2012年1月15日 (日)

初対面信頼とGDP内訳

一人当たりGDPの内訳についてみてみました。先進国では第3次産業の占める割合が高く、中でも金融・不動産等が一人当たりGDPの半分に達していました。他方、新興国や途上国では金融・不動産等の占める割合はずっと小さく、途上国では2割程度にとどまっています。他方、第1次産業は先進国でも途上国でも一人当たり生産額はあまり変わらず3~6万円程度でした。その結果、途上国では第1次産業が一人当たりGDPに占める割合が11%と比較的高くなる一方で、先進国では2%程度と小さくなっています。

次に初対面信頼とGDP内訳との関係を見ていきましょう。世界価値観調査第5波の初対面信頼のデータとGDP内訳のデータの両方がそろっている国は少なくて24ヶ国しかありませんでした。それでもある程度の傾向は見て取ることができます。(ちなみに日本は初対面信頼のデータがないので以下の分析には登場しません)

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初対面信頼との相関係数を見ると、金融・不動産等が最大で0.76となっています。以下、運輸・通信等の0.73から流通・飲食等の0.68まで0.7前後の値が続き、製造業が少し下がって0.65、農林水産業が大きく下がって0.47となりました。これから、初対面信頼と最も関連が深いのは先進国で特に割合も絶対値も大きい金融・不動産等で、その他の第3次産業や第2次産業がこれに次ぎ、第1次産業は初対面信頼とは最も関連が薄いということがいえそうです。

この関係を散布図にして確認してみましょう。初対面信頼と一人当たり第1次産業生産額の散布図はこのようになります。横軸が初対面信頼でプラスならどちらかというと初対面の相手を信頼することを示し、マイナスならどちらかというと信頼しないことを示します。縦軸が一人当たり第1次産業生産額で単位はドルです。

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図のように、初対面信頼と一人当たり第1次産業生産額にははっきりした関連は見られません。一人当たり第1次産業生産額自体、国による違いがあまり大きくなくて中国や韓国、ロシアとアメリカやスイスといい勝負ですし、イギリスやドイツはやや低くなっています。ただ、初対面信頼が高いオーストラリアやフィンランドの一人当たり第1次産業生産額が高めになっている分、0.47の相関となっているようです。(この2国をはずすと0.30の相関)

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初対面信頼と一人当たり第2次産業生産額との散布図は上のようになります。これははっきり右上がりの配置となり強い正の相関が見られます(r=0.70)。一人当たり第2次産業生産額は途上国・新興国と先進国の間に明瞭なギャップがあり、途上国・新興国では初対面信頼が低く、先進国では初対面信頼が高い傾向があるのが強い正の相関が見られる原因でしょう。

ただし、それぞれのグループについてよく見ると先進国のグループの中では初対面信頼と一人当たり第2次産業生産額の間にやかり正の相関が見られるものの(r=0.50)、途上国・新興国グループの中では負の相関が見られます(r=-0.67)。初対面信頼と第2次産業との関係は単純なものではないのかもしれません。

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同様の関係は初対面信頼と一人当たり第3次産業生産額との間でより明瞭に見られます。途上国・新興国グループと先進国グループとのギャップは第3次産業でより大きくなり、そのため初対面信頼と一人当たり第3次産業生産額の相関係数はr=0.75とより大きくなりました。

一方、先進国グループの中では初対面信頼と一人当たり第3次産業生産額の相関係数はr=0.66で依然として正の相関が見られるものの、途上国・新興国グループの中ではr=-0.70の強い負の相関となっています(ちなみに、韓国は第2次産業では先進国グループに入りますが、第3次産業については新興国のグループに入るようです)。

途上国・新興国と先進国では初対面信頼と一人当たりGDPの関係が特に第2次産業、第3次産業については異なっているようですね。そしてこの傾向は第3次産業の方が顕著です。途上国・新興国の段階では第2次、第3次産業の発展による経済成長のプロセスは初対面信頼を阻害する方向に働くのかもしれません。

他方、第3次産業がGDPの主流を占めるようになる先進国では、第3次産業の発展が初対面信頼を改善する方向に働くようにみえます。あるいは初対面信頼の向上が金融業やサービス業の発展を促すのかもしれません。これらの点について確認していく必要がありそうです。

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2012年1月11日 (水)

一人当たりGDPの内訳

一般的信頼と一人当たりGDPの間に正の相関があることと、詳しく見ると中程度の一人当たりGDPの国では一般的信頼が低いくなるU字型の関係であることを前に紹介しました。GDP(国内総生産)は国内で生産された最終財やサービスの総額ですが、このうちどの財やサービスの生産が一般的信頼の水準と関連が深いのでしょうか。それが分かると、GDPと信頼の関係についてもう少しよく分かってくるはずです。

