
11月13日はホーチンから、古代亀茲(きじ)王国が栄えたクチャに向かいます。
8:46、ホーチン発。この時間ですが。まだ日が昇っていません。西に行くほど日の出日の入が遅くなるのです。日本でも北海道と九州では40分ほど違いますが、中国の場合、東の端と西の端では3時間ぐらいの差になります。9時頃ようやく日が昇りました。
褐色の山並みに沿って、タクラマカン砂漠を西に向かいます。乗客の多くはウイグル族。「ヤクシマスス(こんにちは)」の声が聞こえてきます。
13:38、クチャ着。人口40万の街です。三蔵法師の時代には、仏教王国亀茲が栄えていました。10世紀ごろには衰退してしまいましたが、その後も西域に広がる亀茲楽の中心として知られているそうです。
とりあえずは駅前の屋台で腹ごしらえです。テントみたいな屋台であたりは広場みたいになってました。なにやら串に差して焼いているので聞いてみると「豆腐」とのこと。唐辛子を振ってたべるようです。関口さん、「不思議な味‥」とか言ってましたので、余り美味しくなかったのでしょうか。ネットの旅行記を見ると「クチャの料理は辛い」という記述が目につきます。インドネシア料理より数倍辛いとか、唐辛子は少しにしてくれと頼んだら、少しだけといいつつ山盛りかけられたとか。串焼き豆腐も辛かったのかもしれません。
シラカバの木が植えられた通りを歩いていると、小学生の一団にすれ違いました。一度通りすぎたものの、変わった人が気になるのか、口々に声をかけてきます。
「どこ行くの~?」
「どこ行くの~?」
関口さんが無視して歩いていると、ぞろぞろついて来ます。ハーメルンの笛吹きみたいです。
「女の子みたいな歩き方だねー!」
「うるさいな~!」
関口さんが振り向くと、サッと逃げます。前を向いて歩きはじめるとまたぞろぞろ‥。ダルマさんが転んだ状態です。素朴というか無邪気というか、何かと物騒な今の日本では見られない光景ですねえ。微笑ましいです。しばらくチェイスしたあと、子供たちは去っていきました。これから学校があるのです。
街外れまでくると、通り沿いに観光果樹園がありました。
「旅行者ですがいいですか?」
「どうぞ、どうぞ」
というわけで関口さん、中へ。どうぞ、といったもののシーズンオフなので、店の人は慌てて支度しています。赤い絨毯と座布団を引いて、ナン、ザクロ、葡萄、アンズ、クルミ、ナツメをダンダンダンダンダンと並べて‥
「すごい品数!」
果物は辛くないので安心して食べられますね。美味しそうです。
「ヤクシマスス(こんにちは)」
楽器奏者の方がやってきました。音楽でももてなしてくれるそうです。最初の奏者は琵琶のような形のドゥタールという楽器を持っています。昔、シルクロードを通ってこの地方の楽器が正倉院に伝えられたと言いますから、琵琶に似た楽器があっても不思議ではありません。実際、クチャは雅楽の故郷とも言われています。
ドゥタール奏者のおじいさんも演奏するのは久しぶりみたいでした。
「代えの弦がないから気をつけてね」
と、ここの奥さん。
「切れたらズボンの紐を使うよ」
なんて軽口を返してるうちに演奏が始まりました。
♪ジャジャジャジャンジャンジャ!
♪ジャジャジャジャンジャンジャ!
アップテンポで軽快なリズムです。
♪タタタ、タンタタンタタン!
♪タタタ、タンタタンタタン!
関口さんも、タンバリンみたいな楽器を借りて指先でたたきます。セッションがはじまりました。
ドゥタールの方も段々調子が出て来て、ジャンジャラジャラジャラ、ジャンジャラジャラジャラ多彩な音色を奏ではじめました。ちょっと津軽三味線みたいな感じです。
おっつけダフ奏者の人もやってきて、演奏に加わりました。さすがに本家は違いますね。右手で巧みにダフを上下に操り、左手で楽器の両面を使ってタタンタタンタン、ダイナミックにリズムを刻みます。
♪私のバラは~あの花園に~
♪いる~だろうか~
歌もはじまりました。中央アジア特有の哀愁をはらんだ、張りのある歌声です。
♪深紅のバラよ~
♪永遠に~咲いておくれ~
歌に合わせて若奥さんが踊り始めました。両腕を高くあげて首を左右にくねらせて‥。娘さんの小さな女の子も、つられて可愛らしく踊りはじめます。ひとりでに体が動くのでしょう。実に自然な動きです。いいですねえ、こういうの!
楽器が歌が踊りが自然に出て来ます。日常生活の中にすっかり音楽が根付いているのでしょう。こういう生活には、とてもあこがれますね。
いよいよ中央アジアの色彩が濃くなり、旅も残り2日となりました。
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