2007年3月17日 (土)

関口知宏の中国鉄道大紀行~最長ルート36,000kmをゆく~

>毎日の旅の記録を10分間にまとめて放送します

  • 4月9日(月)~6月15日(金)
  • 毎週月曜~金曜午前7時25分~7時35分 BShi
  • 午後5時45分~5時55分 BShi (再放送)休止の場合あり
  • 午後10時50分~11時 BShi (再放送)時間変更の場合あり
  • 午後1時~1時10分 BS2 順延あり

>俳優・関口知宏が中国の鉄道を一筆書きの最長ルートで巡る壮大な旅を放送します。中国は国土が日本の26倍もあり、鉄道の総延長は70000キロにのぼります。今回は、青海チベット鉄道のラサを起点に、中国南部をすみずみまで走破して西安に到着するおよそ17000キロ。旅の途中には、チベット高原や桂林の雄大な自然景観、数千枚の棚田が広がる雲南の田園風景、ウーロン茶やプーアール茶の一大産地や本場の四川料理、広東料理をはじめとする食文化との出会い。チワン族やトゥチャ族などの少数民族が育んできた多様な独自文化など、数多くの見どころが待ち受けています。広大な中国の懐深くに入り込み、出会いと発見を楽しむ大型紀行番組です。

http://www.nhk.or.jp/ugoku/newprogram/program_bshi_68.html#main

関口さんの旅の第何弾なのでしょうか、今度は中国の最長切符の旅だそうです。ハイライト編ではなく、毎日の旅をそのつど放送という方式は「乗りつくし」以来で、毎日少しずつ中国を旅していくありさまが実感できそうで楽しみですね。中国のローカル線の沿線風景なんかもめったにみられないでしょうし。また、はじまったら、こちらでも紹介していきましょう。

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2005年11月 4日 (金)

終わっちゃった。。

乗りつくしの旅、終わってしまいました。やっぱり寂しいですねえ。総集編のビデオをちびちびみて余韻に浸るとしましょうか。

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2005年11月 3日 (木)

池田~根室 乗りつくし完了!!

秋編34日目、JR2万キロ乗りつくしいよいよファイナルです。

番組開始にあわせるように、1台の列車が根室駅に入ってきました。もちろん、関口さんが乗っています。列車が止まって、扉が開き乗客の皆さんが降りてきます。最後に関口さん、かみ締めるようにホームに飛び降りました! JR全線乗りつくし完了です。いやあ、おもわず拍手をしてしまいました。

ただし稲塚アナによると、本当の旅の終わりは改札を出たところだそうで、再び改札の順番を待つ関口さん。そして、最後に切符を駅員さんに渡して今度こそ本当に2万キロの乗りつくしが完了しました。一斉に沸きあがる拍手。関口さんの雄たけびの声! いやあ、本当にお疲れ様でした!私もテレビを見ながら再び拍手。秋編はずっとブログで伴走してましたので、自分が旅をしたわけではないのですが、じーんとくるものがありました。

今日のビデオは秋編のプレーバックで九頭竜湖から木崎湖、会津のSL、最上川や五能線の民謡、山寺のキス、こどもたちの笑顔、日高の馬たちを思い出しつつ、厚岸湾をカヌーで渡る関口さん。原野の中を根室に向かう列車の中で様々な思いが去来します。本当に感無量だったと思いますね。総集編でスタッフの方の苦労話も紹介されてましたが、カメラさん音声さんもずっと同行して顔は出ないままに乗りつくしを達成されました。切符、宿の手配、外撮りのロケハン、アクシデントへの対処などなどに勤めたスタッフの思いと、旅先で応援してくれたたくさんの人たちのことを思いつつ、過ぎ行く車窓を眺めてらしたんでしょうね。

そして、根室着。なんどもなんども万歳をする関口さん。本当に本当にお疲れ様でした。スタッフの皆さんも素敵な番組をありがとうございました。「見つくし」ができたのは秋編だけでしたが、それでもずいぶん長い旅をしてきたような気がします。楽しかったです。

乗りつくしの旅の終着駅に待っていたもの。私にとってはそれは「感謝」でした。皆様、改めてありがとうございました!

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美瑛~池田

乗りつくし33日目。JR全線乗りつくしの旅も今日と明日で終わりです。

今日乗りつくした区間は旭川から新旭川までの3.7km。推定所要時間3分10秒でした。紅葉と青空の綺麗な区間ではありましたが、今日はあと342.1kmを未乗車区間へのアプローチと最終日の出発地点池田駅にたどり着くために6時間37分をかけて移動しました。

そんな訳で今日のメインは、乗りつくしとしては番外編の北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線でした。旧国鉄の池北線ですが、来年の4月に廃止されるんですね。ガーン!
昨日ネットで調べたときに「鉄道業務からの撤退について」という文字を見掛けて嫌な予感はしてたのですが。。池北線といい天北線といい深名線といい、昔乗った路線の数々が記憶の中だけに消えていきます。これからオンネトーにいくには、雌阿寒岳にいくにはどうすればいいのでしょう。あるいは、ちほく高原鉄道は見納めにビデオに残せたので幸運というべきでしょうか。