ここでは手始めに一人当たりGDPの内訳をみてみることにしましょう。総務省統計局HPの「世界の統計」に32ヶ国の経済活動別粗付加価値構成比のデータが出ています。これの2009年のデータを用いて各国の一人当たりGDP内訳のグラフを作成してみました(単位ドル)。

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一人当たりGDPの大きい順に並べてありますが、スイスがトップで欧米諸国が上位に並んでいます。日本はこの中では11番目ですね。先進国ではどの国も「金融・不動産等」が5割前後を占めています。1ドル80円換算で先進国平均(スイスからスペインまで)を求めると一人当たり164万円にあたる効用がこのセクションで生み出されている計算になります。

先進国で次に多いのが「鉱工業」で一人当たり58万円程度の生産、「製造業」と「流通・飲食等」が46万円、43万円程度の生産で続いています。他方、農林水産業の第1次産業は先進国平均で一人当たり5.6万円の生産にとどまっていました。第1次産業は少ないだろうなとは思ってましたが、それにしても予想外の少なさでいささかびっくりです。

逆に金融・不動産等が先進国を通じて半分を占めるのもやや意外でした。金融というのは当座の資金に余裕のある家庭や企業から資金の不足する家庭や企業に資金を融通することで資金の有効利用を図るという働きがあって重要なのですが、資金の有効利用によって国富が倍になるほどの効果があるものなのでしょうか。このセクションについては付加価値の求め方など、もう少し調べてみる必要がありそうです。

第1次~第3次産業という形で構成比を集計してみると、先進国平均で第1次産業が2%、第2次産業が34%、第3次産業が64%となります。この比率自体は産業別人口比率と大体同じで割と納得できる数字になるのですが、人口比で15%ほどの金融・不動産が金額で50%を占めているのはこう集計すると見えなくなりますね。

上のグラフではブラジルからガクンと一人あたりGDPが少なくなります。ブラジルから南アフリカまでが新興国といえるでしょうか。普通は中国やインドも新興国に含めますけど、一人あたりGDPからみると両国とも新興国というより途上国の水準です。農村部の膨大な貧困層のなせるわざでしょう。

ブラジルから南アまでGDPの内訳も似たような構造になっています。全体に先進国より値が小さいのですが、金融・不動産のセクションが小さいのが目に付きますね。6ヶ国で新興国平均を求めてみると一人あたり24万円となりました。鉱工業が16万円、製造業、流通・飲食業がともに11万円で順番は先進国と変わらないものの、金融・不動産との差は先進国ほどついていません。

新興国と先進国との違いをみると金融・不動産のセクションでは6.8倍の違いが見られます。これが鉱工業では3.6倍、製造業で4.1倍、流通・飲食業で3.8倍となり3~4倍の違いが見られるのですが、金融・不動産では7倍近い違いとなり、金融市場の発達が新興国と先進国の主な相違点であることが分かります。

タイからインドまでを途上国として平均を取ってみると、金融・不動産のセクションは5万円となりました。先進国・新興国との差が顕著ですし、鉱工業が8万円ですから途上国の中でもトップのセクションではなくなっています。製造業が4万円、流通・飲食が3万円ですから金融・不動産とほとんど違いません。農林水産業も3万円で、途上国においては他のセクションと並ぶ主要セクションといえるでしょう。逆にいうと他の産業セクションが農林水産業と同程度の付加価値しか生産していない点が途上国の特徴といえるかもしれません。

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2011年9月13日 (火)

開発経済学を学ぶ

一般的信頼と一人当たりGDPに負の相関があることが判明したので、理由を考えているところです。

特に途上国ではっきりした負の相関があるので、途上国の経済成長と社会変動の関係をしるべく開発経済学のテキストを紐解いています。先週から2冊本を読みましたが、開発初期では輸入代替工業化によって農村から都市へ、農業から工業へ人が移るのが通例のようですね。

日本のデータでは、農村より都市の方が一般的信頼が高い傾向が見られるのですが、途上国では逆なのかもしれません。その辺をWVSのデータで確認しておく必要がありそうです。

それにしても一般的信頼の研究は戦線が広いですね。これまで北欧史や金融史の勉強をしましたけど、さらに開発経済学や経済成長のモデル、政府のガバナンスが改善するメカニズムなどについても勉強しないといけない感じです。

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2011年8月28日 (日)

GDP、ジニ係数と知人信頼の散布図

対数変換された一人当たりGDPと知人信頼スコアの散布図は次のようになります。

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これも一筋縄ではいかない形をしていますね。ぱっと見は右上がりで、一人当たりGDPが増えると知人信頼が増えるように見えます。パス解析による分析では一人当たりGDPから知人信頼へのパス係数はマイナスでGDPが増えるほど、知人信頼が減る結果になっていたのと逆の関係になっています。

