽しみにしてくれている大勢の読者たち。頼もしいけれども、つまらない漫画をかくととたんにそっぽを向かれてしまう、怖い存在でもあります。その大勢の読者たちの化身が太一くんという存在だったのかもしれません。
「描き続けてください。おれはずっと読み続けます」
地域のみなさん、読者のみなさんに支えられて描き続ける茂さん。その姿勢は昔となんら変わるところはありません。茂さんを一番近くで支え続けた布美枝さんには今日は2回、ねぎらいの言葉がかけられました。
「これはお母ちゃんにだ」
子供たちから贈られた花束。茂さんは布美枝さんに手渡しました。
「お母ちゃんがおらんとここまでやってこられんかったからなあ」
20年分のありがとうが込められた花束。ここまではっきり感謝の言葉を口にする茂さんもはじめてですね。ラスト2回、やはりきっちりいっとかないといけません。布美枝さんも感無量だったことでしょう。
「一緒に送りにいくか」
そして・・。源兵衛さんの訃報に悲しむ布美枝さんの肩に手を置きながら。その右手には言葉にならない深い愛情が込められていました。源兵衛さんが布美枝さんの手を握り安来節を歌ったシーン。あれがやっぱり布美枝さんとのお別れのシーンだったのですね。「歌の通りになれよ」と願った姿を見届けるように源兵衛さんはおばばの元へと去っていきました。
「みんなでいこう」
今こそ茂さん、布美枝さんや安来のみなさんにご恩返しするときです。
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1986年7月12日の大安の日、水木プロダクション設立20周年謝恩パーティが開かれました。水木プロ設立がちょうど100話でしたから、それまでの5年を100回かけて描き、設立後の20年を50回余りで走り抜けてきたことになりますね。
この100回分の雌伏、苦労とそれを支えた人々の助けが50回を疾走する原動力となっています。深沢さんがこれなかったのは残念ですが、戌井さん、豊川さん、船山さん、加納さん・・。豊川さんもほんとお久しぶりです。ザラッとくる編集方針、貫いてらっしゃるのでしょうか。加納さん、深沢さんのように新しい風を起こしてくださいね。
初期水木プロを支えたアシスタント3人組も久々に顔をそろえました。風の小峰くん、炎の倉田くんに点々のスガちゃん。小峰くんは風の便りでパーティをしったんでしょうかね。日の丸弁当食べてた倉田くんは布美枝さんの野菜たっぷり味噌汁から、視野を広げて仕事をすることを学びました。今や押しも押されぬ倉田先生です。そして点々を描き続けたスガちゃん、ありがとう。
浦木には誰が招待状を出したのでしょうか。「いい人間がいいことするばかりでは、人生もつまらん」。水木氏がねずみ男を評して語った言葉ですね。浦木というキャラクターはねずみ男のドラマバージョンとして創作されたらしいのですが、最後に意義が語られました。いいことする人間ばかりではないからこそ、人のご縁が身に染みる。有り難いことだから「ありがとう」。感謝の言葉は浦木のようなバックグラウンドがあって成立するんですよね。
水木プロ設立の夜、浮かない顔をしていた戌井さん。自分の役割は終わった、そんな表情でしたが全然そんなことありませんでした。テレビ化のアドバイスや北西文庫の出版、貧乏神と戦い抜いた戦友としての連帯感。そして何より戌井さんの漫画への深い愛情が茂さんにとって大きな励みとなっています。「漫画馬鹿」と連れ添って四半世紀。奥さんの早苗さんもお疲れ様でした。気風のいい女房ぶりは布美枝さんと双璧だと思います。
鳩が出るシルクハットの茂さんと青海波の着物姿の布美枝さん。ホスト役、お疲れ様でした。盛会で何よりでしたね。青海波はイカルの作戦で見合いから5日で嫁入りと知ったみやこさんが徹夜で縫ったものでした。日々の暮らしが静かな海のようにいつまでも続きますように。その願いとは裏腹に、富田書房の倒産で質入れされ、水木プロ設立で「全部だ!」と質から出され・・。
それから20年、感謝の気持ちの象徴としてお世話になった人たちに披露されることになりました。こういう演出はいいですね。ドラマの最初のシーンが最後にリフレインして大きな輪を描く。次の世代に日々の暮らしが引き継がれていくことが感じられます。おばばのかんざしは誰に受け継がれていくのでしょうか。