一両編成の列車が北見盆地から分水嶺の高原を駆け抜けて十勝平野に向かいます。置戸では常呂川の清流に来し旅路を思い、時の流れを灰皿の陶芸に託します。足寄では飛び切りおいしいトウキビの差し入れを沢山頂きました。

そして池田駅着。乗りつくしの旅は釧路から根室までの区間を残すのみとなりました。関口さんが「早かった」を連発する旅路の果てには一体何が待っているのでしょうか。

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2005年11月 2日 (水)

増毛~美瑛

乗りつくし32日目。

いつもはテーマ曲から始まりますが、今日はいきなり関口さんが列車に乗って出発するシーンからです。8:01旭川行きが動き始めるのに合わせてテーマ曲スタート。いいですね。こういうのも。やっぱり天気がいいと気分が違います。金色に光るポプラ並木と稲塚アナが関口さんを見送ります。

昨日の旅程は増毛からバスで留萌に出て1両編成の列車で恵比島駅に。すずらんの舞台となった駅らしいですが私は見てないので鉄道員とイメージがかぶります。それでも年季の入った駅舎と旧漢字の時刻案内が味があっていいですね。

そして関口さんは近くの川で化石とりに挑戦します。化石の名所らしく、大きな化石がごろごろ岩に埋まっているようです。500万年前といいますから鮮新世の終わり、最初の人類がアフリカに現れた頃の貝の化石を掘り出して記念にお持ち帰りです。
それはそうと護岸工事の全くしてない自然のままの川っていいですね。北海道って感じがします。

深川、滝川を再び通って富良野へ。この路線が根室本線なのは意表を突かれます。そのまま乗り続ければ根室にいっちゃいますが富良野で下車します。お馴染みの富良野の風景の中で関口さんは「水の旅人」の仕上げ作業を行いました。ストリングスが入って流水感が一層引き立つ仕上がりとなりました。

明日は池田駅と言ってましたから旭川から北見にでてちほく高原鉄道を抜けるのでしょうか。第3セクターなんですけどね。三陸鉄道も3セクだったのでいいのかな。そんなこと言ってると3セク・私鉄乗りつぶしの旅なんて企画が来年あたり立てられるかも・・

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2005年11月 1日 (火)

新十津川~増毛

乗りつくし31日目。っていうか、あと4日。いよいよカウントダウンで、関口さんも寂しげで寒そうです。

今日は新十津川駅からバスで滝川駅へ。いきなりバスが遅れてダッシュで特急に飛び乗ります。旅程にバスをかませるとありがちなことですけどね。

深川で曇り空のもとストーンサークルを見学。規模も小さく縄文も末期の物だということで一段と寂しげな雰囲気が漂ってます。旅の終わりに末期かよ・・という所でしょうか。

1両編成の列車に乗り留萌から増毛へ。1両編成なのに「列車」は変かなと思いますが電車ではないし、ディーゼルカーというのも長いので列車にしておきましょう。
と思う間もなく英語の歌声。外人さんの「私を野球に連れてって」に慰められます。東京ドームでは散々聞かされますが留萌本線ではめったに聞けない曲でしょうね。

終着の増毛には立派なニシンの帳場がありました。天売島でニシンの番屋後のユースホステルに泊ったことがありますが(多分もうないですが)そこよりずっと広くて立派な帳場です。やっぱり当時は栄えてたんですね。

でもニシン景気も今は昔・・という事で再びテンションが下がって一日が終わります。確かに旅行の終わりってテンション下がりますよね。私も天売島は第一次北海道旅行の最後の訪問地だったので何か物悲しい気分だったのを覚えています。

2万キロ乗りつくし達成目前ですが、このままローテンションで幕を閉じるのでしょうか。それとも北海道仕様の稲塚アナが盛り上げてくれるのでしょうか。

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2005年10月30日 (日)

夕張~新十津川

乗りつくし30日目。

新十津川駅ってどこって思わず地図で探してしまいました。札沼線の終着駅で実は函館本線の滝川駅のすぐ近くです。直線距離で2.5km、関口さんバスに乗るとか話してましたが、実は昨日の晩は滝川に泊まって今朝のロケのためにまた新十津川駅までバスで出て来たのではないかという気もします。

さて今日の旅程ですが、夕張から赤や黄色の錦を眺めながら追分まで引き返してきて、なぜかそこで視力検査を受けます。関口さん、目がいいんですね! 一番下まで全部見えて2.0。列車から遠くを眺め続けているおかげでしょうか。