ただ、もう少しよく見ると首を上げたアヒルのようにも見えます。アヒルの首からくちばしの部分をフランス、ノルウェー、イギリス、カナダ、オーストラリアといった欧米先進国が占め、アヒルの胴体を非欧米の国々(ただしイタリアを含む)という構図になっています。そしてペルーとルーマニアがアヒルの両足です。

アヒルの首だけを見ると一人当たりGDPと知人信頼は正の相関で、一人当たりGDPの高い国は知人信頼が高くなっています。この部分については社会関係資本論者が言う信頼と経済発展の関係が妥当しているようです。他方、アヒルの胴体はやや尻上がりで、この部分だけみると一人当たりGDPと知人信頼には負の相関が見られます。これらの国々については経済発展が知人信頼を阻害する効果が見られるようです。

このアヒルの首と胴体を構成する国々は、先述の汚職と知人信頼の散布図で汚職が少なかった国と多かった国にほぼ対応しています(チリだけが汚職が少ないのに胴体に位置している)。パス解析では汚職スコアと一人当たりGDPを同時に投入してパス係数を求めてますので汚職スコアの効果を統制すると、一人当たりGDPの負の効果のみが残るということなのかもしれません。

とはいえ、このように明らかに非線形な形のデータを線形モデルで分析していいのかという不安を感じさせる散布図ではありますね。グループ分けするとサンプル数が減りますし悩ましいところです。

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ジニ係数と知人信頼の散布図は上のようになります。ジニ係数は経済的な不平等の大きさを示す指標で、大きいほど不平等であることを示します。これは明瞭に右下がりのグラフになりました。すなわち、ジニ係数が大きく経済的な格差が大きい国ほど知人信頼が低くなっています。他のグラフのように二つのグループに分かれたり、非線形な関係も見られないところからジニ係数と知人信頼の関係がここまでみた中では最も実質的な関連がありそうです。

とはいえ、前にも書いたとおり不平等が大きいと知人が信頼できなくなる理由を探すのは容易ではありません。階層が違う人と知り合いになっても信頼しにくいという事情があるのかもしれませんが、これも階層間の一般的な不信が背景にあっての話でしょうから、一般的信頼の不在を介した知人信頼の欠如ということになりそうです。

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2011年8月27日 (土)

汚職スコアと知人信頼の散布図

知人信頼の規定要因として、汚職の少なさ、一人当たりGDP、ジニ係数、政治スコアといった変数が有意であることをみてきました。これらの変数と知人信頼の関係を散布図を用いて確認しておきましょう。

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まず、汚職の少なさスコアと知人信頼スコアの散布図は上の通りです。知人信頼スコアは個人的な面識のある人を「とても信頼できる」を+3、「やや信頼できる」を+1、「あまり信頼できない」を-1、「全く信頼できない」を-3として国ごとに平均スコアを求めたものです。ほとんどの国がプラスの値ですので知人を信頼できると考えている人が多いのですが、ルーマニアやペルーはほとんど0かマイナスで、知人といえども特に信頼されてはいないようです。

散布図を見ると、フィンランドやスウェーデンやカナダのように汚職の少ない国では知人信頼が高く、インドネシアやロシアやウクライナのように汚職の多い国では知人信頼が低い傾向が明瞭に見て取れます。ルーマニアやペルーも汚職が多い部類でしょう。例外としてチリは比較的汚職が少ない割りに知人信頼が低くなっています。フランスはこの指標ではチリより汚職が多いのですが、知人信頼は全体の中で最高となっています。

汚職に関しては、右上の少ない国と左下の多い国のグループが明瞭に分かれています。少ない国はいわゆる欧米先進国が多く(ただしイタリアを除く)、多い国は非西欧の国々(とイタリア)とはっきり色分けされています。さらにそれぞれのグループ内では汚職スコアと知人信頼にはほとんど相関が見られないようです。この点から考えると汚職スコアと知人信頼の相関は一見非常に明瞭ではあるものの、もしかしたら欧米先進国では知人信頼が高く、そうでない国が知人信頼が低いことを反映した偽相関であるのかもしれません。そういう意味でちょっと気になる散布図ではあります。

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知人信頼の規定要因

一般的信頼が知人に対する信頼の延長である可能性を見てきました。繰り返し囚人のジレンマ(PD)における戦略の1回きりPDにおける使い回しや、知人に対して共感を感じる心理機構を初対面の相手にも適用する可能性が、具体的なメカニズムとして想定されるでしょう。

知人に対する信頼は、ある程度安定した人間関係のもとで培われると考えられます。困ったときにお互いに助け合ったり、協力して何かを成し遂げたりする経験を積み重ねると信頼関係が深まるでしょう。逆に社会的な移動が頻繁で、長い付き合いが期待できないときには相互援助が行われないかもしれません。あるいは相手を裏切ることで大きな利益が得られる機会がたまに訪れる環境では、そのときに裏切られてしまうかもしれません。そのような場合には知人といえども油断はできないことになるでしょう。