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残り4話になってスガちゃんに焦点を当てるとは、やってくれますね。昨日は実家の兄嫁さんの邦子さんにスポットを当ててましたし。サブキャラクターを丁寧に描くことが、人の縁を描くドラマに深みと説得力を与えています。
編集長になった北村さんがもってきたのは、鬼太郎週刊連載の依頼とスガちゃんの新人漫画賞審査員特別賞受賞の知らせでした。週刊連載は新しいマンパワーを必要とします。一方、漫画賞を受賞したスガちゃんには独立のチャンスが巡ってきました。
「意志の力で成功しないときは好機の到来を待つしかない」。このチャンスをつかんでほしいと願う茂さんたちは、スガちゃん抜きの態勢を組み始めます。倉田くんの例もありますから、受賞=独立と周りが思うのは自然なのですが、ちょっこし先走りすぎだったかもしれません。スガちゃんは自分が要らないと思われていると誤解したようです。
「ぼくがいなくたって、先生困らないでしょ?」
「もう若くもない僕なんか、お荷物なんでしょうか」
スガちゃん、自信がないんですね。20年間休まずに点々を打ち続けてきたのに「点々しか打てない」と思ってしまう。夕顔畑に風が吹く。若き日の初恋の思い出。奥さんとの初恋なのでしょうか。北村さんが「大賞でもよかった」と絶賛する渾身の一作をかいたのに「あれ以上のものはかけない」。自分で線を引いてしまいます。
でも、そういう人は沢山いるんですよね。地道にかけがえのない仕事をしているのに、周りに評価してもらえずに自分でも「自分はダメだ」と思い込んでいる人。そうした沢山のスガちゃんたちに茂さんが一喝します。
「だら!」
「あんたが抜けたあとどうしようか、こっちは頭を悩ませとったんだぞ」
アシスタントは数がいればいいというものではない。仕事を知り尽くしたベテランアシスタントは新人の教育にかかせません。そしてしつこく点々を打ち続けるスガちゃんの点々魂が、水木漫画にえもいわれぬ妖気を吹き込んでいるのでした。
「あんたの代わりはおらんのだ!」
言わんでもわかるだろう。茂さんはそう思っていたのかもしれません。でもスガちゃんにとっては、そう言ってもらうことが何よりの励みになったことでしょう。
見えんけどおるけど言わんとわからん。そう気づいた茂さんはこれまでの感謝の気持ちを、水木プロ設立20周年記念パーティとして形に表すことにしました。「大勢呼ぶぞ!」。沢山の懐かしい面々が集うことでしょう。そして沢山のありがとうが交わされることでしょうね。今から楽しみです。
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下駄屋のちよちゃんが布美枝さんを訪ねてやってきました。50すぎて「下駄屋のちよちゃん」もないですけどね。幼馴染はタイムマシンのようなものなので許してもらいましょう。
「旦那さま、また快進撃でおめでとうございます」
鬼太郎第3シリーズ、ちよちゃんも見てくれてました。テレビの威力はたいしたものです。還暦すぎて、定年退職の歳になっても一線で働き続ける茂さん。茂さんを支え続ける布美枝さんの姿は、オープニングのクレジットにもエンディングにも現れませんが、ちよちゃんはちゃんとみてくれてました。
「いつもテレビに向かって応援しちょうよ」
「頑張れふみちゃんって!」
鬼太郎のテレビ放送は布美枝さんの活動写真でもあったのですね。その向こう側ではちよちゃんはじめ多くの人が拍手を送ってくれていたのでした。
かくいうちよちゃんも、子供さんが結婚されてもうすぐお孫さんが生まれるようです。立派に「女房」をされてるのでしょう。兄嫁の邦子さんも、源兵衛さんに「娘にこげに世話してもらえて運がええ」といってもらえるぐらい、嫁ぎ先で頑張っています。源兵衛さんの言葉は、テレビの向こう側にいる沢山の女房たちへの感謝のメッセージなのでしょう。