子供たちと久々のバトルのあと岩見沢から札幌へ。そして札沼線に入ります。ここは今年の6月末に札幌で学会があったとき、ラベンダーを見に行こうと思って乗った路線なのでよーく覚えてます。もしかしたらと思っていると関口さんやっぱり百合が原駅で降りて百合が原公園に向かいます。6月に行ったときの写真を貼っておきますがラベンダーは少し早かったものの沢山花が咲いていて綺麗な所でした。今は紅葉が綺麗なんですね! 最近行った割りに妙に懐かしい気がします。

vfts0112.jpg vfts0126.jpg

その後、三日月湖のくねる石狩平野を新鮮組談義をしながら終点まで乗りつくし。途中までは沢山列車があるのに終点までいくのは一日3本なんですね。あと3km足らずなので滝川まで繋げちゃえばいいのに、とも思いますが、需要がないんでしょうかね。

このあとは留萌から増毛に最後の日本海を見にいきます。

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2005年10月29日 (土)

様似~夕張

乗りつくし29日目。

夕張は札幌が目的地のときになかなか入れなくてついつい何回も寄ってしまう、という印象が個人的には強い駅です。まあ、夕張メロンは食品日本一に選ばれたり大人気になったりして臨時収入が得られるので有り難い所ではあるのですが。

それはさておき、今日の旅程は、昆布たなびく日高本線を大返しに駆け戻り、南千歳のアウトレットでズボンを買い、夕張山地と日高山脈をくぐり抜け、再び夕張まで引き返すというとても長いものでした。日高本線自体、東京から静岡までぐらいの距離があって新幹線なしの各停では3時間かかります。さらに新得まで行って帰ると総旅程は411.2km。大垣までムーンライトながらで乗り通すくらいの距離になります。一転して一番長い位の旅程ではないでしょうか。

今の時期の北海道は紅葉がちょうど盛りで、車窓が金色に輝いてました。夏しか行ったことがないのですが、秋も格別ですね。来年は学園祭休みに柳葉魚寿司食べがてら行ってみようかな。

新得への行き帰りには長い新狩勝トンネルをくぐります。このトンネルができる前は日高山脈を蒸気機関車の難所、狩勝峠に越えていました。余りの煙の多さに死者まで出したというこの峠に佇む関口さん。往時の苦労に思いを馳せます。

そして夕張駅で馬の絵のうまい堀アナともお別れになりました。せっかく馴染んで来た所なのになーんか残念ですね。堀アナの今後の活躍をお祈りします。最後の旅を締めるのは関口さん好みの女子アナでしょうか。

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2005年10月28日 (金)

清畠~様似

乗りつくし28日目。

堀アナウンサーとの二人旅は5日目。どうやら最後まで関口、堀コンビで北海道巡りをしていくようです。
今日の旅程は清畠から日高本線をとことこ乗って終点の様似まででした。いやあ、いいですね、日高本線! 海と牧場を間近に見ながら延々と走っていけて。空色と白の西武のユニフォームのような列車も、空や海の青さにマッチして綺麗です。是非天気のいいときに乗ってみたいので来年の夏にでも行ってみることにしましょう。

関口さんは所々で途中下車して馬に顔を舐められたり、巨大滑り台を滑り降りたりして楽しんでました。日高幌別の巨大滑り台、あれはなんなんでしょうか。遊びに来る人も少なそうな所ですが。。

そして夕日の海。木のほとんどない原野の風景を抜けて様似に到着となりました。旅程が短いせいか、関口さん妙に元気ですね。東北の後半は本当に眠そうな顔をしてらっしゃいましたが。関口さんの体調を考えて短めの旅程にしてあるのかもしれませんね。

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2005年10月27日 (木)

苫小牧~清畠

乗りつくし27日目。

イランカラテ(こんにちは)。今日は予想通り日高本線の旅でしたが終着の様似まで全然行かないで、中間地点の静内までもいかないで、苫小牧からわずか9駅の清畠駅までの旅でした。移動距離にして60kmほど。これまでの最短記録ではないでしょうか。

この区間は本当に海岸のすぐそばの原野を走るので、北海道らしい風景が楽しめます。そしてアイヌの文化にも親しめる旅でもあったようです。

鵡川駅ではこの時期限定のシシャモの寿司を頬張りながら関口さん、うまい!の絶叫。10月から40日ほどしか食べられないのでこの時期旅行できない人には味わえない味覚のようですが、このシシャモが柳葉魚の正体でした。アイヌの人が飢饉に苦しんでいたとき神様が柳の葉を魚に変えてくれたという伝説があるそうです。西洋にもパスツール以前の自然発生説では木の葉が水に落ちて魚になると考えられていたようなので、人間の発想の共通性が感じられますね。

さらに富川駅の博物館では縄文時代からアイヌの人がこの地に住んでいたことを知り、自分達の起源とアイヌの関係に思いを馳せます。イランカラテ(あなたの思いに触れさせて下さい)という挨拶にはアイヌの人の心に少し触れる事ができたような気がしました。

今日はわずか9駅ですが中身の濃い旅路であったようですね。

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