このように知人に対する信頼も社会条件の影響を受けると考えられますが、実際にどのような要因が影響を与えているのでしょうか。世界価値観調査第5波の知人信頼のデータと国連開発計画が出している人間開発指標のデータを用いてさぐってみることにしましょう。48カ国について知人信頼の他に一人当たりGDPやジニ係数、政治的な安定性や司法システムの状況、政府の効率や汚職や収賄の度合いについてのデータが得られました。

これらを説明変数、知人信頼の指標を目的変数としてパス解析を行い、有意だった変数のみを取り出してパス解析しなおした結果、次のようになりました。ちなみにこの場合、説明変数間に強い相関がありますので普通に重回帰分析を行うと多重線形性が強く現れてよく分からないことになります。そこでパス解析をした結果が次の図です。

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対数変換した一人当たりGDP、ジニ係数、政治的安定性のスコア、法と秩序スコア、汚職の少なさを示すスコアがそれぞれ有意となりました。ある程度、納得の出来る変数が並んでいますが、パス係数の符号には予想外のものがいくつかあります。係数の絶対値が大きいものから見ていきますと、政府の汚職の少なさのスコアが最大の規定因のようです。汚職が少ない国では知人信頼が高く、汚職の多い国では知人信頼も低くなる傾向があるといえそうです。

政府関係者の知り合いから袖の下を要求されたりすると、確かに知人も信じられなくなるでしょうね。ただ、そういうケースはそんなに多くないかもしれません。汚職の横行している国では、人間一般に対する信頼が低くそれが知人信頼を引き下げるというケースの方がありそうです。その場合は、一般的信頼→知人信頼という因果パスが見られるのかもしれません。

次にパス係数の絶対値が大きい変数はlog(GDP)、すなわち対数変換した一人当たりGDPです。この係数はマイナスですので、一人当たりGDPが大きく経済発展が進んだ国では知人信頼が低いことになります。これはちょっと意外な結果ではありますが、経済発展が進むと社会の流動性が高まって知人との付き合いが途絶えやすくなるのかもしれません。あるいは、裏切りによって大きな利益が得られる機会が生じるため知人といえども信頼できなくなるということかもしれません。

ただ、社会関係資本の議論では信頼は経済成長を促進する働きを持つということがよく言われますので、こうした議論との整合性を考える必要がありそうです。

次に影響の大きな変数はジニ係数で、これもマイナスに効いています。ジニ係数は経済的な不平等の大きさを示す指数ですので、不平等が大きいほど知人が信頼できなくなることを意味しています。一攫千金の機会を狙って知人を裏切る‥という機会が増えるのかもしれませんが、マイナーケースのような気もします。これも格差の拡大が人間一般についての信頼を損ない、それが知人信頼を損なうという因果パスが効いているのかもしれません。

政治的安定性スコアはプラス、法と秩序スコアはマイナスに効いています。これらも知人信頼に影響するメカニズムが分かりにくい変数です。第3変数を介した偽相関かもしれませんし、一般的信頼を介した間接効果かもしれません。

詳細は不明な部分が多いですが、知人信頼→一般的信頼という因果関係だけでなく、逆の因果関係があるらしいことが伺える結果といえるでしょう。

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2011年8月19日 (金)

知人信頼と一般的信頼

ここまで認知レベルの一般的信頼成立のメカニズムを考察してきました。直接面識のない他者が基本的に善意をもっているとみなす態度が認知レベルの一般的信頼です。これは、見知らぬ他者と1回切りの囚人のジレンマゲームをしたり(1度しか来ない店で買い物をするなど)、見知らぬ他者に助けを求めたりする場合(一般交換による援助場面)に、好意的な対応をされると形成され維持されると考えられます。その意味で、認知レベルの一般的信頼は1対1の行動レベルの一般的信頼とパラレルな現象で、おそらく両者は共進化をしてきたのでしょう。

面識のない相手との1回切りの囚人のジレンマ(PD)で協力行動を採るメカニズムとしては、繰り返しPDにおける戦略の使い回しや、知人に対する共感の使いまわし、さらに非協力行動による共感の搾取を防ぐことができるサンクションシステムの存在が想定されることも見てきました。これらの存在が一般的信頼成立の条件であるとすると、たとえば知人に対する信頼が高いことが一般的信頼を高める効果があることが予想されます。

知人に対する信頼が高い社会とは、知人との付き合いが長く、人々の絆が強い社会ということになるでしょう。世界価値観調査第5波調査でデータのそろっている45カ国について一般的信頼の高さ(「信頼する」と答えた割合)と知人信頼の高さ(「とても信頼する」「やや信頼する」の合計)との相関を取ると0.59となります。実際に知人信頼が高い社会では一般的信頼が高いといえるでしょう。