布美枝さんは3日の滞在で調布に帰っていきました。もう一度、源兵衛さんに会うことができるのか。それは分かりませんが、源兵衛さんもおばばも貴司くんも布美枝さんの活動写真を見守り続けていることは確かです。見えんけどおる、ですね。
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「お父さん、眠ったの」
布団をかけようとする布美枝さんの手を源兵衛さん、そっと握りました。
「歌の通りになれよ、布美枝。ええな」
源兵衛さんの遺言みたいなシーンでしたね。「枝も栄えて葉も茂る」。婚礼の折にうたった安来節の一節。布美枝さんも茂さんもともに栄えてほしいという親心が込められていました。
あれから25年。茂さんは貧乏神や妖怪いそがしの攻撃に耐え、スランプを乗り越えて鬼太郎第3バージョンのテレビ放映を実現させています。布美枝さんも立派に茂さんや娘たちを支えて「村井さんの女房」を勤めています。申し分のないようにみえながら、それでも
「もしかしたらと、心配せん親はおらんわ」
源兵衛さんの気持ちが、しっかりと重ねられた手のひらに込められていました。親心とはげにありがたいものです。
源兵衛さんの症状は比較的軽そうですし、脳梗塞は発症後3時間以内だと血栓を溶かす効果的な治療法があるようですので、大丈夫かなという気もしますが、イトツも「死なないような気がする」とか言いながら逝ってしまいましたので油断は禁物ですね。イカルもみやこさんに会ったばかりなので心配なことでしょう。
源兵衛さん、助かる方向でドラマを締めくくってほしいものです。
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「それ、お姉ちゃんに言ってあげて」
喜子ちゃん、なかなか策略家ですね。日曜も仕事をする茂さん。やりたいことが山ほどある。妖怪のこともあの世のこともまだまだやりたいことだらけ。藍子ちゃんもやりたいことを仕事にしたはずなのに空回り。やめようかと思うほど苦しんでいます。
「そりゃそうだ。頑張ったからうまくいく。努力したら報われるというほど」
「世の中、簡単にはできとらんよ」
きちんと的を得た努力をつんでも成功するとは限らない。茂さんも、漕いでも漕いでも暗闇から抜けられない時期がありました。
「けど、途中であきらめんかったのがよかったんだなあ」
戌井さん、深沢さんの支え。豊川さんとの出会い。しんどくても辛くても渾身の力で描き続ける「本物の漫画家」だったからこそ、多くの人の助けとチャンスを得ることができたのでした。将来水木プロで仕事をしたいと思ってる喜子ちゃん、茂さんに藍子ちゃんを励ましてもらって先生を続けてほしいと思ったんですね。
「これ、張っとけ」
茂さんが持ってきたのは<ゲーテの言葉>でした。「意志の力で成功しないときには、好機の到来を待つほかない」。懐かしいですね。第35話、少年戦記の会が失敗して返本の山ができたときに、茂さんが張り出した言葉です。まだ藍子ちゃんが生まれる前の話でした。
「人は努力している間は迷うに決まったものである」こちらは新作でしょうか。対偶をとれば「迷ってないときは努力してない」になります。これもなかなか含蓄がありますね。
「好きと楽することはちょっこし違う」
好きなことをやれば、スムーズにことが運ぶということは全くありません。好きだろうが嫌いだろうが物事はなかなかうまくいかないものです。好きだからこそ、そこで努力し試行錯誤し思い悩むことができる。
「戦わずして土俵を降りるのが、一番つまらんぞ」
藍子ちゃんにいずれ仕事をついでもらうにしても、困難にぶつかるたびに土俵を降りるようでは困る。茂さんはそう思ったのかもしれません。でも、お父さんじきじきに励ましてもらって藍子ちゃん、戦う勇気が沸いてきました。基本に忠実にできることを全力で。空回りしないように、同僚の先生に相談しながら頑張っていってほしいですね。
これで一件落着なのですが、安来から源兵衛さんが倒れたという知らせが入りました。次週が最終週。皆さん、安来にかけつけてグランドフィナーレになりそうです。
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