ちなみに45カ国のデータについて一般的信頼と最も相関が高いのは初対面の相手に対する信頼を示す初対面信頼です(相関係数0.61)。一般的な他者とは初対面の他者を意味すると一応はいえる結果です。次が知人信頼(0.59)で、以下近所の人に対する信頼である近所信頼(0.51)、外国人に対する信頼である外国人信頼(0.49)となります。一般的な他者の範疇に外国人はストレートには含まれていないようです。

外国人信頼と高い相関があるのは初対面信頼で相関係数は0.90に達します。両者は実質的に同じものといえるでしょう。初対面信頼と次に高い相関を持つのは知人信頼(0.68)で一般的信頼(0.61)よりも高くなっています。外国人信頼と二番目に高い相関を示すのも知人信頼(0.67)で、知人に対する信頼が高い社会は初対面の人や外国人に対する信頼も高いといえそうです。

他方、近所信頼と外国人信頼の相関は0.36しかなく近所の人に対する信頼は外国人に対する信頼に転化されにくいようですね。これがなぜなのかは別途考察する必要がありますが、さしあたり近所信頼と知人信頼に異なる側面があること、近所信頼は明確にコミュニティ外の人への信頼に転化しにくいのに対し、知人信頼はコミュニティ外の人への信頼に転化されやすいことが確認できます。

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2011年8月12日 (金)

一般的信頼と共感の働き

コントロール幻想や繰り返しPD(囚人のジレンマ)における戦略の使い回しや協力を善とする価値観が1回きりのPDにおいて協力行動を促すことを見てきました。これらを持つ人と持たない人が1回きりのPDで対戦すると、前者が協力行動を採り後者が非協力行動を採ると予想されます。その結果、前者は安物を押し付けられたり代金を支払ってもらえなかったりして損をすることになるでしょう。コントロール幻想なり戦略の使い回しなり協力を善とする価値観なりは、それらの持ち主に損失を与える場合があるのです。

では、なぜこれらの損失を与えることのある心理メカニズムや価値観を人は持つ場合があるのでしょうか。これは結構難問で、いまだ十分な解答は存在しないと思いますが、いくつか可能性を考えて見ることにしましょう。

一つの可能性として、これらの心理メカニズムや価値観が短期的には損失を与えるかもしれないけれども、長期的には利益を与えるからかもしれません。しかしここでは、たとえば実験室で行われるような1回きりのPDを考えていますので長期的な利益はその中に期待することはできません。

もう一つの可能性としては、これらの心理メカニズムは物質的には損失をもたらすけれども心理的には満足感をもたらすからかもしれません。特に協力を善とする価値観の持ち主は協力行動を採ることに心理的な満足感を感じている可能性が高いでしょう。協力行動は自分の利得を減らして他者の利得を増やす性質をもちます。他者の利得を増やすことに心理的な満足を感じる人は協力行動にも心理的な満足感を覚えることでしょう。

他者の喜びや苦痛を自分のことのように感じる心理メカニズムを共感といいます。共感の作用で他者の利得を増やすことに満足を感じるならば、実験室での1回きりのPDにおいても協力行動が採られることが期待できます。この場合のポイントは1回しか会わない見知らぬ他者に共感を感じるのはなぜかということになります。

ホフマンによると共感には、喜びや苦痛を感じる人を目撃することによって生じる生理的な反射による部分、他者の話を聞くことで過去に自分の身に起きた同様な出来事を思い出して生じる部分、他者の境遇に積極的に思いをはせることによって生じる部分があるようです。他方、他者の陥った苦境が本人に責任があると認知される場合には共感が生じないとするワイナーの報告もあります。

共感の生理的な部分については生物学的な基盤があるといえるでしょう。この部分は、親が子供の世話をするときに子供の喜びや苦痛を自分のことように感じて世話をするならば、適切な世話ができるといった事情から進化したようです。血縁者を援助する戦略は、血縁者が同じ戦略を持つ可能性が高いので、援助に多少のコストがかかっても進化することができます。おそらく共感の生理的な部分は血縁選択によって進化したのでしょう。

もともとは子供の状態を読み取って世話をするメカニズムとして進化した共感が、他者一般の状態を読み取るメカニズムをして使いまわされているのが、多くの人が感じる共感だろうと考えられます。他者一般の中でも知人や友人の境遇に共感して手助けすることは繰り返しPDにおける協力行動を促進する効果があります。

他方、非協力的な相手の境遇には共感しないで協力しないことも、しっぺ返し類似の戦略の発動に相当しますので、ワイナーが報告した共感の抑制も繰り返しPDにおける戦略進化の過程で進化したのでしょう。したがって、知人や友人に対する共感や共感の抑制も進化的な基盤があると考えられます。

では実験室で出会う1回しか会わない相手に対する共感の場合はどうでしょうか。このような相手に共感して協力行動を採ることは損をする可能性があります。また、共感による協力をあてにした非協力行動を誘発することで損失が拡大する可能性もあります。繰り返しPDではそのような相手に対して共感を抑制する対抗手段がありますが、1回きりのPDではそうはいきません。そういう意味では1回きりのPDの相手に共感を示す積極的な理由はないように思われます。

これは心理メカニズムの分解能の問題なのかもしれません。特に生理的なメカニズムの場合、繰り返し会う可能性のある相手と1回しか会わない相手とを区別して共感したりしなかったりするのは難しいのかもしれません。そのため、どんな相手であってもとりあえず初回は共感をする仕様になっているという可能性が考えられます。

ただ、相手が自分の責任で苦境に陥っているという認知によって共感が抑制されるのであれば、相手と1回しか会わないことが明瞭な場合に共感を抑制することもできそうです。そうなっていないのはやはり1回しか会わない相手に共感することに積極的な理由があるのかもしれません。

共感が積極的な意義を持つのはそれによって相互協力や相互援助が達成できる場合です。その場合はお互いの利得を増やすことができます。したがって、見知らぬ相手と相互援助や相互協力が達成できる見込みが大きい場合は、そういう相手であっても共感を抑制しないで相手が困っているときには援助し、協力の機会があれば協力行動を採ることに意義があります。もちろん、相手が協力行動のときに自分が非協力を採る方がより得をするのですが、相手が協力のときは自分が協力を採ってもマイナスにはならないという意味で共感を採りやすい状況といえます。

見知らぬ相手が協力行動を採る状況としては、評判が非協力行動を抑制する場合や、集団間競争が存在することで非協力行動に対するサンクションが維持されうる場合があることを前に考察してきました。評判やサンクションによって非協力行動が抑制される場合は、共感を抑制する必要は特にないと考えられます。現実の場面で見知らぬ人と出会うときに、評判やサンクションの作用によって非協力行動に出会う確率が低い環境で暮らしている人は、見知らぬ人に対する共感を抑制する確率が低いかもしれません。

そういう環境で暮らしている人は、実験室で1回きりしか出会わない人とPDを行うときでも相手に対して共感を感じやすいのでしょう。実験室では評判もサンクションも作用していないので非協力行動も抑制されてはいないのですが、普段から評判やサンクションが効いている環境で暮らしている人はにわかに共感の抑制ができなくて1回きりで評判やサンクションも作用していない相手に共感をするのかもしれません。

以上の推論をまとめますと、1回きりのPDで相手に対する共感に基づいた協力行動が起こるためには、その人が普段から評判やサンクションが作用して見知らぬ人の非協力行動が抑制されている環境で生活していることと、共感の抑制がにわかには生じないという意味で共感に慣性が存在することが必要であると考えられます。逆に、普段から評判やサンクションが機能せず、見知らぬ人の非協力行動に直面することが多い人は、見知らぬ人に対する共感を抑制する傾向が強く1回きりのPDでも相手への共感を抑制して非協力行動を採りやすいと予想できるでしょう。前者が一般的信頼が維持されやすく、後者が一般的信頼が損なわれやすい環境ということもいえるでしょう。

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2011年8月11日 (木)

1回きりのPDにおける協力

1回だけ行われる囚人のジレンマゲーム(ワンショットPD)における協力的な振る舞いが、狭義の一般的信頼(世間の人が基本的に善意を持つと期待すること)の形成因の一つであることをみてきました。

初対面の相手でも、今後の付き合いが予想されるときには繰り返し囚人のジレンマゲーム(繰り返しPD)のしっぺ返し類似の戦略が発動して協力的に振る舞いやすいことが期待されます。一方、観光地の土産物屋のように一見さん相手の場合には、質の悪い製品やサービスの提供がなされやすくなると予想されます。

今回の旅行のように大規模な祭りを見に行く場合も、一見の観光客が大挙して押し寄せますし、年に一度の稼ぎ時になりますのでボラれたり、サービスに手抜きがなされたりする恐れがあります。まあ、ある程度はしょうがないかなと思って行くわけですが、実際には美味しい食事や丁寧なサービスの提供を受けることができました。

これはガイドブックやネットにおける評判の効果と観光地間競争という集団選択の効果が作用している可能性を前回の記事では考察しました。ただ、こうした評判の効果や集団選択の効果が作用していない場合でも協力行動が採られる場合があります。たとえば実験室でランダムにペアを作ってワンショットPDを行っても半数前後の人が協力行動を採ります。授業でどんどん相手を変えて囚人のジレンマゲームを行うように指示しても4~5割程度は協力行動が採られます。評判も集団選択もない条件で協力行動が採られるのはなぜなのでしょうか。

まず、実験参加者がゲームのルールや利得構造をよく分かっていないという可能性が考えられます。授業でPDを行った場合には「よく分からなかった」という感想が必ず何通かは見られますし、お金などの実際の利得に反映もさせませんので、参加者は分からないまま適当に手を選んでいるのかもしれません。

一方で、戦略は指1本や指2本のようにニュートラルな表現にしてあっても「協力的な人が多くてよかった」「裏切られてマイナスになってしまった」のように「協力」や「裏切り」といった用語を使って感想を記す人も少なからずいました。これはゲームの構造を十分理解している参加者も少なくないことを示しています。そのような参加者であっても非協力行動を選ぶとは限らず、協力行動がやはり相当な確率で選ばれていました。あるいは100円程度の金額を利得に応じて支払うようにしても協力行動が見られましたので、現実の損得がないので適当に手を選んでいたわけでもないようです。

山岸先生らは、一回きりのPDで実験参加者が協力を選ぶのは、自分が協力を選ぶと相手も協力を選んでくれるような気がするからだ、という説明をしていたことがあります。繰り返しのPDならいざ知らず、1回きりのPDで自分の手が相手の手に影響を与えることはないのですが、そのような錯覚をすることによって協力行動を選ぶことを山岸先生らはコントロール幻想による協力と呼んでいました。

コントロール幻想の存在を支持する実験として、同時手番ではなく逐次手番(Aが手を選んでからBが手を選ぶ)でPDを行ったものがあげられます。こうするとAは協力行動をBは非協力行動を採るケースが多くなります。BがAの手を見てから自分の手を選ぶのではなく、BがAの手を見ないで紙に封じ手を記す場合でも同様の傾向が見られたといいますから、Aはコントロール幻想により協力を選び、手番があとのBはそういう幻想を持ちようがないので非協力を選んだという解釈ができるでしょう。

そういう心的メカニズムが存在しているのかもしれません。あるいは1回きりのPDを繰り返しPDのように感じて協力行動を採るというのであれば、1回きりのPDを繰り返しPDと混同してしっぺ返し類似の戦略を発動するということもあるでしょう。しっぺ返しでは初回は協力ですから、普段使い慣れているしっぺ返し類似戦略を使いまわすことで1回きりのPDでも協力を採るということはありえます。

逐次手番のPDでもAはしっぺ返しの初回の積もりで協力行動を採っていると考えることもできます。Bの方は終末効果(明らかにゲームがラストのときは非協力が採られやすい現象)で非協力を採ったと考えればつじつまがあうでしょう。このようにコントロール幻想、あるいは繰り返しPDの戦略の使いまわしによって1回切りのワンショットPDでも協力行動が採られるのかもしれません。

学生に1回きりのPDに参加してもらったときの感想の中には「裏切りたくなかった」「非協力をとるのはいや」といったものも見られました。これらはある種の価値観の存在を示しています。協力を善、裏切りを悪と考える価値観は比較的ポピュラーなものですから、こうした価値観にしたがって1回きりのPDでも参加者は協力を選択した可能性もあります。繰り返しPDと異なり1回きりのPDで協力を選ぶと損をする可能性も高いのですが、損得よりも善悪を優先する価値観が協力行動を選ばせたのかもしれません。

このようにコントロール幻想や戦略の使い回しや善悪を優先する価値観が協力行動の至近メカニズムらしいことがわかります。いずれのメカニズムがメインなのかは研究が必要ですが、いずれであっても1回切りのPDで協力を指示するメカニズムはそのメカニズムの持ち主に損失を与える可能性が少なからずあります。なぜ、持ち主に損失を与えるようなメカニズムが存在しているのかはさらに考察を要する問題であると考えられます。

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2011年8月 2日 (火)

初対面の経験続き 観光地のモデル

初対面の相手との相互作用はゲーム理論的には、一回きりの囚人のジレンマゲーム(ワンショットPD)、一般交換、繰り返しのある囚人のジレンマゲーム(繰り返しPD)の1回目、の3種類に分類できることをみてきました。

このうち繰り返しPDの1回目のケース(今後長期間の付き合いが予想されるケース)が一番協力行動が行われやすいと考えられます。長期の利益が見込まれる状況でそれをいきなり棒に振るのはもったいない話ですから。ただし、このようなケースで協力的に振舞われても一般的信頼の向上にはあまり貢献しないかもしれません。

これに対しワンショットのPDゲームでの協力はずっと不安定です。キャッチセールスについていってよい結果を期待することは難しいでしょう。初めての店に入る場合はもう少し微妙で、お得意さんになってくれそうな場合には繰り返しPDの枠組みに従った対応が期待できます。しかし、観光地の土産物屋や朝市のような場合はどうでしょうか。

とある観光地の朝市で毛ガニを勧められて買ったことがありますが、値段の割りに味はいまいちだった経験があります。観光地の駅前の食堂も特においしくないことが多いです。他方、札幌の海鮮市場で食べた海鮮丼や仙台で食べた牛タンシチューのように当たりに出くわすこともあります。

観光地の土産物屋にリピーターになる人は多くはないでしょう。大半の人はその店には一度しかこないことを考えればワンショットのPDが日々土産物売り場では繰り広げられていることになります。ワンショットPDでは非協力の誘因が働きますから、観光地の土産物屋や食堂がしょぼくてもそれほど不思議ではありません。むしろ、一度しか行かない観光地の店で当たりに出くわす方が不思議といえます。

一つにはそのような店の経営者がしっかりした経営方針や善意に基づいて、良い品を提供しているということがあるでしょう。良い品を継続して提供していれば口コミによる評価が上がりますし、ガイドブックに掲載されるかもしれません。そうすれば一見さんが沢山きてくれるかもしれませんし、中にはリピーターになる人もできるでしょう。実際、札幌の海鮮市場はガイドブックを見て知りましたし、仙台の牛タン屋さんは食べログを見ていきました。

これはワンショットPDにおける評判の役割を示しています。良心的な経営をしていてもそれでお客が増えないのであれば(リピーターが少ない条件では良い品を出しても客が増えない可能性が高い)、コストがかさんで持続可能でなくなるかもしれません。評判による一見さんの集客効果があれば、良心的な店が持続可能になり、そのような店が増える可能性も出てきます。

もちろん口コミやガイドブックの記事は操作や演出することができますので100%信頼できるわけではありません。実際、毛ガニの店もガイドブックに載っていたのですがそんなにおいしくありませんでした。ガイドブックに載って客が来るようになると手を抜くようにある、あるいは質のよい品の仕入れが追いつかないなどの理由でおいしくなくなるケースもあるでしょう。評判システム自体の信頼性や情報の適切な更新の問題がそこにはあるわけですが、さしあたり信頼性の高い評判システムが存在していればワンショットPDにおいても協力的な戦略が存続しうるということがいえるでしょう。

こうした店のレベルの評判の他に、観光地としての評判や印象というものもありえます。しょぼい店ばかりが並ぶ観光地は魅力に欠け、工夫を凝らした土産物やコストパフォーマンスの良い料理を出す店が並ぶ観光地に客を奪われてしまうでしょう。このレベルの観光地間競争を考慮に入れると、良心的な経営をする店はコストを負担しながら周囲の店にプラスの影響を与えている存在とみなすことができるようになります。そのような店にフリーライドする店もありうるでしょうから、この状況はn人囚人のジレンマゲーム(nPDゲーム)としてモデル化するのが適切と考えられます。

nPDゲームではn人(n軒)からなる集団が複数存在し、集団内では良心的なプレーヤーがコストを負担する分、不利となる一方で、集団間の競争では良心的なプレーヤーが多い集団が有利となります。いわゆる集団選択の状況となるわけですが、集団間競争の存在が即、良心的なプレーヤーを持続可能にするとは限りません。集団内ではフリーライダーが有利ですから、良心的なプレーヤーは駆逐されてしまう可能性があります。ぱっとしない店が並ぶ観光地はこうして誕生するのかもしれません。

ここでもし商店街を束ねる商工会議所のような組織が存在して、町おこしや観光地の振興に努力すると状況が変わる可能性があります。そうした組織が良心的な経営をする店を表彰や支援を行い、努力しない店を説得したり圧力をかけたりすると、集団内でも良心的な店が有利になります。そのようにして良心的な店が増えると観光地自体の評判も高まり、観光客が集まるようになるかもしれません。

これはサンクション提供によるn人ジレンマ回避のモデルを観光地を事例として書き直したものですが、一般にnPD状況ではサンクション(C行動への褒美やD行動への罰則)の提供が可能な場合には協力行動がある程度維持されうることが知られています。もちろんサンクションにはコストがかかりますし、商工会議所の活動も時間が経つと担い手が不足して衰えてくると予測されますが、サンクションが機能する間は良心的な店が存続しうると考えられます。その間にこうした「成功事例」を他の観光地が模倣すれば、観光地の盛衰を伴いつつ成功事例が存続しつづけることもありえます。

この辺のダイナミクスはシミュレーションで再現できますし、パラメーターによって成功事例が存続しうることもすべてが失敗事例に落ち込むことがあることも判明しています。現実に存在する良心的な店の背後には、こうした割と壮大なメカニズムが存在している可能性も考えられます。

このようにワンショットPDが行われていると見える状況も実はn人ジレンマの状況で、サンクションによる集団選択の増幅作用が効いて協力的な戦略が存続している場合もあるのではないかと私は考えています。こうしたプロセスが一般的信頼の維持に貢献しているケースもあるのでしょう。論証なり実証なりは今後の課題ではありますけどね。

さて、明日からねぶたを見に行きますのでこの稿はしばらくお休みです。また帰ってきたら続きを書くことにしましょう。

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